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普段通っている学園のはずなのに、どこか異界に迷い込んでしまったと勘違いするのはなぜなのか。
正門を馬車で通り抜け、馬車は大きな噴水をぐるりと回りながら、本日の舞踏会開催場所である大ホールへと進んでいく。
馬車にかかるカーテンの僅かな隙間からも聞こえる生徒たちの弾んだ声と、馬の足音、車輪の回転音。
「…やっぱり混んでるな。
少し降りるまで時間が掛かりそうだな」
「ではこのまま女子学生寮まで向かってください」
「却下だ」
チッ。やっぱりだめか。
いくら驚きが一周回って冷静になったとしても、生徒たちのざわめきが私に現実を突きつける。
目の前には長い足を組み、何やら書類を読み込んでいるユージン様がいて、
私はこの人のパートナーとして今から学園主催の舞踏会へと行くわけで。
「…お母様似、ですね」
混乱した頭とは関係のない、呟きが落ちた。
皺もくすみも出来物なんか見当たらない真っ白で滑らかな肌、色気と憂いを放つ切れ長の瞳に、鼻筋の通った高い鼻、真っ赤に熟した唇。
髪色こそ違ったものの、先程リプセット家より見送って頂いたリプセット侯爵夫人ーーユージン様のお母様と容姿と目の前のユージン様はそっくりだ。
親子なのだから似るのは当然なのだが、両親の遺伝子を受け継いだというよりも、完全に容姿に関しては同性であるにも関わらず、美しすぎて直視するのを躊躇う侯爵夫人そっくりである。
「自分でも父親から受け継いだのは髪色のみだと思っているし、性格も母親そっくりだと自他共に認めている」
「…初対面のダンス後に逆プロポーズをかまし、次の日に入籍を強行した侯爵夫人とっ!?」
やばい。
私は今更ながらやばい人と馬車に乗っているんじゃないだろうか。
慌ててドアへと視線を向ければ、ユージン様の足が行く手を阻むように伸びる。
ついでに、
「楽しみだな、舞踏会」
そんな言葉と同時にユージン様の指が私の頬を撫でた。
恐怖で泣きそうになった。
****
「周りを見てみろ。皆、ファニーリを見てる」
それは違う。
皆が見ているのは正装したユージン様だ。
普段から女子生徒に熱い視線を受け、一部の男子生徒からは憧れやら尊敬の眼差しを向けられているのだ。
そんな学園の有名人が学校の行事であってもこうして正装していれば、誰もが視線を向けるのは当然である。
私?
私はおまけ。付属物。引き立て役である。
そうである。そうでしょう。そうだよね!?
確かに馬車から降りた時点で、空気が揺れたのがはっきりと分かった。
ユージン様が降り立った時に「きゃあああ」と黄色い声が飛び、
そのユージン様に手を取られて私が馬車から一歩降りた時点で、サァァっと一瞬で音が引いた。
即刻馬車に戻ろうとしたけれども、当然ながら掴まれた手がそれを許してくれなかった。
ユージン様は周りの様子など構うことなく、しれっと私が逃げられないように自らの腕へと私の手を誘導して歩き出した。
そのまま学園の全生徒が入っても余裕があるほどの広大な広間へと足を踏み入れた時も、音が消え、空気が揺れた。
もちろん生徒たちの驚愕と動揺によってである。
「誰だあの女は!?」「この学園の生徒!?」「まさか婚約者!?」
一気に各所で吐き出された言語を、言葉として受け止めようとする前に、脳が処理を拒否し、ついでに私の耳は機能を放棄した。
四方八方から視線が集まるなか、学園長の言葉により舞踏会の開会が宣言された。
しばらく歓談の時間となり、このあとはホール中央でダンスが行われる予定だ。
私はついいつもの癖で壁際に設置されている豪華な食事の方へと歩きだそうとして、歩き出せなかった。
「…お前、俺の存在忘れてるだろう?」
「まさか、そんなわけありませんわ」
オホホホと、扇子で口元を覆う。
忘れたままでいたかったし、むしろ忘れてもらっても構わない。
「嘘を吐き出す口は塞いでおいたほうがいいよな?」
ん?と言いなが胡散臭い笑みを浮かべで近づくユージン様の顔から距離を取るべく思いっきり顔をそらす。
何で何を塞ぐかなんて、聞いてはいけない。考えてもいけない。
私が羞恥心で死ぬ。ついでにわずかにばかりの自尊心も爆発する。
「ファニーリ、綺麗だ」
耳元でユージン様が私だけに聞こえる声で囁く。
そのどこか恍惚とした声音で、私の言葉や思考までも奪う。
「今すぐうなじに噛みつきたいし、真っ白で柔らかな胸元に吸い付きたい」
「ーー黙りなさい、変態」
扇で顔を隠したまま、鋭く一言。
ここがどこで、まわりにどれだけの人がいると思っているのだ。
もちろん一定の距離を開けて遠巻きに見られている状態。
こちらの会話などは聞こえはしないだろうが、表情は伺い知れる。
それなのに隣の変態は私や周囲に構うことなく、私の耳に唇を寄せる。
ついでにいつの間にか腰に回された手が力強く、変態へと引き寄せられている。
「ファニーリ、耳が真っ赤だが?」
「…どこかの変態のせいですわ。飲み物をもらいに行きたいので、離れてもらいます?」
「一緒にいくさ」
「ーーッッ!?」
言葉と同時にがりっと、耳に歯を立てられた。
そして何事もなかったかのように私をエスコートしていく変態。
私は扇で真っ赤な顔を隠しで歩くことしかできなかった。




