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やまとの『闘戦経』に曰く、天地の初(プロローグ)

「あなたにも良い人がいらっしゃるのでは」


 私は主人が何をおっしゃっているのかわからず戸惑ってしまいました。


「行儀見習いにしては勤めてくれて長いでしょう。良い人はいないのですか。紹介してあげますよ」


 私はここまで繰り返されてやっと主人の意図をさとり悲鳴じみた反応をしてしまい同僚たちの嘲笑を浴びてしまったのです。



 好きな方はいます。

 あの方が私をご存知かはわかりませんが。


 時々お帰りになる姿をひとみに焼き付けるのみでございます。

 お話なんてとんでもない。

 彼の姿を少しでもみていたくて、王宮勤めに無謀にも挑戦し、人不足もあって今の職に就くことができたのです。



「騎士か、聖職者か、商人ですか。いずれも良い方がいますが、私は死に別れることのある騎士との結婚はおすすめしません。聖職者もあなたには居心地悪いでしょう。平民同士だとはいえ並の文官や商人は独立戦争の英雄でありながら子爵叙爵を辞したかたの娘であるあなたに釣り合いません」



 わたくしども異世界からきたやまとびとの宗教が王国の宗教と違うのはよく知られています。



 かつてワコウと呼ばれしやまとびと300名20の船団、神隠しに遭いこの仙郷を訪れはや三〇余年。


 初代国王陛下の姉君に懸想した当主様以下、義により対帝国独立戦争を戦い抜き半数以上の勇士を失いてすえこの地この国へ根付き今に至ります。


 王国独立に多大な貢献をしたということで教会からはホトケの教えやカミが黙認されていることは一般的な知識に属しますが。



「奥様、私は洗礼を受けましたので」

「そう。それは悪いことではないわ。それでも聖職者の妻はお勧めしないわ。私がそうですから。騎士もそう。兄と父を一度に失ったわ」


 妻と言っても『助祭』という扱いになります。

 子供は処女懐妊とし、聖職者の甥や姪として扱われるのです。

 処女懐妊でありながら伯父がわかるのはまことに不思議ですが。



「どうなのミツキ。あなた好きな方がいますよね」

「い、いいいいいませ……」


 奥様は『天なる主よ。我らを許したまえ』と呟くと。


「嘘つくと解雇」

「ヒイィぃ!?」


 恐ろしいことをおっしゃっています。


 ちなみに同僚は私に面と向かって悪口を言ったり、靴を隠したりするなどの嫌がらせはできません。


 私の実家は海賊衆であり、その娘である私も『あたまおかしいやまとびと』『いくさばか』と見做されており、貴族や聖職者出身の同僚たちには避けられているのです。



「あなたの姪……ミカでしたか」

「我々下々の名まで覚えていただき恐縮です」


 私に奥様は「あら。私だって騎士の娘で、今はただの神官ですよ」とにこりとお笑いになります。歳を重ねているのにお綺麗で憧れます。



「夫が『残念だ』ですって。巫山戯ふざけていますわ」

「……お答えできる身分ではございませんのでご容赦ください」


「あの欲ボケは『王国の二柱の女神』を手に入れようと画策していたようですが、許すはずがないでしょう」

 奥様はホーリィシンボルを人差し指でくるくる回して少女の笑みを浮かべます。



 奥様は『神官』のはずですが、ややこしいことに名目上は王宮勤めの騎士でございます。

 かようなことになった経緯は本題ではございませんので省かせていただくとして、問題はわたくしまがりなりに平民ですので本来ならば政略結婚の必要がないわけです。

 平民としてはかなりの良縁を奥様はお世話してくださるとおっしゃっており。


「その、実は……」


 彼女は子供のように耳を側立てるそぶりを見せておりそれがいちいちかわいいというか愛おしいというか。

 殿方は私どものような関係を馬が合うと申しますが、畏れ多くも私と奥様はかような関係だと愚考し幸せに感じておる次第でございます。


 他のおつきの方は貴族の娘や聖職者の『姪』になりますので、本来は身分ひくきもの同士で仲良しなのだとほざくものおり奥様にあまりに不遜極まりないのでございますが陰口は聞こえるものです。


「やっぱり好きな方がいるのですね。しかもその方を遠目でいいからひとみに入れておきたいと努力して王宮へと。なんといじらしい心がけ」


 わたくしの頬も耳もうなじまでもが熱くなります。

 奥様は小声で話してくださいましたが、他の者にもだいたい悟ることとなるでしょう。



「騎士ですね。やめておいた方が良いと申し付けますけど、まぁ『好いた腫れたはままならぬ』と古来からいいます」

「どどどどうして。文官かもしれませんよ!」


「騎士でなければたまに表情がいい時と物憂いがひどい時とがはっきりしていないでしょう」

「え」


 まさかまさか、わたくし今まで粗相を!?



 動揺するわたくしに彼女は『かまをかけました。騎士でしたか』とあっさり。

 気軽に嘘をつくならば聖職者とはなんでしょうか。


「それにあなたと同じ身分の多い文官、並の神官や法衣貴族が相手ならば素性は調べるとしても『神はムラカミの陪臣ミツキと結婚すると良いとおっしゃっている』と言えば終わりです」

「そういうことにまで神様は加担するのでしょうか」


 どうもやまとのカミは変に祈ると酷い目に遭いそうですけど。



「騎士とはいえ貴族ですか。それも伯爵の次男坊」



 厄介ですねと奥様。


「ワイズマンは正統滅びた家ですが、功績ありし商人が手に入れる家名としては最高位。本流は魔導帝国皇帝をも排出した名家です。あなたの主家ムラカミ本家は侯爵家ですが……アナスタシア朝は『若い』家ですしムラカミ本家も始まったばかり。家格としては……なんとかなるわね。後で紋章官を呼びます」

「あ、あの、本当にごめんなさい奥様。わたくし彼がいくさばから無事帰ってくるときをひとみに入れること叶ういまのままで充分幸せなのです」



 身分とか、いくさばとはもっと陰惨なものだとか、そのような話は言い方はよろしくありませんがどうでもいいのです。


 大きな変化より今の幸せ。

 汚れた真実より美しき腐敗。


 臆病者に生まれた私にはお似合いでしょう。


 姉や姪のように普段は女衆をまとめいざとなったら大暴れしたりはできません。

 姪のうち一人は冒険者なぞやっていますが例外です。



 こうして花を活けているとき、彼が通り過ぎていくことがあります。

 その姿をひとみに焼き付けていると無上の幸福を感じるのです。



 ああ神様はこたびも彼を天上にお連れせず私の元に戻してくださったと。



 考えてみれば私も神様をなんだと思っているのでしょう。



 彼に名前を覚えてほしいと高望みしません。

 わたくしのこえをつたえることなどできません。


 触れることも袖の香りも儚き望み。

 ただ、窓の上から花を置くのみです。


 わたくしの見目は覚えてなくとも、いくさばから帰し時には必ず安らかな花々の香りがあったこと。

 騎士として守るべきものを守り抜いた喜びの一つにしていただければこれほどの幸せはございません。



 “散りぬとも香をだにのこせ梅の花恋しきときの思ひいでにせ”


 いにしえの歌にもあります。

 たとえわたくしどもが志半ばに果てても。

 あるいはわたくしが天寿全うしおばあちゃんになっても。

 あなたにはせめて若き日に仰いだ陽の光と花の香りを覚えていてほしいのです。

 それを活けていた乙女のことを知らずとも。

 あなたが愛する人々に囲まれて天寿を全うするときまでと。



 ……その場は収まったかにみえた奥様のたくらみは思いつきなどではなかった模様です。



「……ドレスですか」

「ひとりくらい混じってもわかりません。それに園遊会ならば文官がドレスを着て参加してもおかしくはないわ」


 主家の一の姫様のように、如何なる変装をを見破る方はいらっしゃいますが。

「あの方は王妃となるべく育てられた方です。優秀なのは当たり前でしょう」

 色々ありましたけどね。

 陪臣として力及ばす申し訳ない限り。

 しかし今の私の主人はあくまで奥様と心得ています。


 陪臣の功績を己のものにしない当主様や、陪臣でありながら主家に仕えず伺候しこうしている私を認めること含めムラカミは確かに変わった家です。そもそも主家も陪臣も皆まとめてムラカミと名乗っていますしね。


「ミツキ、あなた今年で何歳ですか」

「数え24ですね」



「つまり今年で23歳ですね。あなたたちはやまとびとは小柄にして艶やかな黒髪と滑らかかつミステリアスな黄色の肌の持ち主。

 黒く大きな瞳といい大人しくしていれば可愛いのです。

 凶暴極まりない上、一人いれば十人に増えますが」

「油虫みたいですね……いえ、笑えませんけど」


 父や兄弟や甥たちという実例があります。

 甥のニノスケには何度覗かれたやら。


「あなた。華奢で、愛らしくて、胸もまぁないわけではないですよね。やまとびとの腰骨は何故か皆平坦で不思議ですけど」


 奥様は文官がハレの日に着る木綿と羊毛のドレスを見て納得がいかなかったようです。

 緑色の美しいドレスを見せてくださいました。



「美しいでしょ? 着ると死にますけどね」

「ダメじゃないですか!」



 砒素で染めたドレスだとのことでおしゃれと恋は命懸けのもようです。

 常識的なものとして奥様は絹のドレスを貸してくださいました。胸には多少ハンカチを詰めることにします。それでも少々不安ですね。



「あなたの姉から『ムラカミの女衆で最も強いのはミツキ』と耳にしましたが、あなたの使うやまとびとの魔法『キンナ』にそれほど邪魔ではないでしょ。身体に吸い付くように動きやすいでしょ。さらに脚運びも誤魔化せます」

擒拿きんな摔跤シュワイジヤオはミンの武術で……そんなことより別の意味で外を歩けません」


 どうしてこの服は身体に寸分なく吸い付きおへその形までわかっちゃうのですこれ!?

 変態ですか?! 厚手の下着をつけたいのですがダメなのですか!?

 なになぜなにゆえこれにはパニエがなく、ᠵᡠᡧᡝᠨ(女真)のような乗馬スリットがあるのですか!?

 肌触りはあくまで快くも、肌に吸い付くような布地により脚のかたちもお尻のまわりもまるわかりです。


 さらに奥様たちは私がこのドレスを着るにあたり、痴女がまとうような下着を手にし、下卑たとしかおもえぬおぞましき笑みを浮かべ。



『前貼りや下着はあくまでドレスを着るためのもの。下着の線を出さないためにも要所が透けないためにも余計な膨らみを抑えるためにも是が非にも必要なのです。そしてあなたも存じているように普段あなたがまとう胸当てのほうはドレスでカバーできますので取りなさい」


 そ、そ、そんなものは無理です。

 奥様それだけはご勘弁なさいまし。



『下着の前にこのガーターベルトをつけるのよミツキ。そうしないと手袋やタイツが落ちます。指に隙間ができたりタイツが足裏にまでずれこんでは戦えないでしょう。奥様の成すことに間違いなどありません』


 同僚たちは平然と口にしていますが貴族や神官のむすめとは思ったよりもはるかに大変なのですね。



 ところで奥様はともかく同僚たちは如何にしてわたくしの手の形足のゆびさきまでを再現した手袋やタイツを作ったのでしょうか。



「をなご同士、何も恥ずかしいことはないです。わたくしに是非是非この下着をまとわせて」

「畏れながら奥様! 我々に奥様の高貴なお手を煩わせるなどありえなきこと。ここはわたくしが全て」

「普段お世話になっている先輩の召替えは不詳わたくしが」



 確かにわたくしどもには奥様のお召物を最初の一糸から最後の一針までお世話する仕事があります。

 しかしそれは……いえ、『思うて詮無きことは思わず』でございます。

 奥様と同僚達に命じられあるいは説得されるままに肌を晒し、幾度も薬草サウナと冷水を往復し、花の香りのする湯に浸かり、香油と剃刀と毛抜きで徹底的に磨きぬかれ、脹れ止めとファンデーションと香水を施され……私の恥ずかしすぎる下着姿に黄色い声を上げる彼女たちには複雑な心境でした。


「これは」

 そのとき奥様たちが出して来た剃刀は奇怪な代物。

 寝かせた薄刃が複数仕込まれた先端。刃から肌を守る数本の頑丈な糸。

 我々やまとの文字で『イ』に似た形。


「あなたの主家、侯爵領内の地主の子がまたもや発明したものです。

 あまりにもよきものゆえ専売を取ろうとしたのですが、辺境領主の始めた特許制度で守られているようで……されど知人だからと彼よりまとめて何本もいただきました。あなたからも褒めてやってくださいな」

「先輩、これは良きものです」「ほんとほんと、とても切れるのに肌が荒れないの」

 ああ、あの子は学問と発明しか頭にない変わり者ゆえに逆に一の姫様の親友として振る舞うことを許されていますからね。最近は大人びて来ましたがそのような工作もできるようになりましたか。


 ……一人だけ伺候しこうしていたゆえ実家で起きたことをぞんじず、とばっちりを受けたわたくしが同性の同僚たちに操の危機を感じてしまった程度には。


 その新型剃刀は陪臣家でも主家でも好評でした。

 ニコンさんちのカラシくん。おうらみします。



 結論として。同僚たちは普段遠巻きに避けているのにわたくしの『恋路を応援する』との名目を得て、可愛い可愛いとめちゃくちゃにめかし込んでくれました。


 ちなみに皆様ご期待のモウコハンはわたくしにもうありません。同僚たちよ。賭けていましたね。



「いってらっしゃい」


 彼女たちは私を貴族の娘風にめかしこませて馬車に乗せて送り出しました。

 恥ずかしくてやっぱり死にたくなります。



 エスコートは甥のイチノスケに泣きつくことにしました。彼は既婚者ですが性格はまともな方です。海賊には違いないのですが。


 実家の『葛花(くずは)の館』を久しぶりに訪れると甥の妻に出迎えられました。


「あ! ミツキさんだ! ねね。またキンナおしえてよ」

「ひさしゅうございます。アンジー」



 弟であるシナナイやオワルと鞠つきをして遊んでいた甥の妻はこちらに駆けてきます。


「ところでめちゃくちゃきれいにしているけど、何のよう」


 妻と言っても今年で12歳。

 甥が小児性愛の変態(ペドフィリア)というわけでなく、太陽王国の船を襲った時に一方的に惚れられ、良縁だったためイチノスケの抵抗虚しく両家の総意と先の大戦の英雄である我等が主家の先代様による鶴の一言(『面白そうだから結婚しろ』)により無理矢理結婚させられた経緯があります。


「そうだね。ミツキおねぇちゃん、今日はめちゃくちゃ美人だもんな」

「こんなに気合い入ったドレス姿は僕も初めて」

 オワルとシナナイが茶々を入れます。


「実はアンジー、お願いしたいことが……」


 わたくしが要件を切り出すより早く、なにかをさとったように彼女の頬は再会の歓喜から愛らしい嫉妬のそれに変わってゆき。



「私がおくさんなのにダメに決まってるでしょー!」


 わんわんと抗議され、歳上のシナナイと歳下のオワルにアンジーは嗜められていますが、困りましたね。


挿絵(By みてみん)

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