影の仕掛け人
カイルとリットは東の森の外縁に逃げ込み、月明かりが木々の隙間から差し込む場所で足を止めた。リットは息を切らし、木の幹に手を突いて森の奥を振り返る。黒い霧は薄れていたが、赤い光が消えた後も重苦しい空気が漂っていた。カイルはフードを軽くずらし、鋭い目で状況を見極めた。
「何だよ、あの霧……あんな気味悪いもん、見たことねぇぞ」
リットが震える声で呟くと、カイルは静かに答えた。
「血脈石が暴走したんだ。あれは魔力を吸い込む性質を持つ石で、昔、強大な力を封じる術に使われたものだ。商会がそれを使って何か企んでるのは確かだな」
リットは目を丸くし、カイルに詰め寄った。
「血脈石? お前、そんなことまで知ってんのか! 一体何なんだよ、ほんとに!」
カイルは薄く笑い、懐から羊皮紙の端を覗かせた。プロローグでフードの男から受け取った「影の継承者」の証だ。
「この世界の裏側を少し知ってるだけさ。表じゃ英雄が讃えられてるが、真実は影が動かしてきた。俺はその流れを引き継いだに過ぎない」
リットは呆れたように息を吐き、地面に座り込んだ。
「わけわかんねぇ……でも、兄貴が攫われたのがその石のせいなら、商会を許さねぇ。お前、次はどうすんだ?」
カイルはリットの隣にしゃがみ、冷たく光る瞳で森を睨んだ。
「商会を潰す。だが、真正面から挑むのは愚か者の道だ。影から全てを握り潰す――それが俺のやり方。今夜の騒ぎは格好の手がかりだ。お前と俺で、もっと大きな一手を打つぞ」
リットは少し目を輝かせ、カイルを見上げた。
「大きな一手? 何だよ、それ。なんか面白そうじゃねぇか!」
カイルは立ち上がり、グレンフォードの街を見下ろした。
「商会の上層部を炙り出す。お前はトムにくっついて内部の動きを探れ。俺は別の角度から奴らの弱みを握る。貴族が絡んでるなら、そこを突くのも悪くない」
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翌朝、リットはトムと再び合流した。東の森での騒ぎは下っ端には知らされず、トムはいつも通りの不機嫌な顔でリットに命令を下す。
「お前、昨夜は使えたじゃねぇか。商会が気に入ったらしい。今日は街の中で荷物運びだ。さっさと動け」
リットは内心でほくそ笑みつつ、素直に従った。馬車に積まれた箱は血脈石ではなく、妙に軽く、中で何かが揺れる音がする。
(偽物か? 上層部が何か隠そうとしてるな)
カイルの指示通り、彼はトムの動きを観察しつつ、商会の手下たちの会話を盗み聞きした。
「上層部が明日、街に来るってよ」
「森の失敗を誤魔化すために、貴族に金を渡してるらしいぜ」
その頃、カイルはグレンフォードの貴族街に潜んでいた。石造りの豪華な屋敷が並ぶ一角で、彼は「影の耳」と「影の視」を駆使して情報を集める。
ある屋敷の窓辺に立つ太った男が、黒蛇商会の刺繍が入った袋を手にしていた。中には金貨と、小さな血脈石が一つ。カイルの視界が袋の中を捉え、男の呟きを拾う。
「商会の上層部が明日来るだと? 血脈石の取引を急げと言うが、衛兵が騒ぎ出してる。面倒なことだな……」
(商会が貴族を金で黙らせて、森の失敗を隠してるのか。面白い構図だ)
カイルは敵の不信感を利用する策を思いついた。影に潜みながら、敵を自滅に導く――それが彼の得意技だ。
「影の声」を使い、リットに指示を送る。
「リット、トムにこう言え。『昨夜の森の騒ぎ、貴族が嗅ぎ回ってるって噂だ』ってな。あいつの反応を見る」
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リットは馬車を停め、トムに近づいた。
「おい、トム。昨夜の森の騒ぎ、貴族が嗅ぎ回ってるって噂だぜ。商会、ヤバくねぇか?」
トムは目を鋭くし、リットを睨んだ。
「何!? どこで聞いたんだ!?」
「市場の奴らが噂してた。衛兵も怪しんでるってさ」
トムは舌打ちし、慌てて馬車を離れた。リットはカイルの指示通り、その背中を見送る。
(上に報告に行く気だな。うまくいくか、カイル?)
カイルは屋根の上でトムの動きを確認し、次の仕掛けを準備した。彼は「影の視」で貴族の屋敷に戻り、血脈石の入った袋を特定。そして、新たな能力を使う。
――「影の手」。影を通じて物質に触れず操作できる、「影の継承者」の力の一つだ。
カイルは袋から血脈石を抜き取り、代わりに見た目だけ似せた偽物の石を仕込んだ。本物の血脈石は懐にしまい、貴族が気付かないよう完璧に偽装した。
(これで商会と貴族の間に溝ができる。混乱は俺の味方だ)
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その夜、カイルとリットは酒場の裏で再会した。リットは興奮気味に報告する。
「トム、上に報告に行ったよ。商会が慌てて貴族と連絡取ろうとしてるらしい。血脈石の数が合わねぇって騒ぎになってるってさ!」
カイルは満足げに頷いた。
「良い流れだ。貴族が商会を疑えば、奴らの結束は崩れる。俺が血脈石を抜いたおかげで、上層部が来る明日が一層面白くなる」
リットは目を輝かせ、カイルに詰め寄った。
「お前、すげぇな! どうやったんだよ! 俺にも何かやらせろって!」
カイルは笑い、リットに新たな役割を授けた。
「お前は商会に残って、混乱を大きくしろ。『貴族が裏切った』って噂をさりげなく流せ。俺は上層部が来る時に、影から仕掛ける。奴らが自ら墓穴を掘るように誘導するんだ」
リットは拳を握り、初めて自信に満ちた笑みを浮かべた。
「兄貴を攫った奴らに痛い目見せてやる。お前と組んで良かったぜ、カイル!」
カイルはフードを深く被り直し、夜の闇に消えた。
「まだ序盤だ。影の支配は、ここからが本番だぜ」