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ガラガラと車輪が回る音と、今まで乗ってきた馬車よりも格段に少ない振動。
やはり実家の男爵家の馬車と、侯爵家の馬車の乗り心地は比べようもない。
艶やかな夕焼けが景色を染め上げる時間帯、私ーーファニーリ·キプリング男爵令嬢は快適な馬車の中で意識朦朧としていた。
そう、私はファニーリ。
キプリング男爵家の長子。可愛い弟と妹がいるお姉ちゃんなのだ。
決してユージン・リプセットとかいう男と未来を誓い合った記憶も無ければ、嫁入りする予定もない。
朝起きた時から、朗らかに笑うちょび髭が似合う若々しい紳士と、目鼻立ちのはっきりした強烈美人に嫁扱いされて、つい数刻前に二人に見送られた記憶はきっと脳が誤作動しただけだし、
目の前で嫌味たらしく長い足を組んで座る男のエスコートを受けて馬車に乗り込んだ私は誰かに操られているだけで、
今は学園の舞踏会に向かっているのは多分夢、……夢だよね、つねった頬が痛いってことは夢確定かな!!
「何度も言うが、俺から絶対に離れるなよ。他の男を『見るな、話すな、近寄るな』だからな?」
「……息が、…苦し、い……」
「ダンスに誘われたとしても俺を理由に断ればいいからな。
まぁ俺が隣にいる上で誘ってくる奴なんていないと思うが、結構しつこく舞踏会のパートナーにと打診する奴らが多かったんだ。
頼むから一人で行動しないでくれ。わかったか?」
「………首が、重いし、………値段が、…怖い」
ぎゅうぎゅうに締められたコルセットのせいで膨らまない肺に思いっきり酸素を取り込み、深く息を吐き出す。
深呼吸を何度か繰り返したところで、コルセットの締め付けは緩まないし、
呼吸に合わせて微かに上下に動くどでかい宝石の重みが私に現実を突きつける。
「結局インペリアルトパーズにしたんだな。
本当は俺が選んだトルマリンとシトリンを身に着けて欲しかったが、そっちの方が確かに今日のファニーリにはよく似合ってる」
トパーズの中でも『皇帝』の名をもつ、希少なインペリアルトパーズ。その中でもオレンジがかったインペリアルトパーズはより特別な価値をもち、今では産地が海に沈み、入手不可能になった宝石だそうだ。
そんな宝石が私の胸元に鎮座している。恐怖しかない。
それなのに目の前の変態は満足そうに私の頭からつま先まで視線を往復している。不快。
「…っ、痛!?……ッッ、ファニー、リ、…なにを!?」
気付けば私は思いっきり目の前のユージン様のすねを尖ったヒールの先で蹴り飛ばしていた。
あらいやだ、無意識って怖い。
ついでに隣の足のすねにもヒールの先端を突き刺した。
「ーーーっっっ、」
これはただの八つ当たりだと分かっている。
でも、だって。
私がコルセットによって窒息寸前なのも、
高価過ぎる幻の宝石を首元にぶら下げることになったのも、
すべて目の前で両足の痛みに悶える男のせいなのだから。
時を遡ること舞踏会前日の朝。
日が昇る前の早朝とも呼べる時間に、私の寮部屋へと突撃してきたリプセット公爵家の二人の使用人。
挨拶もそこそこに、いきなり俵のように担がれ、廊下を爆走。
寮前に止められた馬車に押し込められ、馬車も爆走。
そのまま馬車が止まったと思えば、また担がれ、どこぞの建物内部をまた爆走。
急停止して俵から人間に戻ったら、いきなり着ていた服をはぎ取られ、湯船にぶち込まれ、気持ちがいいを通りこして拷問のようなマッサージをされた。
様々な液体を全身に塗りたくられ、顔や髪にはさらに念入りに塗り込まれた。
気分は調理前の食肉。美味しくなる味付けと風味付け。からの熟成。
あれこれと出された食事を使用人に言われるままに食べ終えれば、
気付けば目の前でニコニコとほほ笑む男女。と、ついでのユージン様。
正直何を話したかなんて覚えていない。
とりあえず、ユージン様はちょび髭の紳士を父と呼び、隣の美人を母と呼んだ。
私はそこで気絶した。
目が覚めたら既に朝で、美味しい朝食もそこそこに、また風呂場で磨かれ塗りこまれ、コルセットをギュウギュウに締められた。
また気絶した。
次に目が覚めたら鏡の前には見知らぬ女の間抜けな顔。
それが自分だと気づくのに十五分かかって、気付けば正装したユージン様に腕をがっちりと掴まれてきた。
「楽しんでいらっしゃいな」
「ユージン、ファニーリさんをちゃんと守るんだよ」
そんなお言葉を頂戴してご夫婦に見送られた現在。
湧き上がってくる怒りにまかせてもう一発ヒールをユージン様のすねにめり込ませようとした寸前、目の前に可愛らしいマカロンと、飴細工が差し出された。
「…悪かったな。
外堀から埋めるとは言ったものの、両親に紹介するのはもっと後の予定だったんだ」
まさかこれが昨日からの騒動の謝罪の品だというのか。
サクッとした食感と、クリーミーなクリームと甘さ控えめな生地とのバランスが美味しいマカロン。
締め上げられた身体の空腹の隙間を埋めるように、二個目を手に取る。
次はラズベリーだ。もぐもぐ。
「一応父には事前にファニーリを家に連れてくることを伝えた時に、騒がしくなるから母には黙ってて欲しいと言ったんだが、無駄だったな」
特徴的なくるんとカーブした花びらを見事に再現した飴色に光るライラックの飴細工。
食べてしまうのが勿体ないと感じてしまうほどの出来栄えに、手のひらに乗せてついつい眺めてしまう。
それでもこれ以上時間が経つと体温で飴が溶け、繊細なレースの手袋が汚れてしまっては大変である。
私は心の中でごめんと呟き、口の中へ入れれば、じんわりと甘さが広がる。
「まさか母が自らのアクセサリー類を貸すほどファニーリをひと目で気に入るとは、驚いたけど。
よく似合ってる。
ということで、もうすぐ会場に着くが落ち着いたか?」
私が蹴り上げた両足を軽く動かして痛みがないことを確認しているユージン様の問いかけに、私は無言でもう一つ飴細工を口にいれた。
甘いものは気分を落ち着ける。
なんかいろいろと自分の想定外すぎる出来事に驚きが一周回って、冷静な私がいてーー。
「これ、後でお土産にください」
「ああ、わかった。好きなだけ用意してやるよ」
ハハっと笑ったユージン様の目尻が下がった。
私はなぜかちょっとだけ気恥ずかしくて、視線を馬車の窓に向けた。




