辛苦の過去に触れられるより、あなたに寄り添えないほうが辛い
先輩と別れた帰り道。信号で止まった俺は、かじかむ手で夕夏に今日の出来事を伝えた。夕夏はその一部始終を聞いて、安堵したといっていた。
『明日、もしかしたら頼ってくれるかもしれない』
そういうと、夕夏は
『大丈夫。備えはばっちしだよ!』
と言った。
すっかり暗くなった、この時間の空。はぁっと息を吐くと白く染まるその空に、淋しさのような、切なさのような。そんなものを感じた。
この切なさを閉じ込めて居たくて、筆を執った。けど最初の五文字、月を表す文字が見つからない。携帯を取り出し、十一月について調べた。調べたところ、十一月は「霜月」と呼ぶそうだ。
霜月……。月が浮かぶ闇夜に、白い霜のような息が広がる。なんてイメージ通りなのだろうか。日本語というものは、学べば学ぶほど美しい。
霜月の 夜に広がる 小さな白 曇る空気が 切なく散りゆく
やけに詩的に映る空。都会の光に揉み消された星が、少しだけ目立とうと頑張っている。その姿に、俺は切なさを感じるのだろうか。
そう思いながら、前を向く。息を吹くと白く染まるのが楽しいと感じるのは、俺の心が童心に帰ったからだろうか。
次の日の部活動。ひばり先輩は、来なかった。
学校には来たらしいのだが、顧問に体調不良を訴えて帰ったらしい。その話を聞いて、俺と夕夏は目を見合わせ、心配を顕著に表した。
その日は外に出る話をしていた。けど、俺も夕夏もそんな気になれなくて、その日は部室で活動をすることにした。いつもなら、強い言葉でぶつかる室内研究も、今日は通夜のように静かなものだった。あまりにも静かだから、あまり好ましく思っていないらしい部員の「いつもこうならいいのに……」という呟きすら、俺の耳は拾い上げた。
「……夕夏」
「なに?」
夕夏は、ひばり先輩のことを知ったとき、一番落ち込んでいた。結局あたしらのことは、頼れなかったのかなと言って。伏せた目から、力になれなかったという悲しみがありありと見て取れた。
顧問も心配し「今日はたまたま、体調不良だっただけだから」といっていた。それでも、夕夏の靄は、晴れなかったようだった。
「あのさ。俺も心配だし、先輩の家とか、行ってみる?」
「あたし、住所わからないんだけど……。あんたわかるの?」
「いや……」
あまりにも見切り発車な慰めをしてしまった……。彼女の悲しそうな顔が、一層深くなるように見えて、心が痛んだ。
昨日のひばり先輩の状況を、夕夏は知っている。だからこそ、そんな状態の先輩が帰ってしまったことが心配で仕方ないんだろう。そんな状態で、いい短歌を詠めるわけがなかった。夕夏はとうとう、一回も短冊を取り出すことなく、今日の活動を終えた。
「お疲れ様でした……」
か細く、やつれたような挨拶。その挨拶を聞くのは、本当に心に来るものがあった。
「……あの、俺も帰ります!」
心に来るから、そのまま帰る様子を見ることができなかった。
「夕夏!」
「香月……ごめん、心配させちゃったかな」
「全然、そんなこと……」
夕夏のそんな顔見たら、嫌でも心配してしまう。口ではしていないなんて言っても、やっぱり夕夏が落ち込んでいたら、心配してしまう。
夕夏は、いつも帰る時よりも明るんでいる空を見上げる。マフラーを巻いても寒さを忍ばせるような冷たい風が、見上げた髪を靡かせる。物憂げな金木犀。こんな金木犀は、嫌いだ。
「ねぇ、香月」
「なに?」
「ぶちょー……。あんなに頑張ってたのに、やめたりしないよね?」
それは、質問じゃなくて、希望に縋るための言い訳だ。部室に遅くまで残る程頑張って、自分の何かに真っ向から向き合って、悩んでいた部長。きっと、夕夏からすればその姿は、創作をやる先輩として、目標にすべき姿で、手の届かないのが嬉しいと感じるほど、高みにいてほしかった憧れだっただろう。
そんな先輩が、部活動を放り出して帰った。やめてしまうのではという邪推をしてしまうのはわかるし、不安を拭いきれない気持ちは痛いほど共感する。
「……きっと大丈夫だよ。あれほど、小説と向き合っていたんだから」
「うん……ありがと」
昨日の先輩の姿と、今の姿が重なった。多少は晴れて、けど拭いきれない何かを抱えて、悩む姿が。ひばり先輩のその姿もつらかったけど、夕夏のその姿を見るのは、もっとつらかった。
そうして、二人して暗い気持ちを抱えたまんま、校門に向かっていた時だった。
後ろから、男子の力で小突かれた。
「うおっ!って勇次?」
「よ、香月」
小突いてきたのは、白い砂にまみれた、ユニフォーム姿の勇次だった。コートを見ると、そこでプレイしている選手は誰一人いない。恐らく、休憩時間かなんかなのだろう。
「どうしたんだよ」
「ああ、それがさ。さっき文芸部の部長さんが来てな。どうも『部活動の様子を見学させてください』って」
俺と夕夏は、目を見合わせて「え?」と言った。だって、その部長であるひばり先輩は、体調不良を訴えて帰ったはずだから。
勇次は、それからひばり先輩が何をしていたかを教えてくれた。曰く、先輩は部活動を見ながら、必死にメモを取っていたらしい。最初は、心変わりしてサッカー部のマネージャーでもするのかと思われたらしいが、三十分ほど見学した後、浮かない様子で帰っていったそうだ。その姿は容易に想像できた。何を目的にしているのか、それはわからないが、何も収穫を得られなかったのだという事は、勇次の語る先輩の姿から容易に想像できた。
「だから、部活でなんかあったのかなって思って」
「う~ん……。まあ、当たらずとも遠からずって感じかな」
「そっか。まあ頑張れよ」
心地のいい後押しのあと、勇次は練習へと戻っていった。
「なんか、前見た時とは雰囲気が違うような……」
「まあ、色々あったんだよ」
少しだけ晴れた気分で、俺はまた帰路についた。勇次がこうして背中を押してくれたように。俺も、ひばり先輩の背中を押せてたらいいな、と希望を抱いた。
そうして、俺と夕夏が帰ろうとしたときだった。後ろから、大きな声が響いた。
「待って!香月くん、夕夏ちゃん!」
「「え?」」
その声は、もう帰ったはずの声。俺らを呼んだのは、すでに家にいるはずのひばり先輩だった。
「ぶちょー、帰ったんじゃ……?」
「あの……部活、勝手に休んだのはごめんなさい」
そういって、急に頭を下げた。呆気にとられた俺らが、頭をあげてください、という前に先輩はこちらを真っすぐ見た。覚悟を決めたような、腹をくくった顔だ。
「……私に……私に、『挫折』を教えてください!」
そういって、先輩は頭を下げた。
なるほど。先輩が、俺らに悩みを打ち明けるのを躊躇った理由が、わかった。




