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軍は進止あって奇正なし(孫子兵法はふまえたうえであえて正面突破)

 きっと話しかけてしまったらこの恋も醒めてしまうかもしれないのに。

 だから行動なんてできなかったのに。



 恋心のまとわりつくヒールというものは奴隷の鉄球より重いものと知りました。

 胸は激しく打ち脂汗滲み身体は強敵を前にした時より震えています。



 彼がいます。



 騎士仲間と談笑していますが、いかにお話いたしましょう。

 園遊会は名目上は身分や立場を気にせず楽しめる場とされますが、普段のフォーマルな会ならば身分の低いものは高いものに自ら話しかけてはなりません。

 騎士とわたくしども文官なら同格、ムラカミ陪臣家なら子爵家相当かそれ以上……最悪奥様が紹介してくださるそうですが。


 振り向くと奥様と同僚たちが拳を握って見せました。


 少しはしたないのですが皆さんいちいち可愛いです。

 恋しちゃうじゃないですか。

 やめてくださいませ。


 周りに気づかれました。

 ツンと知らないふりをする奥様以下。

 可愛すぎます。



 愛刀である苗刀は実家に置いてきていますし、ヒールで足元はふらふらしますし何よりあちこち痛いし、肌に吸い付くドレスは首まで捲れ上がっていきそうで。


 この服装やはりおかしくないでしょうか。

 彼に痴女と思われたら立ち直れません。



 歩くたびにアクセサリーは揺れますが心臓の動悸の方が深刻です。


 芝を踏む匂いに早くも咲き始めた春の小花たちを避ける気遣いも忘れた私はまるで子供のように頼りなく何も持たない存在のように感じます。


 3呼の距離。剣なら必勝なのですがこれは踏み込めません。



「おや、君は侍祭様のところの」

「ひゅえ!?」


 ダッシュで奥様と同僚たちの元に逃げ帰ろうとして振り向くまえにヒールが折れました。

 借り物を汚すわけにもいかず手首をついて。


「まるで軽技だな」

「見事なワザマエ」


 ほう。人々がため息を立てて拍手を下さるのはそれより遅れました。

 は……は……恥ずかしいっ!!



 彼と談笑していた騎士は太陽王国出身のようです。

 前に刃を交えたことがありますゆえ。



「君は司教様の奥の」

「かの節はどうも」


 平然と自分の首も国の命運をも意に介さない姿勢に豪胆さを感じます。


 彼は『掴んで離す』固有魔法を用いる強敵でした。

 正直彼の方が『色々と』話しやすい気がします。



「紹介させてくれ。私の友人だワイズマン」

「家の名前はやめてくれ。ジェイと呼べよ」


 私はジェイ様のお名前すら存じず、奥様やニノスケが調べてくれました。私の長年の懸想と彼の名前を知りたいけど知りたくないという葛藤はなんだったのでしょう。

 そして奇しくも今回奥様のお力添えなく、かつて奥様を狙った暗殺者によってわたくしどもは対等に話すことが叶うことに。



「太陽王国からの亡命騎士、ソラ・ウルド『つかむもの』だ。美しき剣士。君の苗刀には惚れた。あれは剣でありながら槍にして棒にして弓。あなたは太陽王国における美の化身『シーラ』の薙刀も敵わない華麗な閃光そのもの。よければ名前の方も知りたい」



 急に近づいて(※おそらく彼の固有魔法です)センスのない口説き文句を耳元に囁く彼に泡立つ肌を悟られまいとし、距離をとって改めてカーテンシーの真似事をします。

 このようなおぞましいドレスでカーテンシーはできません。



「何を口説いている。ソラ」


 呆れている彼にウルド『つかむもの』卿は「いいじゃないか。彼女は最高にいい女だぞ。おまえの妻にどうだ」と思わぬ援護射撃をくださいます。


 ちなみに、わたくしの扱うミンの武術にも火縄の技はあります。モウコとの戦いの時代のてつはうより強い火縄を我々はかの他に伝えたとのことです。



 わたくしが窓辺から憧れの目で見ることしかできなかった、彼の美しい微笑みが曇ります。


「妻……? 次男坊だぞ。私は。いつ果てるかわからぬ騎士の身で妻帯など」


 ずきん。


 逃げ出したくなるのに、なんか彼らの後ろでニノスケが珍妙なダンスをして笑いをとっています。


『がんばれ』


 甥よ。いつ入ってきましたか。

 尻で字を書くのはおやめなさい。


 励ましは有難う。

 後で御礼しますね。

 対苗刀剣術をみっちりと。


「それに兄上だ。病弱とはいえ兄はやり手。弟として彼を支えて」

「あーもういいもういい。それよりも司教様の奥のところのこの娘だ。ホントにいい女だぞ。美しき剣士よせめて名を教えてくれまいか。墓石に刻む敵の名としてあるいは妻の名として」



 友人に向ける彼の表情は呆れに変わります。

 表情が豊かでとても愛らしい方です。


「おまえ、人にいい女だ友人だとか言って紹介しておきながらその実、名前も知らないのか」

「ははは。美しい花こそ姿を知ること叶わず残香追い求め名を問えぬものよ。そして聞けばもったいない」



 ウルド『つかむもの』卿は本気でしょうか。


 思わぬ闖入者に奥様と同僚たちが親指だけでブーイングしています。

 茶の香りを楽しむそぶりで談笑しながらです。


 そして女装したシナナイが案の定、文官や騎士たち商人たちに囲まれて身動き取れていません。


 (ニノスケ)よ。叔父(シナナイ)を助けに行きなさい。

 あなたが連れ出したのでしょう。



 弟の貞操については彼の努力に任せるとしまして、奥様とて若き頃は朝焼けから日没まで剣をふり馬を駆り夜は軍学にと文字通り明け暮れた時期があり、決して容易に暗殺できるはずございませんが、ウルド『つかむもの』卿は強敵でした。

 私、奥様の肌に傷つけようとしたことは許せずともこの機会を譲ってくれた彼にある種の友情を感じるのも確かです。



 ああこの瞬間をいくたび夢に。



「ムラカミの子ミツキ。侯爵の陪臣。今は助祭にして王宮騎士であらせられる竜胆りんどう夫人のめしつかい」

「ワイズマンだ。ジェイと呼びたまえ。君は友の友ゆえに。いつも二階の窓に美しく香り高き花を活けていた子だね」


 彼は私を存じていらっしゃった。

 あまりの幸せに溢れそうになりました。



「あの白い花、蘭だったかな。今でも思い出す」

「おまえが花好きだとは意外だな。あれは『りゅうをはぐくむたいりん』という新種だったな。確か陛下に献上されたものと同じ花だ。竜胆夫人のお部屋にも活けてありさすが司教様だと思ったがな」


 ウルド『つかむもの』卿。

 彼は確かに良きともです。



「ソラ。おまえ、相変わらず夫ある女には詳しいな。どれだけ罪を重ねたか、ご婦人の前ゆえ聞かぬが後でみっちり説教してやる。酒精の盃で」

「ククク。まぁな」


 かれは暗殺者なのですからそれくらい。

 とはいえ終わったことです。



「遠征から帰ってくるたび、窓の上から可憐な花を活けている女性を見た。ある時は赤。ある時は黄色。部屋から薫るような素晴らしい花たちだ」

「おまえも詩人ではないか」


 仲良しさんですね。ちなみにワイズマン家の長子が病弱なのは弟が毒を盛っているからという噂があります。

 知らないことが多い方が幸せということはたくさんあるのです。



 そこに弟たちがやってきました。


「やあウルド『つかむもの』卿」

「武勇のほど私どもいやしき平民や海賊にも」

 二人はがっつりウルド『つかむもの』卿の肩を抱きます。

「ところで先に我が姉に剣術と固有魔法……たしかお国元ではスキルだとかギフトだかいうと聞くが……その手ほどきをしていただいたそうで、我々年少者にも是非とも」



 ムラカミ陪臣家は子爵相当の待遇を受けている独立戦争の英雄ですので、弟どもの謙遜に反して決して卑しいということございません。そうでなくば私が奥様に仕えることなどできません。


 戦の強敵恋の邪魔者は甥のニノスケと弟のサミダレが連れて行き(どなどな致し)ました。

 きっと薮の中で殿方同士の親交を温めるのでしょう。この場合残念な事にやをいごとにあらずして。


 なお先程貴族や騎士と思しき方々に薮に連れ込まれたシナナイの行方はわかりかねます。

 頑張って逃げて。心の中で姉は合掌していますよ。



 私たちとウルド『つかむもの』卿が親しく見えたのでしょう。

 彼は不思議そうに話しかけてきました。



 それだけで私の心臓は止まりそうです。

 武人をこれほど心乱すとは侮りがたし殿方の魅力。



「うん? 君たちは初対面ではないのか。あいつも隅に置けない。未婚女性に手を出すとは」


 このときわたくしの受けた絶望と屈辱はことばにできるものではございません。


「出されていません。誤解をしないで……ください」



 私の様子がただならぬと感じた彼は慌てて取り繕うと盃をくださいます。


 すこし溢れて酒精の香りがしました。

 彼はたじろくといちど酒盃を下げます。



「婦人に無礼を働いたようですまない。騎士というものは武骨もの。をなごへの配慮が足らぬと兄上にも呆れられる」

「あら、お兄さまのお話がワイズマン様はお好きですのね」


 私は家族の話をしたいとは思いませんけど。



 出かけ際に奥様たちのたくらみを知った父や長兄は『ワイズマンのクソガキ殺す』『あの女はいい女だがクサレ司教は全裸に剥いてやる』と暴れた上に私をエスコートすると言って聞かず大変でした。


 父上に兄様。お互い今が初対面なので少し待ってください。



 改めて彼がすすめてくれた器からは花の香りがします。

 薬草茶ですが毒の類や淫蕩を促すものは入っていないようですね。

 もっとも園遊会でかようなものが使われれば主催者の名誉に関わりますが。



「いいお茶ですね」

「全く。本物は身分いやしき我らにはなかなか口にできない」


 本家より以前送られてきた蚕糞茶(チャンシーシャー)に匹敵する味と香りです。


「ジャムを入れましょうか。暖かいですよ」

「助かる。結構なワザマエだね」


 ジャムの甘酸っぱい優しい香りがさらに加わります。

 陶磁の器は薄く強く白くそして暖かです。


 香気を胸に吸い込み、少し落ち着いてきました。

 席について彼と目線が合います。


 前言撤回。

 落ち着けるはずないです。

 尊すぎるイケメンです。




 藪の中から出てきた弟たちはあちこちに拳骨痕をつけていましたが卿と和解したようです。間違えても配下に加えたいと画策しないでくださいね。


 シナナイは奥様たちに保護されて今度は可愛がられています。同僚が彼に何かふみを渡していましたがはてさて。


 のちにわかりますが同僚の目当てはサミダレでした。


 どこが良いのか姉から見ても理解し難いです。

 未来の歳上の義妹である同僚タマモとの関係は今後構築することにしましょう。

 時々九つの狐尾が透けて見えるは無視するといたしまして。



 これらは後から知ったことなのでこの時の私は正直夢うつつでして、今現在奥様たちから横からきゃいきゃい言われつつ書いているのです。


 やっぱりこの職場のみなさんはかわいいです。



 彼の金髪碧眼。

 まるでいにしえの水の妖婦ニンフたちのような美しいお顔立ちと均整の取れた見事な身体、武人としての身体の扱いや足運びに改めて惚れ惚れします。


 彼も私の目付が喉元になっていることに気づいているようです。


 いえ、武術の癖ではなく、純粋に眩し過ぎて見ていられません。


 遮光眼鏡はないのでしょうか。

 と、尊すぎて窒息死しそうです。



 服の上からもわかる見事な胸筋といい、ズボンからもわかる腿の筋肉の膨らみといいキュンキュンします。



 左のくすりゆびには指輪はありません。

 もっともワイズマン家は魔導士でもありますので身につけていてもおかしくはありませんが。



「苗刀という不思議な武器に優れた娘がいるので探しているとソラが以前口にしていたがきみなのか。とてもそう見えない……と、人は言うだろうね」


 苗刀は華奢に見えて大剣ですからね。

 しかも曲刀で扱いが難しいのです。


 気を体内に張り巡らし自ずから剣そのものとならねば鍛えた殿方にも難しいでしょう。


 特徴としては三の腕(手のひらから肘)と握りが同じ長さなので持ち替えや繰り手の妙に極意があります。


「本当に得意な武器はまた異なりますが、概ね」


 自信があるのはキンナですが、このような場で殿方に見せるものではありません。しかし睦言に武術が役立つのは好みませんね。もう少しロマンチックな話題がしたいのににわか仕込みの知識が出てこないのです。

 やまとのうたならば少しはわかるのですが。



「”やなぐはは するどかれども しなをみたも……”」

(※柳の葉=薙ぐ刃は鋭いと親たちは言いますも、この品=みつるぎよりそれをてにもつ私があなたに寄せかたむくこころを見抜いてください)


 駄句ですね。

 枕詞もなければ情緒もございません。

 本家の一の姫さまはこのような駄句でも喜んでくださいますが。


 まぁやまとのことばが彼にわかるはずもなく。ふふ。



「私も一つだけ知っているぞ。セヲハヤミ……だったか?」

 ……『われても末に あはむとぞ思ふ』

 いえいえ。ありえません。


「”われとこすえに たきわんとぞ”」


 思わず彼のおもてをガン見してしまいました。

 彼は照れくさそうに頬を掻いて「いかんな成金は。どうにも利口ぶっては恥をかく。先祖代々そうだ」とおっしゃっています。



「ひどいですよ。だいぶ違います」

「そうか、まぁ我々についてはこれからだからな。私の商人としてのカンは『買い』だよ」


 帝国貴族が人間をろうそくに見立てるように失礼な殿方ですこと。『百年の恋もひとときに冷める』ですね。


 でも、それなりに彼なりのフォローを感じることはできました。彼は紳士に見えて、少々粗忽なところもあるようで、そこが愛らしく感じます。


 わたくしどもは思いのほか話弾み、楽しい時を過ごせたのです。

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