Anecdote.06
「ただいまぁー」
「あ、お帰りなさい」
帰宅してみれば既に夕飯の支度が始まっていた。いい匂いが鼻腔をかすめる。
「今日のご飯は何―?」
「ホワイトシチューです。いいお野菜が手に入ったので……」
夕飯が出来上がるまでの間、刀の手入れでもしようかと工具入れに手を伸ばした。
と、
「……お?」
突然電話が鳴った。けたたましい呼び出し音が室内に響く。鍋の前にいるアマンダがこちらを見たが、軽く手を振って自分が出ると示す。
こんな中途半端な時間に誰だろうか。センターなら朝方に連絡を出すはずなのだが。
「はい、どちらさまですか?」
『ハークか!?』
「あれ、先生?」
かけてきたのはモーリアだった。切羽詰った声に何があったかと首を傾げる。
「どうしたの?」
『すぐに町に戻ってきてくれ、悪魔が――』
「へ、悪魔?」
ブツッと通話が切れた。ツー、ツー、と電子音が聞こえてくる。
悪魔。つまりそれは――
「……ハークさん? 何の電話で」
「アマンダ、夕飯は後、町に行くよ!」
「え? え、あ、はい!」
ハークの声からただならぬ事態を察したのだろう、アマンダは問い返したりなどせずシチューの火を落とした。それぞれの武器を持って家を出る。
「モノレールを使いますか?」
「動いていないと思う。ジープを出そう!」
小屋の横に止めてあった、ジープにかけてあった布を取り払う。ここしばらく使ってなかったがアマンダが手入れをしていたらしく、綺麗だった。助手席に座り、操作はアマンダに任せる。
ここから町までそれなりにある。ジープで間に合えばいいのだが――
町は酷い有様だった。硬いはずの建物は破壊され、建物の下敷きにされた人々の身体の破片が見える。
「うわ……」
慣れているはずのハークですら目を覆いたくなった。こんな惨状、見た事がない。
ジープで町中を走るのは危険そうだったので、町から少し離れた場所に停め、進んでいく。昼はあんなに活気があったのに、今は戦争後のように死体ばかりだ。
流石にこれでは生存者を探す余裕がない。町を襲った想う悪魔が複数なのか単体なのかは分からないが、太刀打ち出来るかどうか。
「……とりあえず病院に行こう」
せめてモーリアの生死ぐらいは確認しなければ。アマンダは真っ青な顔のままこくんと頷いた。彼女のためにも早く済ませた方がいい。
……そういえば他の悪魔の狩人達はどうしたのだろうか。町に住んでいる者やセンターの世話になっている者はかなりいたはずだ。彼ら全員が全員外出中だったとは考えられない。
廃墟に近い町の中を早足で進む。そんなに長くない道が長く感じられた。
ようやっと病院に辿り着いた時、思わずハークは奥歯を噛んでいた。他よりも一層酷く、天井から倒壊した、もはや瓦礫としか呼びようのない残骸が転がっていた。うめき声すら聞こえない。あちらこちらから腕や足が生えている。
「アマンダ、ついてこれる?」
「は、はい」
想う悪魔がいるのなら離れない方がいい。ハークは身軽な格好だが、アマンダは長いスカートを履いている、起伏が激しいここでは動き辛いだろう。アマンダは裾を持ち上げ、何とか動きやすい格好を確保したようだ。一応手を差し延べ、瓦礫の上を歩いていく。
玄関と思しき場所を通過して、受付横の通路を曲がり、進む。しばらく歩けばかろうじて四角く残っているモーリアの部屋があった。他に比べ、破損が少ない。
そういえば昔、「一番丈夫そうなところを分捕った」と話していた。当時は入院患者に譲ってやれよ、と突っ込んだが、今はそれでよかったと思った。
側面からは入れそうになかったので、何とか歪んだ扉をこじ開けた。薬品や資料や破片が散らばる部屋に、モーリアが倒れこんでいた。
「先生!」
アマンダの手を離し、駆け寄って抱き起こした。頭から血が滴った。考え事をする度に乱れていくオールバックが赤い液体に浸っている。
「先生、先生!」
まだ温かい。揺さぶらないように呼びかけ続けると、モーリアは薄っすらと目を開いた。
「……ハーク、か」
「先生、大丈夫!?」
「駄目、だなぁ。お前が呼ばなきゃ、もうちょっとで死ねてたんだが……」
そんな言葉は聞きたくなかった。耳を塞ぎたい衝動に駆られる。血がまみれた口元を歪ませ、モーリアは哂った。
「本当……お前は……」
口を閉ざす。何か言いたくても何も言えない。生きてほしくても医者である本人が無理だと言っているのだから、無理だろう。
諦めたくない。でも、諦めるしかない。
「なあ」
呼吸音しか聞こえない部屋の中で、ぽつりと遺言が落とされる。
「ディンギルディーンを頼む。あれはお前と似てるから……頼む……『薔薇の獅子』なら、お前達、を……引き出しに、……」
クレッシェンド。徐々に小さくなっていく声を聞き逃さないように唇を真一文字に閉じる。
「……煙草、吸いたいなぁ……」
まぶたが下ろされる。それっきり、モーリアの呼吸は途絶えた。