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世の中には知らなくていいこと、知らないほうが幸せなことは沢山あるのだと改めて思い知る。
それと同時に目をそらし続けることが難しいことも、苦しくても向き合わなくていけないことも沢山ある。
「ファニーリ」
呼ばれた名前と懐かしいとすら感じる顔を見て、私はその事実を深く重く思い知った。
一人で私達の前にやってきたユージン様は、私の姿を見て息をつき、オリヴィアさんの姿を見て息を詰めた。
怒られるかと思った。
ユージン様とのダンスの約束を破るかのように一人でフラフラ移動したせいで、わざわざ探しに来てくれたであろうユージン様の手間となった。
悪いのは私だ。
ここは素直に叱られようと言葉を待っていると、動いたのはなぜかオリヴィアさんだった。
そしてユージン様に真正面に陣取ると、無言で右手の拳を突き出した。
「っ、!?」
声にならない悲鳴を発したのは誰だったのか。
左胸辺りをいきなりグーパンチされて身体を揺らしたユージン様か、
自身の拳に返ってきた衝撃と痛みに悶えるオリヴィアさんか、
その瞬間を目撃した私か。
そのままオリヴィアさんは呆気に取られるユージン様の蝶ネクタイを掴んで無理やり自身に引き寄せ、ボソボソと話す。
私からはオリヴィアさんが何を言っているか聞こえなかったけれども、ユージン様の顔色が一瞬で変わる。
「番犬が来たから私は行くね! ちょっと気合入れて落としてくるわ!」
「おいっ、やめろ!」
ユージン様の静止も聞かず、オリヴィアさんは笑顔で私達の前から中央フロアへと駆けていく。
気づけばすでにダンスが始まっているらしい。
「……」
「……行くぞ」
一瞬の沈黙の末、ユージン様はちらりと私の姿と会場内を見て自身の腕を差し出した。
掴まれということだろうか。
私はおずおずとユージン様の腕に自分の手を添え、ゆっくりと歩き出す。
「……あの、どちらへ? ダンス会場はあちらですが」
しつこいほどにユージン様からダンスのお誘いがあったのだ、当然ながらダンスを踊るために私を探してくれていたのだろう。
しかし今はダンス会場となっているホール中央に目もくれず、なぜかホール出口へと向かっている気がする。
会場につく前から相手がユージン様というだけで、否、ユージン様だからこそダンスの時間を憂鬱に思っていたことは否定しない。
ユージン様から見つからなければダンスの時間を踊らずにやり過ごせるかなぁといった下心もあったことも事実だ。
今だってこの掴んだ腕を振り払ってユージン様の元から逃げ出したくて仕方がない。
でもユージン様は私をご友人たちに紹介してくれたから。
だからせめて舞踏会の間だけは頑張ろうと思ったことも事実だった。
ユージン様の足は止まらず、そのままホールの外へと出てしまう。
そしてそのまま迷いなく廊下をずんずんと奥へと進んで行き、とある扉の前で足を止めた。
ユージン様はジャケットの内ポケットから鍵を取り出し扉を開け、私ごと中へと入っていく。
部屋の中はシンプルにソファセットとベッド、奥の扉には水回りがあるのだろう。
ユージン様にエスコートされるがまま、ソファに腰を下ろす。
そしてユージン様がどこからともなくティーセットをテーブルへと置く。
…だから、何処から誰が手渡しを?
そんな疑問と恐怖は、ティーセットと一緒に会場内にあったケーキが盛られたケーキスタンドを見た瞬間に疑問は消えた。
流石に侯爵令息であるユージン様にお茶の用意をさせるわけにはいけないので、私がやろうとしたら、ユージン様に視線だけで「動くな」と制される。
向かいの席にユージン様が座ったところで、私はせっかく淹れていただいた紅茶を一口。
先程までは冷たいドリンクばかりだったし、夜風にあたって思った以上に身体が冷えていたらしい。
温かい紅茶がとても美味しい。
「落ち着いたか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
そんな私の返答に無言のままふらりと立ち上がったユージン様が、テクテクとテーブルを回り込む。
そして前触れもなくビシっと、私に向けて指を突きつけた。
「お前は!危機管理能力が!足りなさ過ぎるっ!!
なんでフラフラと一人でテラスなんぞに出た!?
変な男に絡まれるに決まっているだろう!?
そしてなぜ大人しくしている!
助けを呼べ!拒絶をしろ!
あんなクソ男なんぞテラスから突き落とせっ!」
キーンと、耳鳴りするほどの声量でユージン様が叫ぶ。
いや、もうこれは、吠えるだ。
「他の男と喋るな、近寄るな!と言っておいただろう!?
もしあの女が間に合わなければ、どうなっていたと思う。
お前なんぞ簡単に変な場所に連れ込まれて押し倒されて、ヤラれていたに決まってるぞ!?」
あちらから勝手に近寄ってこられて、あちらが勝手に喋っていただけだ。
私は返答していないから、喋ったことにはなっていない。
と、思ったけど、きっと言っても納得してもらえないだろう。
それと一応女性の前で押し倒すとかヤルとか言わないでいただきたい。
「前にも言ったよな!?
男に勝手に触られて不快感や嫌悪感はないのか!?」
砂糖を吐き出す陳腐な台詞。
お酒のこもった腐ったような甘い息。
無遠慮に掴まれた汗ばむ手のひら。
それが素肌に触れたのだ。
正直今思い出しただけでも吐き気がこみ上げる。
今すぐ肌を洗いたい。
「あぁ、擦るな。赤くなるだろう」
無意識に掴まれた二の腕をこすり合わせていたら、その腕をユージン様に掴まれる。
「お前だけが悪いわけじゃないと分かってはいるんだ」
私だって分かっている。
ユージン様が私を想って厳しいことを言ってくれていることも、心配してくれていたことも。
それでもーー。
「…全部ユージン様が悪いです」
だって私に他の男と踊るな話すな近寄るなと勝手に言い聞かせたと同時に、ずっと隣にいると言ったじゃないか。
膝をついて私に視線を合わせたユージン様の手が、私の両手を包み込む。
「そうだな。一人にして悪かった」
「…とても怖かったです」
「ああ、ファニーリが怖い思いをしたのも全部俺のせいだな」
「そうです。……全部ユージン様が悪いです」
掴まれた手の大きさに安心感を覚えるのも、
名前を呼ばれるたびに心臓が跳ねるのも、
自分の湧き上がる気持ちに戸惑うのも、
「ああそうだな。すまない、ファニーリ」
そう言って私を抱き寄せて、唇を勝手に塞ぐユージン様を拒めないのも、
全部全部ユージン様のせいだ。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。




