曇った景色には届かない理想ばかり
あの後から、明らかに俺の目に映る世界が歪んだ。輝かしく映したいのに、どこかに靄が掛かるような感覚。靄に濁った世界は、とてもじゃないが映したくないものだった。
「なぁんか……あんた最近、曇った顔してんね」
「え?い、いや……」
否定しようとするが、しきれなかった。彼女には、俺の見る世界が曇っているのがバレバレだった。
「実は……サッカー部の仲間と、ちょっと……」
「えぇ……絡まれたの?」
「いや、絡まれたというか……」
絡まれたというものではない。むしろ、彼からは心配された。
彼にとって俺は、まだサッカーが大好きで、未練が残る前の俺なのだ。前の俺のように理想しか見ないあまり、現実が見えていない。それはちゃんとわかっていたのに……。
「……夕夏」
「ん?」
「どうして、誰に言われたって本気で取り組みたいって思う割に人間は、周りの目を気にするんだろうな」
「えぇ、急に哲学ですか?」
そう困惑するのも無理はない。というか、むしろ普通の反応だろう。
俺の抱えるこれは、少なくとも夕夏に共有して解決していいものじゃない。俺が過去ときっぱり決別しきれてないが故引き起こした問題だ。それがわかっているから、俺は余計に辛いのだ。
「じゃあ先行ってるよ!」
教室の入り口で痺れを切らした夕夏が、そういって部活に向かった。それを俺は、ついていくことなく窓際で聞き流した。
外を眺めながら、俺はもうめっきり関わらなくなったサッカーに目を惹かれていた。
かつての先輩、同級生、監督、マネージャー。立場、姿は違えど、その目標は一点を向いている。かつては俺も、彼らと同じ点を見つめていた。
「何見てるんだ?」
声のほうに目を向けると、教室の入り口に勇次が立っていた。ユニフォームにカバンを背負って、なのに部活に行かずにここにいた。
「なんでも……」
苦し紛れにそう答えると、勇次は何も言わずに走っていってしまった。数瞬の来訪のあと、また静寂が訪れた教室から、目を先ほどと同じ方に向けた。
走って練習に参加する勇次を見てから、勇次のプレイに目が釘付けになってしまう。正直言えば、巧いと言い切れないプレイだが、気迫に満ちた素晴らしいプレイだと思う。
ふと、手元にある色紙を指でなぞった。手中にある確かな輪郭をなぞりながら、幻想のように思える風景を、その輪郭に閉じ込めようとしたのだ。
汗染みる 想い纏って 盲目に グランドの眺め 握る手の汗
閉じ込めて、眺めた。けれどそれじゃ足りなくて。もう一枚取り出して、また閉じ込める。けれどそれも足りずに、またもう一度。
繰り返して、繰り返して、何度繰り返しても気が済まない。部活動用に貰った数十枚の色紙が一瞬で消え去った。数十枚にもわたって閉じ込めたのに。あの努力と苦労を血反吐たちに込めるような思いを、うまく閉じ込めることができなかった。
「……はは、俺何やってんだろ」
全て使い切って、乱雑に散らばる色紙の写真を眺めながら苦笑いをこぼす。一体、俺は何がしたいのだろうか。
あれだけすべてを賭けたサッカーをきっぱりと諦めて不貞腐れて。きっと俺はサッカーに携わる資格を、そこでなくした。
だというのに。俺は今、未練がましくそのサッカーを映しだし、閉じ込め、そのサッカーに携わっているという錯覚を得ようとしている。そのことが酷く醜く感じて。俺はこの日、部活に行くことなく帰ってしまった。
ティロンと携帯が跳ねる。枕横の携帯をちらりと確認して、夕夏と表示されたのを見て電源を落とした。
今日たまたまいかなかった、とでもいえば多分明日からいつも通り部活に参加できただろう。ただ俺には、そんな元気が湧かなかった。サッカーへの未練を感じてしまった俺に行く資格があるのかなんて思ってしまうのだ。
「……俺、どうしたいんだろ……」
もう俺が何を望んでいるのかがわからなくなった。光を照らしてくれた短歌を裏切る?そんなことができるわけない。でもだからと言ってサッカーを吹っ切れるかと言われると、首を傾げてしまう。
二つ同時にできないと思いながら、二つ同時にと何度も思考をまとめてしまいそうになる。短歌を裏切っているような、そんな思いが息を詰まらせた。浮気なんてしてる人は、こんな思いに耐えているのだろうか。
「香月~。ご飯よ~」
「……」
返事も起き上がることもできなかった。下から寝たのかしらと呟くのを聞いて、少し罪悪感。
目に映る世界は、絵の具を片っ端から混ぜたようなぐちゃぐちゃに塗りたくられた日の沈みかけた黒い世界。空に薄く広がるような赤と青は、黒と混ざり、さらにぐちゃぐちゃな色を演出していた。
布団の上からカバンに手を伸ばし、ペンと短冊を探った。頭の中に浮かぶ三十一文字を外に吐き出したかったからだ。だが、どれだけ探っても短冊が手に触れない。十分ほどカバンを手で探し回って、それから俺はあの空虚な憧れに全て使ったのを思い出して、探すのをやめた。
目から、涙が一滴垂れる。もうこれが、短歌になのかサッカーになのかわかんなかった。




