20.生贄
長い夜が明け、私はとりあえず特務課へ向かった。
まずは昨夜のことをルークとウェブスター長官に謝らねばなるまい。しかし精霊のことは話せないため、長官には何と説明したものか。
良い言い訳も見つからないまま研究棟の受付を通り、少しの気不味さから伏し目がちにルークの研究室に入った。
「おはよう、ルーク。その、昨晩は……」
いつもならかぶせ気味に返ってくる返事も、嬉しげに近寄って来る姿も無く、その違和感に室内を探るように見回した。
「っ!?」
研究室を取り囲む書架の前に、ルークが倒れている。
「ルークっ!!」
私は慌てて駆け寄った。
ルークの服装は昨晩別れた時のまま。私が精霊石を任せてしまったから、自宅にも帰らずこんな所で?
まさかっ!何者かに勘付かれて襲われたのかっ!?
いやしかし、ルークを倒せるほどの手練れなど存在するか?
私はまずルークの状況を確認するため、傍らに跪き呼吸を確認した。
まずは規則正しい息があること、パッと見たところ外傷はなさそうなことに安心する。
しかし頭を打っていたりしてはいけないため、揺さぶり起こしたい衝動を堪えた。
まあ、物理攻撃は効かないらしいから大丈夫とは思うが。
私は体勢を低くし、ルークの耳元で呼びかけた。
「ルーク、大丈夫か?動けそうなら肩を貸すから、せめてソファへ移動しよう」
「ううっ……」
ルークは目を閉じたまま呻いた。
「何処か苦しいのか?」
もしや病のほうかと、ルークの額に手を充てる。
「熱は無いようだが」
「痛…っ……」
「どうした!どこが痛むのだ?」
私はルークの口元に耳を寄せた。
「背…なか……」
「少し動かすぞ。耐えきれなければ言ってくれ」
そっと床と背中の間に手を差し込み抱えるようにして、ゆっくりとルークの上半身を起こしていく。
「あっ……」
ルークの声に私は動きを止め、丁度良い高さにあった私の膝にルークの頭を乗せた。
「苦しくはないか?」
その体勢のまま、ルークの様子を伺おうと顔を覗き込む。
ルークはまだ少し眠そうにしながらも、幸せそうに笑った。とりあえず大事には至らなかったらしい。
落ち着いているようなので何があったか尋ねてみた。
「精霊の国に行ってきました」
「は?」
「例のモノを返しに」
「えっ、わざわざあれを返しに行ったのか?」
てっきりルークが何某かの魔具に使うのかと思っていた。
「重ね重ね迷惑を掛けて申し訳ない」
私は自分の不甲斐なさに項垂れて謝罪した。
「ディアは何も悪く無いですよ。勝手なことばかりするアイツらが悪いんです。だからちょっとお返しをしようと行ってきたんですけど……う〜ん、思っていた以上に疲れたみたいです」
苦笑するルークに、何だか胸が締め付けられる。
「全く、勝手に無茶ばかりするなっ」
心配なくせに、つい説教じみたことを言ってしまう。
「僕の気が済まなくて。忠告したにも関わらず勝手にディアの部屋に侵入されて、僕はものすごく嫌だったんです。ディアを護るためなら、何だってしますよ」
ルークは右手で、私の頬に触れた。その手はとても温かった。
「だから、そんな辛そうな顔をしないで下さい」
その言葉に一瞬私は戸惑った。
「辛そう?」
「はい…ちょっと泣きそうな顔、してますよ?」
私はそう指摘されて、やっと自分の本心に気付いた。
「だって……」
「はい」
「だって…ルークが、ルークが倒れていて、もし死…でしまって…たら、と………」
無意識に頬を熱いものが伝う。
そうだ。私は倒れているルークを見て、心配で、不安で、怖くてどうしようも無かった。
しかも何も言わずに精霊の国などに行って、もしそこで何かあって帰って来れなかったら、昨晩別れたまま二度と会うことも出来なかった。
それに気付くと、更なる恐怖が全身を巡った。
「ディア…」
「もうっ、独りで勝手にどこかに行くなっ!何のための通信具だ。そんなに私は頼りないかっ、私を……置いて行くな…」
珍しく、最後は弱々しい響きになった。
こんな風に男に縋るほど、私は女々しくなってしまったのか。
ルークと過ごした数ヶ月でいつの間にか彼を一人の男として意識していたことを、もう認めざるを得ない。
最初は生意気なガキとしか思えなかったのに、今は頼れる存在、掛け替えの無い存在になっている。
「ふふっ。やっぱり僕のこと、もう結構好きですよね?」
以前にも聞かれた問い。あの時は戸惑いが大きく答えられなかったが。
「そう、かもしれないな」
「え……」
いつも余裕のある翡翠の瞳が、これでもかと言うほど見開かれた。
「観念しよう。ルーク、私はお前が好きだ」
「…やった」
ルークが驚愕の表情のままポツリと呟くと、大きく破顔した。
「嬉しいっ!!ディア、ありがとうございますっ!」
喜びに湧いたルークは、膝枕の体勢から私の腰にぎゅうっと抱き着いてきた。
「ああ、ディア大好きです。僕は永遠にディアだけを愛しています。はぁ好き過ぎる。どうしよう、嬉し過ぎて言葉が見つからない」
お腹の辺りで熱烈な愛の言葉が繰り返される。
「分かった、分かったから落ち着け!」
何とかルークを引き剥がして立ち上がろうとするが、意外と難しい。コイツこんなに力があったか?
「あ〜、そこのお二人さん。お取り込み中悪いがちょっと話が出来ないか?」
声のした方を見ると、研究室の入口にウェブスター長官が立っていた。
「!?」
ただでさえ謝罪をと考えていた相手に醜態を晒し、私は恥ずかしさで逃げたくなった。
「義父さん、今いい所なんです。あと3時間後に出直して来て下さい」
ルークが私の腰にしがみついたまま文句を言う。
「3時間、そんなリアルな数字を出してナニする気だ?ああいや、やっぱり答えなくていい。それより、ルーク。お前にとって、きっと喉から手が出るほど欲しい書類になると思うが、本当に3時間後でいいんだな?」
ウェブスター長官は持ってきた書類をルークに向けて掲げた。書類の間に何故かチラリと我がライバーン家の家紋の封蝋が見えた。
「う〜ん、そういうことなら仕方ないですね」
ルークは名残惜しげに私の腰を離し、ムクリと上半身を起こした。
「あっ、そう言えば背中が痛かったのではなかったか?」
「はい。まあ、床で寝たら仕方ないことですよね」
ん?ちょっと待て。まさかベッドではない固い床で寝たから背中が痛いだけというのか!?
てっきり精霊と一戦やり合って痛めたり無理をしたというわけでなく?
私はあんなに心配して損をしたとひっそりと思った。
「さてと、まずは昨晩の事実確認からだ」
机を挟んで長官の向かいのソファに、私とルークは腰掛けた。
「騎士団の女子寮から、抗議文書が届いた。ルーク、これはどういうことだ?」
早速来た。精霊石のことに触れず、どう話したものか。
「ああ、さっき見てもらった通り僕達愛し合ってるんで、僕が押しかけちゃいました」
ルークはいつもの笑顔でサラリと話す。
「ほぅ。私が見たところ、今しがたやっと思いが通じ合ったようだったが?」
長官が片眉を上げ、疑ってくる。
っていうか、いつから見られていたのか。周囲を疎かにするほど、私は焦っていたのだな。情けない。
「義父さん、野暮なこと言わないで下さい。昨晩……身体から始まる関係もあるじゃないですか」
とんでも無いことを言い出したぞっ!?
これでは状況が悪化するばかりじゃないか!
「ごほん、ディアナ嬢、女性に尋ねるには酷なことだが、ルークの言っていることは確かか?」
「!?」
何と答えれば!?実際身体の関係などない、しかし否定すれば精霊石の話になってしまう。ああどうすれば!
嫌な沈黙が流れる。僅かな時間が、とてつもなく長く感じる。
「あ〜、別に二人の関係を反対している訳じゃ無い。後で話すがむしろ大賛成だ。特にディアナ嬢にはどんな形であれ、ルークと共にいて欲しい」
長官はそう話ながら、我が家の封蝋の付いた封筒と小型の魔具を差し出した。
「ライバーン副団長から、婚約許可証を頂いた」
「えっ!?」
昨晩は何も言っていなかったが、早過ぎないか?
「夜会の後、ライバーン副団長も違和感を感じておられてな。少し残って共に極秘で調査したのだよ。結局何も分からなかったが。その後考察がてら私の部屋で酒を酌み交わしている時に、抗議文書が届いたんだ」
なんというタイミングだ。
「で、これが君の父上からの伝言だ」
長官が魔具のスイッチを入れた。どうやら音声を記録・再生するものらしい。
『あ〜ディアナ、よく聴け。俺は家長としてルーク=ウェブスター殿とお前の婚約を認める。帝国民を護るために何処へでも跳んでいくお前も、少しは自分の幸せを考えろ』
父の言葉に、横にいるルークが大きく頷いている。
『ルーク殿なら腕も確かだ。お前を託すに充分な御方だ。加えてルーク殿はこの世界で魔導士の最高峰だ。帝国の宝とも言える。もし婚約者が不満なら、護衛騎士でも側役でも何でも良いから傍にいろ。何かあった時、ルーク殿を止められるのはお前だけだ。帝国のため、世界平和のため生にぇ……じゃねぇ、婚約者になれっ!以上だ!!』
生贄と言ったか?
「あ〜、その時は既に結構酔っておられてな」
長官が気不味そうに口を挟む。
ということは、本音か。
「生贄ですか。じゃあ余す所なく全て、僕が美味しく頂いちゃっていいんですね」
ルークが嬉しそうにこちらを向いた時、以前トレーニングルームでエラに言われたことを思い出した。
そうか、ここがアリ地獄の底か。
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