1.ディアナ=ライバーン
「悪いが、生涯において私が君を抱くことは無い」
例えばこれが、初夜の場面で告げる言葉なら。
例えばこれが、政略結婚の相手へ告げる言葉なら。
例えばこれが、成人した男性から女性へ告げる言葉なら。
それはどんなに相手を傷つけ、いかに人間性を疑われる言葉であろうか。
「そっ、そんな……。俺、あなたに…あなたになら全てを捧げてもと……」
大きな瞳にうるうると涙をためて、傷ついた顔で踵を返し走り去って行く少年の背を、私は呆れ顔で見送った。
「どうしてこうなるんだ……」
私は思わずため息をついて項垂れた。
「ぷっ、ふ…ふははは。あーおもしれっ。お前、告られんの何回目?しかも、毎回毎回抱いてくれってさ」
物陰から、口の悪い同僚が顔を出す。
「隠れて見ていたのか。趣味の悪いヤツだな」
悪いことをしている訳ではないが、バツが悪くて眉を顰めた。
「まあそう言うなって。相手が新兵とはいえ、男に呼び出された同僚を心配して見守ってやってたんだって」
同僚の名はキース=グニル。薄茶の短髪に青い眼を持ち、同じ騎士団に所属する入団当初からの腐れ縁だ。
「それにしても、これで何人目だっけ?モテる女はツライねぇ~」
私はディアナ=ライバーン。女騎士だ。一族特有の燃えるような赤髪を一つに束ね、相手を射抜くような鋭い金色の瞳をしている。
我がライバーン一族は所謂脳筋一族で、全員がどこかの騎士団に所属している。
父親は入婿で第二騎士団の副団長、兄は近衛騎士団所属、母は既に引退しているが女騎士として現王太后の元護衛騎士、弟は第一騎士団でやっと見習いを卒業したばかり。
他にも叔父や従兄弟たちも、様々な箇所で軍務に就いている。
「揶揄うな。私もうんざりしているんだ」
冒頭の言葉で泣かした(?)男の数は既に二桁になる。
そもそも、そもそもだ。最初から全てが間違っている。
「いいじゃん、今は大きな戦争も起こっていないし、平和な内につまみ喰いくらいさ」
相変わらずキースは悪ノリしてくる。平和なことは大事だが、それが過ぎるのはいかがなものか。
「では、さっきの彼。ケネスと言ったか…。彼をお前に譲ってやろう」
「はっ!?俺そっち系じゃねぇしっ!!」
「戦場では明日をもしれぬ苛酷な環境の中で皆、手近で刹那的な快楽を求めると言う。今の内から慣れておいた方が良いとは、昔歴戦の覇者だった曾祖父の言葉だ」
曾祖父はかつて長期の大規模な戦争を経験し、そこでの体験をよく子や孫に語ったという。
私は直接聞いたことは無いが、よく祖父や父から様々な教訓と共に教わっていた。
「やっ、やめてくれ。俺は柔らかくて温かい女の子が好きなんだ!硬くてゴツい男なんてお断りだっ!!」
「そうか。しかしケネスはまだ身体が完全には出来上がっていないからゴツくもないし、顔つきもまだ幼さが残って……」
「言うなぁ~!!お前、自然にそういう台詞を吐くから『抱いてくれ』なんて言われるんだぞっ!」
キースが喚く。そんなことを言われても、そもそも……。
「まったく、女が男をどうやって抱くと言うのだ」
「それなら、さっさとステディを決めちまったらいいじゃねぇか」
このやり取りも、もはや何回目か。
「私より強く、私が認められるような男がいたらな」
そろそろ小休憩が終わる。いい加減この場を離れなくては。
「うへぇ、そんなのライバーン一族か、各団長・副団長クラスじゃん」
キースの言葉は当たり前のこと過ぎて、私は聞き流して歩き出した。
ここジェントリーフェ帝国では古くから男女平等、能力主義が謳われており、職業や役割分担において性別は関係ない。適材適所の配置で栄え国力を上げ、世界で一二を争う大国と成った。
そのため騎士団には何人もの女騎士が在籍している。
ある者は男以上の筋力を発揮する身体強化を、ある者は剣に魔法を纏わせ攻撃力を上げ、ある者は手先の器用さを活かし普通では扱えない暗器を自由自在に操った。女騎士は各自で己の特技を活かし性差をものともせずに活躍中だ。
午後からのこの時間、私は先程のケネスを含む新兵のシゴキ…もとい育成訓練のためキースと共に鍛錬場にいた。
「そこっ!腕が下がっているぞっ!一振り一振りを意識しろっ!!小手先だけでは、何の力もつかんぞっ!」
新兵に模擬剣での1000回の素振りを課し、そのフォームについて指導する。全身の筋肉の動きまで気を巡らさねば意味が無い。普段の鍛錬の積み重ねが瞬時の反射速度に物を言い、命拾いすることもあるのだ。
現在帝国ではどの国とも戦争をしていないが、定期的に魔獣の駆除がある。
魔獣が一斉に襲ってくるようなスタンピードは滅多なことでは起こらないが、人里付近にその頭数が増えてきたりするとある程度は間引いたりせねばならない。
完全に排除しないのは、未だ完全には解明されていない魔獣の生態系を徒に壊して新たな脅威を生むことを避けているからだ。
「おーい、ディー!!ここにいたのか。団長がお呼びだ。ここはキースに任せて、すぐに会議室へ向かえ」
ディーとは騎士団における私の愛称だ。
ライバーン一族は騎士団のそこかしこにいるため、分かりやすく全員名前で呼ばれている。
更に戦場で咄嗟の時に呼びやすいよう愛称呼びされる例も珍しくない。
ちなみにキースも、家名のグニルより呼びやすいために名前で呼ばれている。
「では、キース。ここは任せた」
「おうよ。にしても何だろな。面倒なことじゃなきゃいいが。あとで教えろよ」
「まあ、機密に触れなければな」
軽く引き継いで、私は会議室へ向かった。
団舎に入る前に土埃を払い、会議室の扉をノックする。
「失礼します」
「ディー、来てくれたか。早速だが、魔獣の討伐依頼だ」
私の姿を認めた途端、要件をすぐに言い渡された。それにしても……。
「かまいませんが、現行の討伐部隊に何か問題が?」
つい三か月前まで、私もいくつかある内の一つの討伐部隊を部隊長として率いていた。
それを2年ほど経験した後、次のステップとして今の新人教育の部署に配属されたはずなのだが。
「いや、その……。現部隊として問題は無いんだが。一部不足があるというか、相手の要望というか」
いつもは竹を割ったような性格の団長にしては珍しく歯切れが悪い。
「相手?」
私は団長の前に居る魔導士のローブを羽織った、団長よりもだいぶ若い人物を見た。
「お初にお目にかかります。私は魔導士団副団長付き秘書のジョセフ=メイヤーです」
「第二騎士団所属のディアナ=ライバーンです。失礼ながら、何か特別なご事情が?」
互いに名乗り合い尋ねると、メイヤー氏が一瞬疲れた表情を見せた。
「お恥ずかしい話なのですが、実はどうしてもあなたに同行して欲しいと言うヤツ…いえお方が魔導士団におりまして」
魔導士団とは魔獣討伐のために切っても切れぬ縁があるが、特に親しい者などはいない。もちろん我が一族もそこには誰も属してはいない。
皆、多少の魔術を使えてもそれ一筋でやっていけるほど強力では無いし、身体を鍛え酷使して戦う方が性に合っているからだ。
「そしてソイツ…いえそのお方が、あなたがいないなら討伐に行かないと言うのです。ハァ……」
「失礼ながら、その方を外して討伐に行くのではだめなのでしょうか。もちろん、私自身が討伐に向かう事に反対な訳ではありません。しかし私は現在新人教育を担っておりこのような事が今後も続くのであれば、私の指導カリキュラムにおいても少し考え直さねばなりません」
討伐は騎士団、魔導士団、他食糧運搬部隊や医療班などのサポート部隊まで全てを調整するためかなり大掛かりになる。
そのため当日までの準備や調整も必要な上、場所によっては日帰りで行けるようなものでは無いため新人指導から結構な日数を抜けねばならなくなる。
「それがな、魔導士団長その人の希望だそうだ」
「は?」
うちの団長の言葉に、私はますます不可解な気分になった。
そもそも、魔導士団の団長など直接会ったことが無い。いつかの討伐で一緒だったのかもしれないが、会議中も戦闘中もそれらしき人物と相まみえたことは無いはずだ。
「ええ。ルーク=ウェブスター、最近、歴代最年少で魔導士団長に就任した魔術の実力と才能だけなら帝国最強と言っても過言ではないほどの人物です。ホントにそれだけなんですけどねっ!」
自分のところの団長のことだと言うのに、棘がありすぎないか?しかも初めから「ヤツ」とか「ソイツ」呼ばわりだったような。
「実はウェブスター殿は年も若く所属年数も短いせいか、色々周りが思うところがあるようでな」
「なるほど。ちなみに、どのような方なのでしょうか」
もし本当に討伐で同行するなら、その人となりは知っておいた方が良いだろうと軽い気持ちで聞いたのだが。
「それはそれはもう、小憎らしいガキですよ。ええ、クソガキです。そもそも団長自ら討伐なんてこの時期に行かなくたっていいんです」
確かにその通りだ。通常、団長ほどの実力者は定期的な駆除くらいでは出動しない。日ごろから有事に備え帝都で待機していたり、何年かに一度の大規模討伐の際に出動するくらいだ。
「もっと他の書類仕事だってあるのに、それは面倒だし分からないからと副団長と私に押し付けてっ!本人は魔術や魔具の研究開発に勤しんで……。ええ分かってますよっ。そちらの研究が帝国内のみならず世界の魔導士学会で認められたから魔導士団長にも就任したって。本当はやれば出来る子なんです。私なんかよりもよほど優秀なんでしょうよ。でもねぇ、人間やる気とか、根気とか、周囲への配慮とか、魔術の力以外に色々必要な物があるでしょうがっ!!」
何だか色々溜まっているらしい。このままだと話が一向に進まないまま、永遠に愚痴を聞かされそうだ。メイヤー氏には悪いが、ここにいる誰も暇を持て余している人間はいない。
「要は実力は折り紙付きだが、我儘で無責任な若者ということでいいですか」
「ええ、そこにクソ生意気なという修飾語もつけておいて下さい」
あまりの言い様に、私と団長は呆れて言葉を失った。
「まあ、という訳で討伐に行ってくれるな」
「いや、これがどうなってそうなるんですか?」
団長もいっそ、もう面倒くさいのだろう。
「私も副団長の代理としてこの通りお願い致します。あのクソガキ、一回言い出したら聞かないんです。ディアナ様の同行が叶わないとなると、大事な書類を燃やしてバーベキューでもやりかねないヤツなんです」
それは……何と言うか、魔物以上に厄介だと素直に思った。
「ふぅ、分かりました。では、新人教育に関してはキースに引き継ぐだけで良いですか?それともいっそ後任を?」
私は団長を横目で見た。
「ふむ。ウェブスター殿の今後の動向がはっきりせぬ今、キースに引き継ぐだけで大丈夫だろう。今期の新人に特に問題行動を起こすような奴も今のところ見当たらないしな」
「かしこまりました」
新人教育係は私とキース以外にもまだ何人かいるため、誰かしらのサポートも受けられるだろうと思い私は今回の討伐に参加することにした。
とりあえず今回ウェブスターには仕事をしてもらって、一度同行しておけば納得して次回は解放される可能性が高い。
「ありがとうございますっ!!では、今後の打ち合わせについてはまたご連絡させて頂きます。まずはこの朗報を副団長にお伝えせねばっ」
メイヤー氏は深々と頭を下げて退室し、魔術を使って文字通り飛んで帰った。
後に噂で、魔導士団の副団長はまるで嗜好品のように胃薬片手に仕事をしているらしいと聞いた。私がその気持ちが分かるようになるまで、あと少し。
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