5.ルーク=ウェブスター①
ルーク視点です
「君っ、君っ!!大丈夫かっ、私の声が聴こえるかっ!?」
初めて、人間の声を聞いた。
初めて、人間を見た。
初めて、自分が目の前の生き物と同じ人間なんだと知った。
僕は何故か分からないけどずっと独りだった。
寒くも無く、暑くも無く、不快ではない環境にいた。
その場所は今となってはどこなのかも分からない。
どこかの柔らかで快適な芝生の上。でも草の匂いもしない。心地良い空間だけが広がり、周囲は靄がかかったような感じで何も思い出せない。
僕は食べなくても飲まなくても良かった。ただただそこに在り続けた。
ずっと横になっていたけれど、ある日自分の足で立てることに気が付いた。
立ってみると、視界が高くなって少し面白かった。
次に一歩足を動かしてみると、歩くことが出来るようになっていた。
どれくらいそこにいたのかは分からないけど、とりあえず疲れるまで歩いてみた。
疲れたらその場で眠り、目が覚めたらまた歩くことを繰り返していた。
ある時、目の前に透明な壁のようなものが見えた。
何となくそれに触ると、空気が振動するような感覚を覚えた。後になって、それが初めて感じた魔力の波動なのだと知った。
この直後、冒頭の人間が僕の元にやってきて僕を人間の世界に連れて行ったのだ。
「ウェブスター長官、これは……」
「ああ、何らかの加護が常にこの子に対して働いている。だからこれまであんな人っ子一人いない場所で生きながらえてこられたのだろう」
「それにしても、こんなの見たことも聞いたことも無い」
「私もだよ」
僕を連れて来た人達が何かを話している。
「とりあえず、この子を風呂に入れて洗ってやれ。加護があるから大丈夫と思うが、念のため外傷がないか確認するように」
「かしこまりました」
そう言って一人が僕を連れ出し、別の人間に引き渡した。
そこで初めて僕は熱いと感じる水に触れた。それはお湯というらしい。
とりあえずそれまで何となく羽織っていた布より少し窮屈な物を着せられた。人間が着る服というものだった。
ここまででも十分僕は驚いたのに、人間は何かを食べたり飲んだりしないといけないらしい。
飲み方、食べ方を教わり何となく口に運んだけど、まあ特に何も思わなかった。
そこから僕への調査が始まった。まあ、平たく言うと僕は他の人間と違うらしい。とっても変なのだと誰かが言っていた。
しばらくはたくさんの人間に囲まれて色々やらされたり聞かれたりして、少し落ち着いた時にウェブスターと名乗る人間の子供になるように言われた。
とりあえず義父と呼ぶことになった。
「さて、今更だが名前はどうしようか。君、何か覚えてたりする?」
僕は何も分からなくて俯いた。
「なまえ……」
呟くと、右手首の内側に文字が浮かび上がった。
「ルー……」
それは僕にだけ見えていたようで、本能的にここで全て読み上げてはいけない気がした。
「ん?ル?」
「ルー…ク」
「おおっ!!ルークか。ルーク=ウェブスター、なかなかいい響きじゃないか。よしっ、早速王宮へ登録しに行こう!」
この日から僕は義父の家で暮らし、魔術庁の仕事で忙しい義父の代わりに家庭教師がマナーや文字の読み書きを教えてくれた。それをクリアすると、様々な学問を教わった。
中でも一番やりやすかったのが魔術に関してで、僕は教わったこと以上のことをすぐにマスターして使いこなした。すると魔術に関しては家庭教師がすぐにいなくなり、また義父の仕事場に頻繁に連れて行かれるようになった。
「ルーク君の属性なんですが、火、水、風、土、雷の全てを同じだけ使いこなせています」
「ここだけの話、魔力量も皇族を遙かに凌駕しています」
「彼、本当にここに居ていい存在なのでしょうか……。実の親が今頃血眼になって探していたりして」
「そもそも、彼の実の親って……」
義父以外の人間が、口々に色んなことを言う。
この時僕は別室に居たけれど、風魔術の応用で音を拾っていた。
「ルークの能力に関しては、魔術庁の極秘ファイルのみに記載し秘匿するんだ。この案件に関わった者全てに緘口令を敷くしかない」
義父の発言だった。義父はどうやらここで一番偉いらしい。
「えっ、そこまでですか!?」
「うむ。おそらくジェントリーフェ帝国で、ルーク以上の魔導士はいないだろう。王族も含めてね。変に王族に目を付けられても困るし。ルークの出自を突き止めた場合、外交問題や下手をすると帝国の存続にかかわるやもしれん。これ以上深入りせず、何が起こっても知らなかったことにするしかないね」
「外交って……、もしやどこぞの…」
「ああ、属性を考えただけでもまず平民ではありえない。それに魔力量も然り。下手に親を明かして他国の政争に巻き込まれる訳にはいかんし、万一にも親が神や妖の類であった場合ルークに何かあれば我が帝国は消滅するだろう。いや、我が国だけで済めばまだ良い方か」
「とんでもないものを拾っちゃいましたね……」
「そうかもな。我が帝国を護る結界に大きな魔力がぶつかったから何事かと思って確かめに行ったんだが。でもねぇ、あんな小さい子供を保護せずにいられるか?」
「ですよねぇ」
「色んなことをきちんと学んで頑張ってますし、なんだかんだで応援したくなっちゃいますよね」
「そうなんだよね。血は繋がらないけど、私にとっては大事な息子だよ」
その後も義父達は色々話していたが、僕は特に興味が無かった。
ただ5つの属性を使いこなすだけでこんなに騒ぎになるのなら、僕が他に使える魔術を明かすことは良くないことだと思って誰にも見つからない様にした。
それが光属性の治癒術や闇属性の操術だった。
あとついでに、成長と共に更に多くなる魔力量も増えていないように偽装した。
人間の生活習慣が身に付き、自分なりのルーティンが出来てくると日々が益々単調でつまらないものになった。唯一興味を惹かれたのが魔術に関することだけ。
気が付けば国中の魔術に関する書物を読み終え、よく義父に付いて諸外国へ出向き他国の魔術について学び研究した。そんな僕の覚書は、義父の手によって論文化され義父と連名で僕の名は魔術学会で広まっていった。
主要国で開催された学会の後には、懇親会という夜会が開かれたりもした。
僕はそこで着飾るのが大好きな、令嬢という種類の人間を知った。
初めて会ったにも関わらず、何故か親しげに近寄ってくる令嬢という人間が僕は不思議でならなかった。
後で義父から、僕は人間の中でも美しい方なのだと聞いた。でも僕は令嬢は得意ではないと答えた。
義父は苦笑いをしながら「私もだよ」と言った。初めて話が合ったと思った。
そしてきっとこれが面倒臭いという感情なのだと教えてくれ、色んな事が腑に落ちた。
そうだ、僕はずっと面倒臭かったんだ。
マナーも、食事も、決められた時間や習慣も、何もかもが。
そういっそ、生きるのが面倒臭い。
それに気付いた僕は、自分の生を終えることを考えたけどそれには加護が邪魔だった。
僕に付与された加護は強力で、魔術はもちろん物理攻撃も弾く。
崖から飛び降りたら、勝手に風魔術が発動して綺麗に着地した。
真冬の川に飛び込んだら、冷たいどころか心地良いぬるま湯に感じただけでなく風邪すら引かなかった。
森林火災の消火を手伝う振りをして炎の中に飛び込んだら、炎が僕を除けただけでなく熱さすらも感じなかった。
何とか手に入れた毒も、口や手に触れた途端に浄化された時には言葉を失った。
もう死のうとすることすら面倒になった時、魔獣討伐の募集がありこれだと思った。
好きな魔術を実戦で放ちまくってストレス発散になるし、まだ見ぬ上級魔獣に出会って僕の生を終わらせてくれるかもしれないからだ。
義父も僕の実力なら問題無いだろうと、快く送り出してくれた。
実際僕は大活躍だったと思う。
毎回誰よりも多くの魔獣を倒したし、募集がある度必ず参加した。
でもなかなか強力な魔獣には出会えなくて、またつまらなくなってきた。
その頃には誰も僕と行動を共にしなくなっていた。
無詠唱で発動する魔術に巻き込まれそうで怖いとか、僕が全て倒すから手柄を立てられないとか色々言われた。
僕からすると、誰も庇わなくていいし独りの方が気を遣わず攻撃出来るから楽だった。
その日も、独りで魔獣の群れと相対していた。
僕に注意を引き付け、タイミングを見計らって一網打尽にするつもりだった……なのに!
一瞬で僕の視界を染めた綺麗な赤。
機敏な動作で、僕を護るように動き華麗な剣さばきを披露する。
僕は目の前の光景に、生まれて初めて見惚れてしまった。
でもその綺麗なヒトに襲いかかる魔獣に気付き、僕は咄嗟に魔術を発動した。
良かった。間に合った。
そのヒトの無事が心の底から嬉しかった。
こんなことを思ったのは生まれて初めてだった。
そしてそのヒトは僕の方へ振り返り、フッと微笑んでまた別の場所へ移動して行った。
僕はそのヒトを追いかけて行きたかったけど、別の魔獣が行手を塞いだ。
僕は生まれて初めてキレた。
あのヒトと僕の邪魔をする奴は許さない!
この時放った魔術で辺り一帯を再生不可能なほどの焦土に変えてしまい、帰還後こっぴどく怒られた。
長々と怒られている間も、僕の中を占めるのはあの綺麗な赤のヒトのことだった。
この日から、僕の日常は劇的に変わった。
今までの世界が鮮やかに色付いたのだ。
何となく見ていた世界は、たくさんの色が溢れていて匂いがあって様々な音があった。
世界から隔離された場所に居た僕が、ようやく世界の一部として認められた気がした。
食事の匂いや味も分かるようになったし、あのヒトと同じ世界で過ごすためにマナーが必要なことも分かった。あのヒトと出会って初めて、僕はきちんと人間になれた。生まれ変わったといっても過言ではないと思う。
僕は時間さえあればずっとあのヒトに思いを馳せた。
初めて出会った時の衝撃。赤い色はあんなにも綺麗だったのか。
かつて僕にとっての赤は、魔獣を葬り去った時のドス黒い赤だった。
でも今は違う。僕を護ろうとしてくれた、優しくて勇敢で気高く美しい赤だ。
僕は初めてヒトに護ってもらった。
それだけでなく、あのヒトは一瞬で僕の実力を認めあの場を任せてくれた。あの笑みは信頼の証だった。
ああ、なんて、なんて嬉しいんだろう。
こんな気持ち、何て表現したらいいんだろう。
お読み頂きありがとうございます。