4.進化
ランブルベアは直立した大型のクマのような魔物で、鋭い爪以上に発達した筋肉から繰り出される物理攻撃が脅威だ。
しかも中級クラスとなるとある程度の知能があり、経験則から学習した上での攻撃はかなり厄介な部類に入る。
「お姉さん、無茶はしないで下さいね。あと、まだ複数体の気配がありますね」
「そうだな。ここには私達二人だけで正解だったな。さもなくば最初の一撃で、おそらく数名持って行かれただろう」
なるほど。彼が私だけを連れて来たのはとんだワガママかと思ったが、あながちそうでもないらしい。意外ときちんと考えているようだ。
さて、ここからは目の前の敵に集中しよう。
私は軸足に力を込め思いっきり地面を蹴った。
ランブルベアは動いた私に狙いを定め、右の前足を振り上げた。それが振り下ろされる前にその懐に飛び込み、魔力で強化したブレイドを心臓めがけて突き上げひねった。
ただ心臓を突くだけでは動作停止までに時間がかかり、こちらに致命傷を負わされかねない。
再度のブレイドへの強化も忘れない。怠れば、ひねりの負荷に耐え切れず剣が折れてしまう。
しっかり手応えを感じた後、ランブルベアの身体が私の方へ倒れてくる前に剣を引き抜き距離を取った。と同時に、ドシーンと音を立ててランブルベアが倒れた。
周囲の他の気配が一瞬突撃を躊躇したように感じる。
「お見事です」
彼が素直な賞賛をくれる。
「次、来るぞ」
「はい」
目の前に同じようなランブルベアが2体現れた。私と彼がそれぞれと対峙する。
彼の実力は折り紙付きなので、私はその存在を気にせずに自分の前の敵の事だけを考える。誰かを守る必要なく思う存分戦えるというのは、何と心地良いことだろうか。
「あっ、しまった」
彼の呟きと共に、一体のランブルベアが燃え上がった。
相変わらず魔術は無詠唱で、いつの間にか発動している。
その様子を見た私の目の前のランブルベアが、彼に標的を定め態勢を変え飛び掛かった……はずだが、それは一瞬で氷の塊になり燃えているランブルベアの上に落ちた。
すごい勢いの炎の中に大きな氷が投下され、周囲には大量の水蒸気が充満した。
「よし、消火完了。ふう、危うく森の一部を焦土に変えて怒られちゃうところでした」
目の前で繰り広げられた魔術以上に、焦るポイントはそこなのかと色んな意味でやはり彼は規格外だと呆れてしまう。
辺りの水蒸気が晴れきる直前、今度は低級のドルーズベアが襲い掛かって来た。しかも我々を囲むようにして複数が一斉にだ。
「なるほど。今度は数で圧して来たか」
ドルーズベアはランブルベアよりも小ぶりですばしっこいが、その分一撃が軽い。
私はその爪を剣で弾き返し、がら空きになった胴やのけ反った喉元に刃を食い込ませ手当たり次第に斬り伏せて行った。
「う~ん。結構大きな群れだったんですね。ってことは、いよいよ真打のお出ましかな」
私と背中合わせになり同じく敵を地面に叩き伏せていく彼は、全く疲れを見せないどころか楽しそうに呟いた。
ドルーズベアの数が片手で足りるほどになった時、重苦しいほどの威圧感が私達を襲った。
思わず私は、目の前のその存在に嫌な汗を背に流した。
「きましたね」
この空気の中でも彼は余裕だ。
「クラウンベア……」
上級魔獣…この群れのボスといったところか。このクラスは魔獣討伐でも然う然うお目に掛かれるものでは無い。本来なら、一個師団を上級魔獣一匹に宛がうほどだ。
対して今回我々は二人きり。やり切れるか。
「お姉さん、僕がヤツの動きを止めるので心臓を一突き、お願い出来ますか?」
「ああ。しかしヤツの動きを止めるなど可能なのか?」
上級魔獣は魔術に対しても耐性を持っている場合がほとんどで、中級クラスまでの様に簡単に燃えもしないし凍りもしない。
「これでも一応、魔導士団長なので」
そう言って彼は初めて、大きく腕を動かし攻撃の素振りを見せた。
私も彼が作ってくれる隙を逃さぬように、より一層身体とブレイドへの強化を行った。
「グァッ…グッ……」
彼が腕を振る度に、クラウンベアが呻き動きが鈍る。
一撃目は、クラウンベアの身体に微量の稲光が走り全身が痺れたように見えた。
二撃目は、彼が地面に手を着いた途端クラウンベアの足元が持ち上がりその屈強な足を泥で固定した。
三撃目は、クラウンベアの周囲の草木が蠢き、その厄介な両腕に絡みつき完全に動きを止めた。
ありえない高度な魔術の連発に呆気にとられ、一瞬頭が真っ白になる。
「お姉さん、今です!!」
彼の声にハッと我に返り、私は地面を大きく蹴り距離を縮めた。
クラウンべアの身体は大きく、心臓までも高さが十分にある。
私は身に纏った強化術をまずは脚に集中させ心臓の高さまで飛び上がった。次に腕に強化術を移動させ、心臓を狙う。かなり力を込めないと分厚く鎧のようなこの毛皮を貫けない。
私はポイント(切っ先)を中心にブレイドへありったけの魔力と、腕に渾身の力を込め何とか敵の心臓を貫いた。
そして生命が完全に尽きた頃を見計らい、剣を抜いて地上に降り立ちブレイドに着いた血を振り払おうと剣を一振りした時だった。
「!?」
我が愛剣が赤黒く光り、やがてその光はブレイドに吸い込まれるようにして収まった。
「やりましたね」
朗らかな笑顔で彼が近付いてきた。
「これは…魔剣か」
「上級魔獣の今際の際にその心臓の血を浴びた武器は、魔術や魔力との相性を良くする。魔力を宿す武器への進化、無事成功しましたね」
彼は驚くどころか、したり顔だ。
「お前、一体何を企んでっ」
頭に血が登った私は、相手が上役だということも忘れて思わず怒鳴りつけようとしたのだが。
「失礼しますね」
彼が私の頬に軽く触れると、僅かな温もりと共にキラキラと白く輝く光を放った。
「何をするっ!!」
私は思わず彼の手を振り払った。
「他に怪我してませんか?どんな小さな傷も、お姉さんに残したく無いので」
そういえば戦闘中、ドルーズベアの爪の先が僅かに頬を掠っていた気がしたが。しかしそんな些細な擦り傷など日常茶飯事で、気にも留めた事が無かったし怪我のうちにカウントすらしていなかった。
ん?そんなことより、怪我を治した……治癒魔術だと!?
「おいっ!どういうことだ?治ゅっ」
「わあぁぁぁ!!」
彼は慌てて私の口を両手で塞いだ。
「しっ!それ、声にしないで下さい。これがバレると僕困るんです。ウェブスターの義父にも内緒にしてるんですから」
「!?」
私は彼の目を見て頷いてから、そっと彼の手首を掴んで引き剥がした。
治癒魔術の遣い手など、聖女だとか精霊の加護だとかとにかくお伽噺や神話の世界の存在だ。
ジェントリーフェ帝国でも、周辺諸国でも聞いたことがない。まあ秘匿されているだけかもしれないが。
しかしそのくらい、こんなところをほっつき歩いていていい存在ではないのだ。
「何でそんな大事なことを私などに明かしたっ!」
正直、脳筋一族には荷が重い案件だ。
「ええっ、単純にお姉さんの怪我を治したかったのと、僕がお姉さんを信じてるからです」
彼は何てことの無い顔で答えた。
「あのなぁ〜。私はあまり難しいことを考えるのが苦手なんだ」
思わずため息を吐いたところで、50mほど後方で信号弾が上がった。
「応援要請かっ!行かねばっ」
私の言葉に、仕方無しに彼も頷いた。
「帰りの馬車で、詳しく事情を聴くからなっ」
「はーい、分かりましたぁ」
呑気な返事を聞いて、私は仲間の元へ駆け出した。
あれから駆け付けた先には、低級クラスの数こそ多かったものの、中級クラスはたった3匹のみで日が暮れる前には片が付いた。周囲にはもう魔獣の気配が無くなっており、これで一応今回の討伐の目的は果たされたことになる。
多少の負傷者は出たものの、幸い死者は無く命に係わる重傷者もいなかった。
大まかな報告を聞く限り、私と彼の持ち場に上級クラスと中級クラスのほとんどが集中していたようで、そこから無傷で生還した我々に対し賞賛する者、ドン引きする者、反応は其々であった。
「あ〜、ディー。お前その腰の剣、何があった」
騎士団の責任者に声を掛けられた。
「上級魔獣にエンカウントしまして、素材回収班に大体の位置を知らせましょうか」
討伐の後、専門部隊が魔獣の爪や毛皮などを採集する。これらは様々な武具や道具の素材になるのだ。
「いや、それはウェブスター殿から聞いている。魔剣は場所によっては持ち込み禁止のところもあるからな、気を付けろよ」
なるほど。しかし、いかなる場所でも愛剣を手放して行動するのは考えものだ。何か対策をせねば。
「ご忠告ありがとうございます。さっ、僕達は一足先に帰還しますよ。もう僕達がここに残る理由もないでしょう」
いつの間にか傍に来ていた彼が、私の腰をそっと押して馬車へと促す。
聞きたいとは山積みなので、されるがまま私も従った。
「さてと、ようやくまた二人きりになれましたね」
馬車の向かいで、彼はにっこりと笑った。
「早速だが、君は一体何者なんだ?私に魔剣を作らせたり、一体何を考えている?そもそも君の実力なら、一人でクラウンベアも容易く倒せただろう」
「えっと、どこから話しましょうか」
私の矢継ぎ早の質問に、彼は困り顔を作るが何となく楽しんでいる様子が伺えて気に食わない。
「最初からだ!さっきも言ったが、私はあれこれ考えるのが苦手だ。私の想像力に任せることなどせず、きちんと言葉で示してくれっ!」
「うわ~、情熱的ですね。何か聞きにようによってはすっごい愛の告白を求められてる気がします」
「茶化すなっ!!」
ほんとにコイツはっ!!今ならば、メイヤー氏や魔導士団の副団長と一晩中飲み明かせる気がした。
「茶化してませんよ。今回の事も何もかも、僕の根底にあるのは貴女への愛だけです。これが僕の出来る精一杯の愛情表現です。僕は普通の人の愛し方を知らないから」
これまでと違う、彼の真剣な瞳に私は勢いを削がれてしまった。
「今からこの馬車に防音と盗聴防止の魔術を掛けます。ここでの会話は一切他に洩らさないと誓って下さい。僕のこれまでの生涯を、全ての秘密を貴女に教えます。そして出来れば…………僕の本気を受け止めて」
最後だけ、彼にしては珍しく弱々しい呟きになった。
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