こんがらがる立場に、痛々しい誤解
『今日は遠出して公園まで来たよ!うおおおお!紅葉がチョー綺麗!』
という文言と共に、紅葉と自撮りしている夕夏の写真が送られてきた。無断でバックレた相手に慰めとは、本当に変わった女だと思った。
そんな文を、俺は教室でボーっと眺めていた。クラスメイト曰く、夕夏が迎えに来たらしいが、俺は狙ってそのタイミングでトイレに籠った。やがて誰もいなくなった教室で、俺はただ黒板を眺めていた。
頭の中ではずっと自問自答を繰り返す。問題は「俺は何をやるべきか」回答はすべて、丸をもらえずにはねられていた。サッカーをやるべきだと結論付けても、夕夏と先生には何といえばいいのかわからなくて、バツ。短歌をやるべきだと結論付けても、ああして部員と衝突してまで俺をサッカーに誘ってくれた勇次を裏切ってしまいそうで、バツ。もはやそこに、俺の本音なんてどこにもなかった。
「……あ、やっぱりいた」
不意打ちで、外から聞き覚えのある声が聞こえた。
廊下を見ると、そこにいたのはひばり先輩だった。胸に辞書を抱えて、不思議そうにこちらを眺めていた。恐らく、図書室の帰りにこの教室を見に来たのだろう。
「一応、さっきサッカー部のほうも見たんだけど、いなかったからここしかないかなって思って」
「……聞いてないっす」
「あらそう?」
ちょっとした反抗だった。それをわかっているのか、それとも鈍いだけなのか。先輩は微笑んでそういい返した。
「……部活、嫌になっちゃった?」
「それ、は……違いますけど」
それは違う。むしろ、やりたいとまで思っている。けど、やるには今、あまりにも気持ちが中途半端だ。
いっそ自分が二人になってくれればと思った。二人になれば、気兼ねなく俺は短歌がやれるのに。
「じゃあ、どうして?」
「……俺、浮気が嫌いなんで」
「浮気……?」
それを聞いて、先輩は不思議そうな顔で首を傾げた。さらりと揺れる髪に目を惹く。
多分、それを先輩は察した。察したから、すごくいたずらな笑顔をしだした。
「え~?私、夕夏ちゃんのことは裏切りたくないなぁ~?」
「ちょっ、違いますって!どっちも!」
慌てて弁明すると、先輩は無邪気な笑い声を出した。
「夕夏ちゃんが言った通り。香月くんはいじりがいがあるね」
と言いながら、先輩はクラスに入ってきた。何の匂いかわからないけど、優しい甘さが先輩にはまとわりついていた。
「それで?こんなところで何してるの?」
「……短歌詠んでました」
「あら、嘘ばっかり」
一応、今までの会話の中で嘘はこれだけだったんだけどな。そう思うも、後ろめたさからそれを言い出すことができなかった。
ひばり先輩はいい人だ。明るくて、おしとやか。希望に満ちてて、文学少女ゆえの優しい雰囲気を持っている。先輩を困らせてしまったのは、少し申し訳なさを感じる。
「まあいいけど。君が体調悪いわけじゃないってわかってよかった」
先輩は本をめくりながらそういった。どうやら、ここで読書をするつもりらしい。部長の横で、俺は色紙を取り出すことなくただ俯いていた。
ぺらり、ぺらり。外の運動部の大声と、吹奏楽と軽音部の演奏。そこにところどころ挟まる紙の音に、徐々に気持ちが落ち着いてきた。そこで、俺はそれぞれを冷静に考えてみることにした。
ボールを蹴る姿を想像してみた。少しだけ浮かぶ白い雲に、空を覆いつくす青い空。白んだ日に照らされるグランドは、俺たちの熱気と相手の熱気が渦巻いていた。そこで俺は、エースストライカーとしてユニフォームを背負う。脛当ても万全、控えの仲間たちとも言葉を交わし、試合に臨んだ。
「香月!頼んだ!」
その指示と共に、俺の足にボールが転がってくる。完璧なパス、がら空きの目の前。一本の筋が見える。ゴールへの道だ。周りも見えるし、声援も届く。
ボールを右に左にと振り回す。三人を抜いて、そのままゴールに———
その瞬間、俺の視界が大きく揺れた。それと同時に、足に鈍い感覚が走る。
そのまま体が吹き飛んで、ボールはコートの遥か外に蹴りだされた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そこまでビジョンを見た時、やっと俺は静かな教室に戻った。大声が周りの音をかき消して、何も音がなくなった教室に汗だくの俺の荒い息だけが響いた。戻った教室をゆっくりと見渡すと、本を落とした先輩が、ぽかんとこちらを見ていた。
「……帰ります」
「え、え?」
困惑する先輩を置いて、俺は帰るようにこの教室から逃げた。多分先輩は、状況理解できずにそこで呆けていただろう。予測形なのは、その姿を直視してないからだ。
おぞましいものを見た。ただの希望的な想像だったのに、なぜか俺の足は蹴られ、またも再起不能にされた。心の奥底に刻まれた記憶の根強さを体感して、背筋を凍らせた。
急に大声を出していたたまれなくなったのもあったけど、主な理由は先輩に悟られたくなかったからだ。あの大声を出すまで、静寂な教室で俺が何を見たのか。問われ、悟られ、無責任な同情が飛び出てきそうだったのが嫌だった。
下駄箱で靴を履き替え、なるべく何も映さないように立ち去る。きっと今映す学校は、今までと比べて自分でも引くほど濁っているだろうと思った。そのことが、極端に、怖かった。
俯いて、それでも足りないから靴だけを見るようにした。周りの声も雑踏も、すべてシャットアウトして校門へ向かった。だから、俺は転がってきたトラウマに気付くことができなかった。
「すみませ~ん!ボール行っちゃいました!」
その大声と共に、俺の足元にこつんという感触があった。シャットアウトしていた耳にその声が届いた理由は、俺が慣れ親しんだ、チームメイトの声だったから。
思わず、そのボールを蹴り返した。右足だけを使って、ちょっとしたリフティングをして。
「ありがとう……って、香月?」
「勇次……」
ボールを受け取った勇次は、練習そっちのけに俺に話しかけてきた。泥にまみれたユニフォームが、羨ましい。
「香月、その……けがは?」
「これくらいなら平気だよ。全力で走るのは、できないけど」
「そっか……えぇ~っと……」
勇次は、またこうして普通に話せることの喜びと、間に流れる気まずさを感じさせる距離感に対する悲しさ滲み出していた。
募る話もあるのだろう。次に何を話すべきかと考える素振りを見せた瞬間、遠くから監督の怒号が響いた。
「勇次!何さぼってるんだ!」
「やっべ!」
俺の顔を見てから、勇次は走って戻った。何も言わなかったのは、多分俺の顔を読んでくれたからだろう。
駆けだしてコートに戻る勇次を見た。三年生は引退を目前にしており、練習にはより一層気合が入っている。勇次も、それに食らいつこうとするような目でボールを追いかけていた。キラキラと舞う汗を想像するたびに嫉妬した。いいな、羨ましいなと。
呆然と立ち尽くして、コートの外からサッカーを眺めている。目と鼻の先のサッカー、なのにこの手は、どれだけ伸ばしてもそこに届かない。そのもどかしさを感じたくないから、ただ呆然と。
そうしていると、隣から誰かが近づいてくるのに気が付いた。ゆっくりと目を移すと、原監督がこちらに向かってきていた。校内にいる時とは違い、部活動のジャージを着た姿を、俺は前までよく見ていた。
「何をしている?」
原監督はただ、それだけ伝えて俺の答えを待った。余計なことを一切言わないその姿は、狙わずしてか、威圧感を放つ。
何をこたえるべきか悩んでいると、原監督は何も言わずにコートのほうを見た。
「……戻りたいのか」
「え……」
まさかの、発言。あまりにも予想外すぎて、言葉がつまった。
「戻りたいと思うなら、戻ってきてもいい」
「……」
「だが」
監督は、コートを見ていると思っていたが、どうやらそうではなく、一人の部員を見ていたようだった。
「……勇次に説得されて、という理由なら、戻ってくるな」
「っ!?」
全て、筒抜けだった。筒抜け過ぎて、俺の気付いていない気持ちさえも気付いていた。この気持ちが、説得されたからか。それとも、もともと心の奥底で思っていたことか。それには、いまだに気付けない。
これがどちらかに気付くには、どうすれば……。
そう一人で悩んでいると、原監督はまた口を開いた。
「わからないのなら、感じろ。この輪に飛び入って、関わって。自分にとっての居場所がここかどうかを、感じろ」
感じろ。この一言が、俺を突き動かした。改めて、この目の前の大人は尊敬できると思った。
「……はい」
だから、俺は彼の言うとおりにした。
一度外れた群れの中に、身を投じることに。
飲み物を用意しながら走り回る彼らを見る。ジャージに着替えて、一応マネージャー業の体験入部ということで仕事をしていた。
「勇次、お疲れ。いいシュートだったぞ」
「ああ、止められちまったけどな」
「いや、ほんと紙一重だったぞ。練習すれば、絶対抜けるって」
ありがとう、と言いながら、勇次はまた練習に走っていった。腕に乗る飲み物とタオルから垂れてくる水が、冷たく俺の腕を這った。
こうして、近くでサッカーを見ると熱気が直に伝わってきた。レギュラーも控えも補欠も。みんながみんな、それぞれの役割を果たして、一つの目標に向かって支え合いながら、競い合って目指していた。
やっぱり、楽しそうだな。
心の底から、そう思う。何かを全力で駆け抜ける人たちは楽しそうだ。そしてその姿に、俺は少し前まで入っていたのだ。
練習は、実践に近いものに変わっていた。しのぎを削り、競争し、その中で助け合って互いの力を高め合っていく。運動部特有だと思うが、彼らは打ちのめされるほど、上達していくのだ。
「おい!そこはパスじゃねぇ!んなに自身がねぇならボール蹴るな!」
「すんません!」
厳しい声が飛ぶ。言われた彼は、すごく悔しそうな顔で先輩を睨んでいた。きっと、内心で今に殺してやるとでも思ってるんだろう。俺なら、そう思う
ピリッとした空気を崩さず、全員で気を引き締めて。誰一人欠けることなく目指す姿は、なぜか夕夏と一緒に短歌を詠んでいた時と重なった。思ったより、俺は短歌に執心していたのか?と思った。
やがて日が傾き、部活動の終了のチャイムが鳴った。俺は、彼らサッカー部が駆け回る姿をずっと目で追っていた。
「ありがとうございました!」
と共に頭を下げ、練習が終了した。ぞろぞろと帰り始める彼らから、俺に対しての言葉は一つたりともない。思った以上に、俺は彼らから嫌われてしまったみたいだった。
「香月!一緒にかえろーぜ!」
ただ、一人だけ。全く関係が変わっていないように接してきた。他の誰でもない、勇次だ。泥のしみ込んだユニフォーム姿で、一緒に帰宅することを提案してきた。
彼とは帰る方向がほぼ同じだ。電車に乗るか乗らないかくらい。前までは、よく一緒に帰っていたことを思い出す。
「ああ。一緒に帰ろうか」
パッと明るい顔で「じゃあ着替えてくるから、駐輪場で待っといて!」と言って走り去っていった。俺も帰る準備をするため、カバンの中に色々と仕舞った。
コートに一礼して、駐輪場に向かおうとした。
「……香……月?」
「あ……」
コートを出て、丁度公園から帰ってきたであろう夕夏にばったり会ってしまった。
何も後ろめたいことはない。部活はやめてないし、今だって、元部活を手伝っただけと言ってもいい。けど、俺はこれを後ろめたいと思った上での行動だったから、何も言えなかった。
黙って、あ、とだけ呟いた俺。それだけ呟いて、サッカーコートから出てきたジャージ姿の俺。誰から見たって、俺はサッカー部に戻ったようにしか見えなかった。
俺の姿を見て、夕夏は寂しそうな笑顔を浮かべた。口角と対照的に下がる目じりが、俺の心をえぐった。
「……そ、っか……」
「あ、ま、待っ」
俺の言葉に耳も貸さず、夕夏は走って校舎の中に戻ってしまった。走り去る風圧に乗った金木犀の匂いが、急激に遠のく感覚に思わず手を伸ばしてしまう。
俯いて逃げるように走り去る姿を見ながら、俺は伸ばした手をゆっくりと降ろしてしまった。
「んお?どした?」
「………なんでも」
そういうと勇次はそっか、と言って駐輪場に歩いて行った。降ろした手の先、やけに遠く感じる校舎に、夕夏はいつの間にか消えていた。四階を見ようとして、その資格がないと思って、やめた。
勇次のそっかにすら、夕夏のそっかが重なった。あまりにも刺さってしまったそっかから逃げたくて、携帯を眺めた。つけた拍子に夕夏のメッセージが表示される。
大きく映っていた夕夏の写真が、新たな居場所と共に消えていた。




