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募る思いも三十一で  作者: 時雨 悟はち
辛苦の拒絶=過去の否定
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六十四文字、居場所の座標

 あの後、夕夏ちゃんが泣き止んでから部室に戻り、改めて私は謝罪した。


「ごめん。私が何も知らずに挫折を教えて、なんていったばっかりに、こんなことになっちゃって」

「はい。許します。それに、あたしにも落ち度はありましたし。あたしもごめんなさい」


 ちゃんと互いを許すための謝罪を交わして、私は大きく一息ついた。一時は本当にこのまま壊れてしまうと思っていた分、大きな安堵が押し寄せた。


「それでね。ちゃんと夕夏ちゃんの挫折に向き合おうって、思って。聞いてくれる?」


 そういうと、夕夏ちゃんは覚悟を持った優しい顔で頷いた。

 もう一度息を大きく吸い込んだ。これは、自分自身に発破をかけるためのものだ。


「……夕夏ちゃんの過去を聞いて、夕夏ちゃんの挫折を聞いて。正直、何を言えばいいのかが見つかっている訳じゃない。だけどその上で、到底経験したくはないなって思った」

「はい」

「もちろん、夕夏ちゃんの過去をけなしたりする訳じゃない。それは約束する。だけど、挫折って言う実態が、もっと広くなったように思えた」

「ですね。あたし自身もおんなじです」

「だからね……。決して無駄ではなかった。でも、納得に踏み入るまでは、理解しきれなかった」


 それは私の本心。嘘偽りのない、誠実な答えだ。それを夕夏ちゃんはわかっている。だから夕夏ちゃんは言葉を紡いだ。

「よかったです。これでまた余計な心配されたらどうしようって思いましたよ」

「ごめんね、は……くどいかな」


 うんうんと頷く。少しずつ、夕夏ちゃんのことをわかってきたように思えた。

 ホッとして、体から余計な力がふっと抜ける。大きく脈を打っていた心臓も。小鹿のように震えていた足も。落ち着きを取り戻して、思い通りに動かせるようになっていた。


「……ほんとは、あたしも待ってないといけなかったんですけどね」

「待つ?」

「はい」


 それから、少し物憂げな雰囲気をまた羽織りながら話を始めた。


「香月のこと。多分香月は、いつかあたしの過去を聞いてきてくれました。自分ですら掘り起こしたくない記憶ですから、人の手を借りないと、きっと向き合えないって思ってたんです。その支えに、香月のことを信じてたんですけどね……」


 たはは、という具合に笑った。存外、優しすぎたんですよねと顔が言っていた。

 夕夏ちゃんはカバンから短冊を取り出した。ふっと笑うその顔は、短歌を詠むときとおんなじ顔をしていた。


「……しょーがない。あたしから仲直りしてやりますか」


 その言葉で私は香月くんの短冊を思い出し、それをカバンから取り出した。差し出された夕夏ちゃんは不思議そうに短冊を見つめた。


「……香月くんから。夕夏ちゃんにって」

「これ……」


 それを読んだ夕夏ちゃんは大きく目を見開いた。


「……行ってきます」

「え?あ、ちょっと!」


 走り去るその背中を、私はそれ以上止めることをしなかった。

 だって二人の仲を助ける約束だから。ここから先は、二人で頑張るしかない。



 茜色が徐々に濃い濃紺に移り変わってく。外で走り回っている部活動の生徒も整備をし始め、今日の学校がそろそろ終わるのが雰囲気でひしと伝わってくる。そんな中で、俺は帰る気なく教室で座っていた。

 まだ。まだ夕夏が来ていない。夕夏の居場所をまだ見せられていない。

 待つんだ。居場所が動いていてはいけない。安心して、いつもの場所で。そんな風に言える場所に、俺が成るんだ。


「ひばり先輩、うまくいったんかなぁ~?」


 ちょっとだけ先輩の吹っ切れた気持ちが移った。ここに来なければ、俺は夕夏にとってその程度だったというだけだ。二度も裏切った俺のことを許せなかったのだろうと思える。だから、腹を括って教室に座っていた。

 すると、廊下に突如足音が響いてきた。コツコツと軽快な足音がこちらに速いスピードで近づいてきた。

 その足音は、走っていてもわかった。この前は二択だった足音。けど今回は、一択しかなかった。


「香月!」

「来たね」


 息も切らさず、手には俺の短冊を握りしめ、夕夏はドアを開けた。

 今度は開いたドアから金木犀の香りが漂ってきてくれた。


「……」

「……」


 俺らの間に沈黙が流れる。けど気まずくなんかないし、むしろ分かり合えているような気がしてちょっと嬉しかった。

 一つ大きな深呼吸。気持ちを整えて、夕夏の顔をしっかりと見た。以前と違って、今日はちゃんとであった頃のような顔に戻っていた。


「ごめん。俺がビビッて、夕夏に言えなかったせいで、古傷と一人で抱えさせてしまった。本当に、ごめん」


 そういって頭を下げた。教室に反響する俺の声も、ちゃんと受け止めて。

 頭を下げて数秒。頭を上げると、夕夏は泣いていた。慌てて何か言おうとする俺を、夕夏が涙をぬぐいながら止めた。


「……全くだよ。ほんと。すっごく傷ついたんだからね?」

「……ごめん」


 涙で震えるその声に。痛々しくも軽く言おうとするその言葉に。俺はそんなありきたりな言葉しか返すことができなかった。

 夕夏は泣きながら笑っていた。優しく微笑んでいた。涙で肩を跳ねさせながら、それすらも笑って許していた。


「……でも許す」

「いいの?」

「いいの。だって、こんなに心配してくれたもんね」


 と言って、短冊を二本出した。言うまでもなくそれは俺のものだ。



 霞む天 君の痛みを 隠してる 白い息が 守らんと願う

 感情が 呆れる程に 滲み出る あのときのきみに 投げたかったこと



 どっちも、短歌と呼べるか怪しいほどに、感情的だ。景色のことを詠っているのに自分の感情を映している。後者に関しては、景色と呼べるものが一切見当たらない。

 でもこの短歌が。この短歌でしか、夕夏に謝ることはできなかった。自分の気持ちを伝えられずに傷つけたのだから、仲直りするには自分の気持ちをさらけ出すしかなかった。


「……やっぱ、香月でよかった」

「え?」


 その言葉に、思わず胸をドキッとさせてしまった。それ、とても文芸的な告白じゃないのか?


「香月を信じてよかった。信じたのが香月でよかった」

「……そっか」


 否定も肯定もしない。肯定していいほど俺は自分を許せなかったし、否定するほど夕夏のことを裏切りたいと思っていないから。だから、それを許容した。

 夕夏はそれから、俺の短歌をまたまじまじと眺めた。俺の思ってることがそのまんま映されているそれをまじまじと読まれるのは、すごく恥ずかしさを感じさせた。

 だけど、久々に俺の短歌を読んでもらえた。夕夏と、俺の世界を共有した。その久しい感覚が夕夏も感じてたらいいなとか思った。


 ふと、聞きたくなった。この短歌は今、夕夏にはどう映るのだろうか。この感情まみれの短冊を、どう評価するのだろうか、と。


「……ねぇ。どう?」

「ん?」

「それ。どう思った?」


 う~んと言って、顎に手を当てて唸った。その顔は、どこか楽しげだ。


「……感情的すぎて、小説かと思った」

「って、こんな時も辛口評価かいっ!」


 思わずそういってしまった。それから、二人で静かに笑った。目を合わせてハハハって。この暖かさを崩したくないって日和ったのが、今となってはばからしく思えてくる。そんな程度でこの時間が無くなるわけがないのに。


「……ありがとね」

「ん?」

「ありがと。居場所用意してくれて」

「……おう」


 それから二人並んで教室を出た。手……は、繋いでないけど、心はきちんと繋がっていた。

 廊下にまたも足音が響く。今度は二人分、慌てずゆっくり歩く足音。


 金木犀は、また隣で香りだした。

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