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同級生が去り、その場に残された私と見知らぬご令嬢。
ご令嬢がすでに見えなくなった同級生の方を見ながら半笑いで言う。
「逃げるの早くてウケるんだけど。
あ、アイツの名前、何?
今度エマリに教えてあげよ」
「……。」
そんなご令嬢の質問に、私は斜め下の地面に視線をそらす。
……あの、さっきから一応必死に思い出そうと頑張っていたんですけど。
名字は確かミッチェル、否、ミッストンだったか。多分同じ男爵。
さすがに会話の途中でお名前を改めて聞くわけにもいかず。
後で教師に生徒名簿を見せてもらえば、正式な名前がわかるのだが。
そんなことをモゾモゾ伝えたら、ご令嬢に爆笑された。
いや、貴族のご令嬢は腹を抱え涙を浮かべながら爆笑はしないものだと思っていたのですが。
「あんなに熱心に口説いてた相手に、自分の名前すら覚えて貰っていなかったとか!
なんか超憐れじゃね、アイツ。
やば、お腹攣る」
そう言われれば、同級生に対して多少の申し訳なさが募ってくる。
一応私にどういう理由であれ、舞踏会のパートナーになって欲しいと誘ってくれた彼だ。
心の中だけで感謝と謝罪をしておく。
「助けて頂いてありがとうございました。
私、ファニーリ・キプリングと申します」
未だに爆笑の余韻でお腹を抱えたままのご令嬢に向かって自己紹介をする。
…あの、そろそろ笑い収めてもらっていいですか?
「あー、やば。腹痛いんだけど。
ゴホン!んん!
……大変失礼いたしました。
オリヴィア・パウスフィールドと申します」
笑いを収めて、わざとらしく喉を鳴らし、
改めてかしこまった口調で、ご令嬢――オリヴィアさんが私に頭を下げる。
…ん?オリヴィア・パウスフィールド?
「…人間外生物のオリヴィア様?」
「え?人間外?」
「いえ、伯爵家の方とは知らず大変失礼いたしました。
改めてお礼申し上げます」
おっといけない。また口から出てしまったらしい。
誤魔化すように深々と感謝の言葉と共に頭を下げる。
まさかこのご令嬢が、あの噂のご令嬢だったとは。
確か伯爵家に引き取られる前は市井で暮らしていたと言われれば、先ほどの口の悪さは納得である。
しかし人間ユージン様から伝え聞いた数々の言動とかみ合わない点もあって、頭が多少混乱する。
え、本人?それとも人違い?
「いえ、こちらこそ部外者が勝手に割り込んでしまい大変失礼いたしました」
「謝らないでください。
本当に困っていたところを助けて頂いたんですから」
ついでに私が言いたいことを代弁してもらったうえ、特に揉めることなく舞踏会の誘いをお断り出来たのだ。
何か御礼をしなくちゃいけないほどだ。
「あの、ほんと、そんな御礼とか、大丈夫ですから。
その代わり、私と今日ここで会ったことは誰にも言わないでもらっていいですか?
一応、私今日一日学園に登校せずに、寮の自室で勉強中ってことになってるんで」
「…それは、構いませんが」
目の前にいるはずのオリヴィアさんが、実は今寮の自室で勉強中?
じゃあ目の前にいる彼女は一体なんなんだろう。
「いや、あの、なんて言ったらいいかなぁ。
昨日から寮の同室である従姉が隣町まで見合いに行ってて。
当初は私も見合いに同行する予定だったんですけど、メリッサの見合いをぶち壊し続けたら、流石に今回は同行拒否られて」
あの、え?
同行を拒否されるほどに、見合いをぶち壊すとは、一体なにをしたのかすごく気になるのですが。
「別にぶち壊すって言っても暴力暴言とかしないですよ?
ただ従姉の見合い相手を遊びで誘惑しただけで」
「……え、誘惑?」
「そ。コツがあって、別に初対面で直接会話しなくても、視線さえ奪えれば、口元とか指先の動き、目でどうにかなったりするんですよ。
あと大事なのは匂いかな。
あ、よろしければコツお教えしますけど?」
え、気になる。
気になるけど、教えられたコツ、私いつ使うの?
ただそれは元々ひと目を惹く容姿をしているオリヴィアさんだから出来ることであって、そもそも私は視線を奪うことすら難しそうである。
でも知りたい。
あ、もし今度お時間がある時にじっくりと。
ええ、よろしくお願いします。
「そんなことをして遊んでたら、従姉から私に見合い相手を変えて欲しいって相手側から要望が続いたらしくて。それも3回。
それ聞いたメリッサーー、あ、従姉ね、ブチ切れてた」
そもそもなぜオリヴィアさんが従姉の見合いに親族側の付添で同席することになったかといえば、貴族世界の社会見学と、従姉の令嬢としての立ち居振る舞いを見て学ぶという学習一環だったそうだ。
むしろその従姉さんが、オリヴィアさんから学んだほうがいいことがいっぱいある気がする。
…本人には言えないけど。
その従姉のメリッサさんが見合いを終えて戻ってくるまでは一人で学園に行かないようにと寮の自室で自習を言いつけられていたらしい。
が、定期休憩の時間にやってくるメイドという名の監視役の目を盗み、こうして学園の庭で昼寝をしていたとオリヴィアさんはケラケラ笑う。