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織田 真の場合

  プロローグ

 見渡す限りの平らな大地。

 植物は一本もなく、地表に白と黒の正方形が交互に、そして延々と並んでいる。

 遠くにはうっすらと切り立った山が見えるがその麓はかすんで見えない。

 山の上には灰色の空が広がっている。しかし雲で覆われている訳ではない。灰色の空だ。地平線のあたりで地面との境が分からなくなっている。

 男がいた。灰色の背広を着た男の足元にはその膝ほどの高さのあるチェスの駒が立っている。

黒の兵士(ポーン)。駒の頭が灰色の空と男の影を映している。

 男はその球を覗き込んだ。



   織田真の場合

     1

 半年前までは嫌でたまらなかったマンションに続くこの登り坂が苦にならなくなった。

周辺のマンションが夕陽に照らされて赤く染まっていくのを美しいとまで感じる。

妻の恵美が妊娠九ヶ月となり、もうすぐ生まれてくる娘を想うと足取りも軽くなるというものだ。

最近では、街をいくベビーカーを見つけるとどの車種がいいのか品定めをしてしまう。それを押す母親にけげんな顔をされることもままあるが。

カツッとつまづいて振り返る。坂道の歩道のレンガが少しずれて持ち上がっている。多少値は張るが、やはりゴムタイヤのベビーカーにしよう。

 そう決めて視線を坂の上に向けると、


男がいた。


 灰色の背広に同色の帽子を被っている。何となくだが、こちらを見ている気がする。

あたりは夕から夜へと移っていく。辺りの景色は先ほどまでの色を暗く失い始めた。

近づくにつれ、男が着ている背広の明るい灰色が妙に映えて見えた。

下を向き目を合わせないようにして男の横を通りすぎることにした。


「こんにちは」


声をかけられ、とっさに男のほうを見た。知っている人だったのだろうか。

男の顔をみて記憶を探る。職場にも昔の記憶にも該当する顔はない。

「織田真さん。話がしたい」

こちらの名前を知っていた。改めて全身を見る。灰色に見えた背広は白と黒の細かな市松模様だった。こんな服を着る人なら覚えているはずだ・・・やはり知らない。

「あの、失礼ですが、どちら様でしょう」

警戒は解かないまま、「失礼」に力を入れてたずねた。

「それもふくめて話をしたい」

関わり合いにならないのが良いに違いない。

「今、忙しいので」

見切りをつけて歩き出す。

名前を聞かれたときに「違います」と言えばよかったのだ。と、隣に自分と違う足音を聞いた。

「あなたなら話が分かる」

男が隣を歩いていた。こちらを引きとめるでもなく、横を歩きながら話しかけてきた。意味が分からない。

「今、忙しいって言ってるでしょ!」

普段だったら言わない攻撃的なセリフを無表情の男に吐き捨て足を速めた。

男はあきらめて立ち止まったようだ。視界から消えていった。しかし後ろから聞こえてきた言葉は再び予想外だった。

「では、落ち着いた時にまた」

驚いて振り返ると男の姿はなかった。


 後をつけられるかもしれないと思い、いつもは通らない道を使ってなんとか家にたどりついた。

家のカギを開けるときも周囲を気にしながらすばやく開け、中に滑り込んだ。のぞき穴から外の様子をうかがう。ひとまず何もなさそうだ。

 リビングには誰もいない。妻の恵美は里帰り出産で実家に帰っている。

実家といっても車で一時間もかからない県内にある。何かあればすぐにかけつけられるように服やら靴やらをつめこんだ旅行バッグが部屋の隅においてあった。

鞄にコンビニのおにぎりとサンドイッチがあるのを思い出し、それをテーブルに広げてテレビをつける。久しぶりの独り暮らしを満喫しようと思っていたら、変な男に会ってしまった。

でも一人でよかった。恵美は昔からカンがするどく、こちらが困っているとすぐに心配そうに聞いてきた。そのうえこちらよりも不安になってしまい落ち着かせるのに苦労する。もし不審な男に会ったなどと話したら、いや話さなくても気づかれて無駄な心配をかけてしまうところだ。

 テーブルでおにぎりをほお張りながらLINEを送る。

【晩飯、コンビニおにぎりなう】

もう一口食べるとすぐに返信が来た。

【なういらない】

【なにかあった?】

どうして分かるのか。

【なにもないよ。一人はさみしいよ】

【うそばっかり。テレビでも見てるんでしょ】

ばればれだ。

その後もタイヤのベビーカーの話をしておやすみのメッセージを送り、スマホを閉じた。


 シャワーを浴び、再びリビングを通って冷蔵庫を開けた。缶ビールが一本冷えている。手を伸ばしたが、恵美に何かあった時に車を出せないのはまずい。ペットボトルの野菜ジュースをとり冷蔵庫を閉めた。

男がいた。

 開いていた冷蔵庫の扉の裏ではなく、目の前に立っていた。

とっさに後ろに飛び退き、キッチンに腰をしたたかに打ち付けた。

灰色の男は無表情でこちらを見ている。手で腰をおさえ、右手に持ったペットボトルをなぜか男のほうにむけながらリビングのほうに後ずさりした。

『何か武器になるものを』

キッチンには男がいて戻れない。鞄の中にカッターがあるはずだ。そちらに目を向けるとすでに鞄の横に男がいた。二人いるのかとキッチンを振り返るがそこに男の姿はない。瞬間移動?

「話の続きをしたい」

男は落ち着いた声で言った。

「ど、どこから入った」

結局ペットボトルを両手でもって構えている。

「その質問は意味がない」

隣から声がした。

「わあ」

情けない声をあげながらもペットボトルを振り回すと手ごたえがあった。が、ただこちらの武器を片手で止められただけだ。その手を振りほどいてテーブルにスマホを見つけとびかかるようにしてつかみ取った。

「け、警察を呼ぶぞ」

スマホの画面を見せながら叫んだ。

「それなら、今日は帰る。明日来る」

そうか。関係ないのか。こんなに簡単に家に入れる男からすれば警察などなんともないだろう。男は先ほどから同じ場所にいる。こちらに危害を加える気はないようだ。

「話がしたい」

男は言った。なんだか力が抜けてしまった。

「話を聞いたら帰るのか」

男はうなずいた。

「分かった。少し水を飲ませてくれ」

コップを空にして

「長くなるか?」

と聞くと

「あなた次第」

男は言った。

「分かった。じゃあまずその帽子をとってくれ」

言いながらソファに座り込んだ。顔をしっかり見ておきたい。

「とれない。これも私の一部。」

男は立ったまま答えた。

「ふん。で、あんたは何者なんだ」

「私はみる」

「ミル?」

「そう。私はみる。

 そして、あなたはこの世界の創造主」


続く


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