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募る思いも三十一で  作者: 時雨 悟はち
辛苦の拒絶=過去の否定
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安い同情

 先に部室に来ていた夕夏は、ひらひらとさせた短冊を握って、無理に笑った。


「ほら香月、珍しいことに軽音楽部が外で練習してる。ここから映すには、後にも先にもなさそうな景色だよ」


 その顔に、俺は何も言えずにいた。

 大丈夫?だとか、そんな言葉は論外だ。そんなの、大丈夫なわけがない。でもそれ以外で、俺が彼女に掛けるべき言葉が見つからない。

 答えあぐねる俺に、夕夏は次第に顔を曇らせていく。それが余計心を焦らせて、さらに喉元に言葉を詰まらせた。

 やがて夕夏が何かを言いかけた。そのタイミングで、部室のドアが開いた。


「お疲れ様……あ、香月くん、夕夏ちゃん……」

「……お疲れ様です。ぶちょー」


 そういって、夕夏は言いかけた言葉を飲み込んで俺の横を通り過ぎていった。

 今日は、何を感じたのかを伝える会。夕夏の話を聞いて、俺たちがどう消化したのかを夕夏に伝える場だ。辛そうだったとか、そんな感想じゃ許されない。きちんと向き合った結果を伝えなければならない。


 なのに。それなのに。俺は、彼女が打ち明けてくれたその挫折から、どうしても目を背けてしまう。弱い自分が憎たらしい。意気地のない心が大嫌いになる。


「……どうしたの?早く言ってよ。ぶちょーも、香月もそんな中途半端じゃないでしょ?」


 焦るかのように、夕夏はそういった。わかっている。わかっているのに、どうしても中途半端になってしまっている。

 椅子に座る俺の足はこらえきれないように揺すられる。先輩も膝の上でこぶしを握り締めて唇をかみしめている。


「えっと……その……」


 口がもたれて、何も言えなくなる。こうして黙っているほうが、よほど夕夏に対して失礼で最低だってわかっているのに。客観的で冷静な、感情移入していない感想を伝えなければいけない。じゃなきゃ、夕夏をもっと傷つけてしまう。

 部室に沈黙が流れる。流れれば流れるほど、夕夏の心は傷つけられていく。そのことをわかっていながら、俺はズルく黙っていた。

 そうして沈黙していたこの空気を変えたのも、夕夏だった。


「……なんなの。黙って、それで同情でもしてるつもりなの?」

「えっ……」

「なんで……?どうして?あたし、頑張って、勇気出して話したのに。それなのに、あんたたちはそうやって黙って、それであたしの心が救われるって思ってるわけ?」

「ちがっ……!」


 俺がそういう直前に、夕夏は大きく振りかぶって、机をたたいた。憎しみと後悔を孕んだ鈍い音が、俺と先輩の肩を弾ませた。


「やめてよ……。言葉がつまるとか、そんな生半可な気持ち抱かないでよ!向き合って。ちゃんと向き合って、自分の答えを教えてよ!」

「夕夏……」

「なんで……?それとも、あたしの見当違いだったの?あんたたちならちゃんと、この過去にも向き合ってくれるって思ったのに!」


 泣きそうなその告白も、夕夏は泣かずに訴えた。

 全部全部、俺の予想通りだった。生半可な同情は却って夕夏の心を痛めさせた。それをわかり切っていて、それでも俺は勇気を持てずにいた。

 罪悪感。きつく胸を締め付けるその感情に、ますます俺の口はもたれていく。その様子を見かねたのか。はたまた、もう失望しきったのか。やがて諦めたかのように夕夏は笑った。


「……やっすい同情。こんななら、信頼なんてしなきゃよかった」

「なっ……!」


 思わず声を上げて、それから何も言えないことに気付いた。でもそれに気づいたときにはもう、お疲れも言わずに夕夏は部室から出ていっていた。


 最悪だ。と、静かな自責が流れるこの部室で思った。図らずとも、俺は夕夏に挫折の再来を見せてしまった。怪我とかそういう身体的なものじゃない。信頼していた相手に、裏切られたという挫折。そんな挫折を、俺は夕夏に与えてしまった。

 安い同情と罵った夕夏の目が辛さに泣いていた。激昂した夕夏に何も言えないと思ったのは、それが理由でもある。


「……ごめんね、香月くん……」

「……」


 挫折を知らないと言っていた先輩の、精一杯の気遣い。だから、俺が強くいうわけにもいかないし、気持ちをわかっていないと逆上するわけにもいかない。だから、この込み上げてくる感情はすべて消化できずに体を蝕んでいく。


 部室に残るのは、重い空気と先輩と俺。そしてさっきまで夕夏がいたという証のように残っている、金木犀の香りだけだ。寄り添えなかったやるせなさと勇気がなかった自分に対しての怒りが、金木犀によって助長されていく。夕夏と出会って以降一番自分が嫌いになった。



 そういう経緯があって。

 夕夏はとうとう、部活に顔を出さなくなってしまった。

 手に握る短冊を。夕夏が写した景色を。俺はまだ未練がましく持っていた。

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