煌めく星も、君のLINEも、哀しく笑っていた
人の不幸は蜜の味、なんて言いだした人は、一体どういう気持ちでその言葉を作り出したのだろうか。暗くなった街の空に光る少量の星を眺めながら、ボーっとそんなことを考えた。
つい数十分前、俺が人の不幸を聞いた後。あまりにも押し寄せてくる気分の悪さに、思わず嘔吐をしてしまった。トイレに駆け込んで、胃液をまき散らして。それでも収まらない吐き気を抱えながら、部室に戻った。
部室のドアに手をかけようとしたところで、中から漏れ出てきた声に手が止まった。
「うぅ……私が、変なことを聞いちゃったせいで、二人にあんな思いさせちゃった……」
震える声色。自分を責めるようなその声に、ドアを開けられないでいた。
俺から尋ねたことで、何かが変わったのだろうか。俺から聞き出すことで、夕夏の辛さを俺が少しでも肩代わりできたのだろうか。多分、夕夏はそれを信じていた。だからこそ、聞かないと許さないと言ったのだろう。
でも話の一部始終を聞いて、そんな自信はあっけなく霧消した。夕夏が持ち上げたあのバーベルに、俺が手を添えたところで何も変わらないだろうって、思ってしまった。
部室の中から、すすり泣く声が聞こえてくる。その声が止むまで、俺はそのドアを開くことができなかった。
やがて声が収まってきたころに、部室に入った。先輩の顔を、見るべきだとは思っていた。けど俺は見るどころか目を向けることすらできず、ひねり出した俺から出てきた言葉は
「……今日はもう、帰りましょ」
という、情けない言葉だった。
やっと先輩に目を向けられたのは、自転車で走り去る姿。その姿は、自責を体現しているように見えた。
冬の季節は、風と車が切なさを運んでくる。毎年、そんな空気がちょっと好きで、帰り道が楽しみだった。だけど今日はそんなこと全くない。運んでくる切なさは、今日だけは後悔と重厚にすり替わっていた。
ちょっとでも解放されたくて、だだっ広く広がる空を見上げたそこに、輝く星が少しだけあったのだ。
先輩が、ちょっとだけ頼ってくれたあの日のことを思い出した。霜月の単語を知って、この空に広がる靄を短冊に書き写した。
その頃を思い出したくて、息を吐いた。広がる靄も、それが霧散していく姿も。今だけは、挫折の実体にしか見えない。そう認識してしまって、また俺は夕夏の話と話している夕夏の姿を思い出してしまった。せっかく気を紛らわすために上を向いたのに、余計にとらわれてどうするんだ……。
なら、発散の為に短歌にしよう。そうすれば、多少は気分が晴れるだろう。
そう思って、短冊を取り出した。暗い気分で見る金縁の短冊は、モノクロにしか見えない。
もう一度上を向いた。少しだけ輝く星だけが、今俺の世界に輝く唯一の光だ。それ以外の光が潰え、隠され、目の前から消えたよう。目の前をそのまま映すことという信念が、今は捻じ曲げられている。短冊の中、描いた世界は目の前の景色を「映した風」にしか仕上がらなかった。
発散のはずが、自分が今随分と塞ぎ込んでいることに気付かせただけで終わった。
一瞬嫌なことを考えて、かぶりを振った。そんなことを考えるのは、あまりにも夕夏に対して失礼だったから。
すれ違った警察に不意に注意を食らった。俺は前も見ずに自転車を漕いでいたらしい。
「……はぁ」
「おう、どうしたんだよ。朝からため息なんかついちゃって」
話しかけてきたのは、ろくでなしの一人だ。
——いや、もうその呼び名はよそう。彼らは存外、いい人だ。ほんとに。
心配そうな声色でそう聞いてきた彼に対する答えを探した。全部を言うわけにはいかない。だがどうして俺はこのため息のことを説明しようか。俺が答えられないでいると、その姿を察してか、彼は口を開いた。
「まあ、言いにくいなら別に言わないでもいいんだけどさ。なんかあるなら、いつでも力になるからな」
「っ……」
息がつまるような声は、彼に届かなかった。それ以上話すことなく、彼は元ろくでなしたちのところへ向かった。過干渉してこないのに安堵しつつ、俺はまたため息をついてしまった。
昨日詠んだ一首がため息の原因だ。どうもあの一首が頭から離れない。酷く主観的で、それでいて酷く自己中心的な一首。だけどどうにも、この一首がかばんを離れない。ずっと俺の近くにいるのは、この感情を忘れるな、という事なんだろうか。
そんなことを考えていると、不意にポケットが震えた。ポケットの中から携帯を取り出すと、震わせたのは夕夏のメッセージだった。かなりの長文で、ポップ通知だけじゃ全部が読めないから通知をタップしてアプリを開いた。
『ごめん、昨日は許さないなんて言ったけど、あれは嘘だから。
別に香月のこと恨んだりしてないし、香月のせいなんて思ってない。だからあんたはなんにも心配しないでいいよ。
それはそうと、今日はまた部活で先輩の手伝いをするよ!昨日の話を聞いて、どう思ったかとか聞けたらいいな~。
じゃあまた部活で!』
いつもと比べて、それはへたくそな慰めだった。へたくそすぎて、俺はメッセージを送ってきた相手を勘違いしたのではと思った。けどそれは、多分慰めというよりは自分にそう言い聞かせるために送ってきたものだ。
悩んでいる間も、夕夏と言葉を交わせなかった。通路ですれ違う時、何かを言おうと思ってやめた、何も思いつかなかったんじゃなくて、何も言うべきじゃなかったから。中途半端に寄り添うことはできない。ただ寄り添いたいというだけの気持ちじゃ、夕夏の気持ちに寄り添って言葉をかけることはできない。それがただの自己満だって言うのは、誰よりもわかっているつもりだ。
あの秘密を、あんな形で聞いてしまった俺は一体、相棒としてあいつの横にいられるだろうか。そんなことばかり悩んでしまっているうちに、気付けば部活動の時間になっていた。夕夏と話さないといけないとさえ思ってしまうのが自己嫌悪にさせる。俺がもっと無神経だったらあるいは、むしろ夕夏の心を傷つけずに済んだかもしれないのに。
重い足取りのまま、校舎を歩いていたのに、いつの間にか部室の前で足が止まった。
大きく息を一つ吸って、ドアに手をかけた。ゆっくりと開くドアの奥から、金木犀の匂いが冷たい風に乗って香ってきた。
「……あ、香月。先詠んでたよ」
そういって、夕夏は短冊をひらひらとして言った。その姿に、俺は思わずカバンの中の一首を握りしめるようにカバンを掴んだ。




