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「俺はユージン・リプセットだ。
ちなみにだが、俺と不本意だが、かなり不本意だが一緒にいた女子生徒のことは?」
「………どちらのご令嬢でしょう?」
「そう言うだろうと思った。
あれはオリヴィア・パウスフィールド伯爵令嬢だ」
もちろん私にははじめて聞く名前である。
そう素直に言えば、目の前の男子生徒ーーユージン・リプセット様は一度見開いた目を徐々に細め、なんとも言えない顔で私を見下ろした。
場所は先程のベンチから移動して、裏庭的な場所にある学園管理下にある温室の脇にある休憩所。
丸テーブルを挟んで、リプセット様と向かい合っていた。
そもそもなぜこんなことになったのかは、私にも謎である。
お昼休憩中に本を読んでいたら、目の前に立っていたリプセット様にここに連れてこられたわけである。
誤解とか、他言無用とかなんかいろいろ言われ、
そもそも何を他言無用なのか聞き返したら、拒否不可能の無言の圧力によっての強制連行。
そして先程から、あれこれと一方的にいろいろな話を聞かされている。
ついでに午後の授業は、リプセット様の独断で欠席となった。
「ーーあの女には言葉が通じないのだ!
俺が何度も何度も言葉でも、態度でも拒否を伝えているのに、隙をついてはああやって二人きりになろうして、むやみやたらに身体を密着してくる!
今回だってハンカチが風に飛ばされて木に引っかかったからとって欲しいと言われ、俺は教師、もしくは庭の管理者に頼めと言ったんだ。
それなのに飛ばされたハンカチがフェルから貰ったものだと言うものだから、他の奴らに見つかる前にと女に言われるままあの場所に行ってみればーー」
「木の根に躓いた振りに騙されて逆に押し倒されたと」
「っ、そうだ!そのくせ飛ばされたハンカチという話は俺を庭に連れ出すための奴の狂言だったんだ!」
なぜ俺はあの女の後を追ってしまったのかーー
リプセット様は己のおこした行動を悔やむようにテーブルにうなだれる。
そんなリプセット様の様子を見ながら、私は紅茶を一口。
あぁ、いい天気だなぁ。
「あの女の頭はおかしいんだ!
パウスフィールド伯爵家に引き取られる以前は市井で暮らしていたから、貴族としての立ち居振る舞いやら心構えが未熟なのは致し方ないと理解している。
理解はしているが、だからといって今はただの町娘ではなく伯爵令嬢なのだ!
うるさいお目付け役がいなくて解放的になるのはわかる。
それでも伯爵令嬢であることは変わらないし、むしろ家名を背負っているからこそ己の言動に細心の注意を払わねばならないことを全く理解出来ていない!」
ドン!と、リプセット様はテーブルに拳を打ち付ける。
やはりカップを端に移動しておいて良かった。
「オリヴィア様は皆様と仲良くなりたいのではないでしょうか?」
それがたとえ、この学園に通う生徒の中でも特に将来が有望な方や、国では指折りの高貴な家柄の方ばかりだとしても。
そして私の目の前にいる男子生徒ーーリプセット様もその条件にピッタリと当てはまるのである。
「身分や才能に関わらずに交友関係を広げるのもこの学園が存在する理由の一つであるし、
年若い男女の将来の伴侶を見つける最適な場所になっていることもわかる!
俺だって入学前はそのことを結構楽しみにしていたし、今だって実家に帰るたびに母親に口うるさくいい人が見つかったのかと問い詰められている!」
そう言えば私もこの前実家に帰った時に、父親からもにょもにょとそんなことを言われた気がする。
気がするだけで、今のところそんな男性は見つからないし、見つけようと行動すら起こしていなかった。
今は親が勝手に決めた顔も知らぬ婚約者と家同士の繋がり目的の政略結婚より、こうした学園や職場での恋愛結婚が貴族間でも一般的になりつつある。
「俺の親は、あの世代では珍しく恋愛結婚をしたからこそ、俺の意思を無視して勝手に婚約者を宛行うことはないと言ってはくれているが!
だからといって俺は、あんな女を将来の伴侶とすることを考えることすら脳が拒否するし、むしろ最近は近づかれるだけで殺意が湧く」
「好意とは程遠い感情ですねぇ」
「まったくだ!
さらに許せないのが、俺だけでなくフェルやロレンソ、ライナスにまで粉をかけていることだ!」
リプセット様がおっしゃるフェルとは、たぶんこの国のフライディ王家の三男であるフェルナンド王子のことだろう。
ついでに先程リプセット様の口から出たご学友の名前、ロレンソ様やライナス様も貴族間では名前を知らぬ者がいないほどの大貴族の子息である。
もちろん私とはクラスどころか学年が違うため、そんな高貴な方々とは会話したこともなければ、姿すらはっきりと見たことがない。
そう言う意味ではそんな女子生徒の憧れ集団の一人であるリプセット様と向かい合って会話、ーーというか一方的に愚痴を聞かされている今の状況が私の理解の許容範囲を有に超えている。
「別にあの女が王家の一員になりたいやら、高位貴族に嫁ぎたいという無謀すぎる野望を掲げようが、俺の知らぬところで勝手にやって勝手に自滅すればいい。
ただフェルはだめだ。
あいつはまだ世間に発表はされていないが、すでに婚約者がいるんだ。
というか、その婚約者は俺の妹だ」
「あの、それって私が聞いてもいいお話ではない気がするのですが」
三男であろうが王家婚約話である。
世間に発表されていないということは、その事実を知っているのは王家の一部と、その相手側の家ーーというのはリプセット家である。
一応貴族籍のすみっこのすみっこに名を連ねている我がキプリング男爵家令嬢である私が知っていい事実ではない。
むしろそんな話知りたくなかった。
「別にお前なら問題ない。
ちなみに周りはちゃんと人払いはされているし、俺は今特別室で自習中で、お前は体調を崩して養護室だ」
え、なにそれ、怖い。
私が知らぬ間に、私自身が今ここにはいないことになっていた。
そもそも私はリプセット様とオリヴィア様の密会現場を目撃したことなど、読書を再開させた数秒後にはすっかり忘れていたし、思い出したとしてもわざわざ誰かに話すつもりはない。
ちゃんとテーブルに着いた時に、そうリプセット様に伝えた。
それなのにそれ以上の話を勝手に聞かされた場合はどうしたらいいのだろうか。