Anecdote.01
そんな、懐かしい夢を見た。
「ハークさん、ハークさん」
「んんー……?」
肩をゆする華奢な手で目が覚めた。ぼんやりとした頭を振り、額をこすりながら身体を起こす。
「あの、センターから連絡来ました、起きて下さい。ご飯の用意してますから」
「んー……」
寝ぼけた頭では上手く考えられない。自分を起こしに来てくれた相棒に生返事をする。彼女は伝わったと思ったのか、ぱたぱたと部屋を出て行った。
がしがしと後頭部を掻き、窓のカーテンを開ける。薄っぺらいカーテン越しに差し込んでいた朝日がもろに顔に当たり、思わず目を閉じた。
「……何か、懐かしい夢見たなぁ……」
ぽつりと呟く。もう六年も経ったのだと思うと途端に寂しくなった。掘り起こされた感傷に自分の事ながら苦笑してしまう。
「こんなんじゃおじいちゃんに笑われちゃうなぁ」
いい加減覚醒してきた頭を振り、安いベッドから降りた。ひんやりとした鉄の床を歩き、クローゼットからいつもの服を取り出す。無地のTシャツに半ズボン。色気もそっけもないそれを着て、鏡の前に立った。
蒼色の長い髪の、群青色の目をした女性。毒にも薬にもならなさそうな表情の自分が映っていた。
手早く髪をまとめると高く結った。いわゆるポニーテールという奴だ。仕事の時に邪魔になるからこうしているのだが、そろそろ切ってもいいかもしれない。バッサリいけばかなり軽くなるだろう。
そろそろ朝食の準備も整っている頃だろう。台に置かれた刀を手に取り、部屋を後にした。
女性――ハークの育ての親が亡くなってもう六年にもなる。あの頃十五だった少女は二十一の女性になっていた。まあ、見た目はほとんど変わっていないのだが。特に体格は少し背が伸びたぐらいで太りも痩せもしなかった。
「おじいちゃん」と呼び慕っていた彼は、十五のハークを残して自殺してしまった。理由は知らない。分からない。彼は物以外の財産――例えば遺言とか――を一切遺さなかったからだ。
財産の内の一つが、ハークが住むこの家だった。居間と小さな部屋が三つあるだけのこじんまりとした住居だが、それで充分だった。同居人は一人しかいないから部屋が余っているくらいだ。
そして、ハークが気に入っているもう一つの財産がこの刀だった。想う悪魔と呼ばれる化け物を狩る、悪魔の狩人だった「おじいちゃん」。そんな彼の武器が刀だった。「おじいちゃん」が自殺に使ったのもこれだったりする。
きっと色々な意味で人生を共にした物なのだろう。最期を迎えるのに使ったのも何かしら思い入れがあっての事に違いない。
同時に、ハークにとっては憧れの象徴だった。何度か彼が想う悪魔を狩るのに付き合った事があるが、そんな時見る「おじいちゃん」は最高に格好良かった。
視線だけで相手を殺してしまえそうな殺意。鞘におさめられた刀。光が閃いたかと思うと、対峙していた想う悪魔が塵の如くバラバラになって、殺害されるのだ。
いつかあの技を教えてもらいたい。そう思っていたのだが、教えてもらう前に「おじいちゃん」は死んでしまった。少しがっかりしながらも、我流で彼を越えようと思い刀を取り、彼の生き様を継ぎたいと悪魔の狩人になった。
――それを「おじいちゃん」が望んでいたのかは分からない。しきりに「もう少し女らしく」とか言っていた事を思うと望んでいなかったかもしれない。けれどはっきりと言い残さなかった「おじいちゃん」が悪い。と思う。
居間に来るとふわり、と鼻腔をいい匂いがくすぐった。
「アマンダ、おはよー」
「おはようございます、ハークさん」
さっき出来なかった朝の挨拶をすると、同居人がこちらを向いてにっこりと笑った。茶色の三つ編みが軽く揺れて、明茶の垂れ目が細められる。細いハークとは対照的に丸みを帯びた身体は女性的で、どこか包容力を感じさせた。
アマンダ。ハークの同居人で、悪魔の狩人としての相棒だ。
「今日の朝ごはん何―?」
「目玉焼きとウィンナー、それからトーストです」
いつものメニューだ。好きな物ばかりなので文句は言わない。「いただきます」と手を合わせてから、バターを塗ったトーストに噛り付いた。
「それで、センターから連絡があったんだって?」
「あ、はい……お仕事だそうです」
アマンダの表情は優れない。具合が悪いのではなく、単純に仕事が苦手なのだ。
センター――ハーク達、悪魔の狩人が所属する組織だ。小規模な自治組織が多く、まとまりがないこの第五面において数少ない大規模な組織でもある。
悪魔の狩人の仕事はセンターによって一元管理されている。所属している狩人にこなせそうな仕事があると連絡が来るのだ。悪魔の狩人の実力も想う悪魔の強さもピンキリで、弱い悪魔は弱い狩人に、強い悪魔は強い狩人に倒させるというのがセンターの方針らしい。
ハーク達は中堅と言ったところだ。想う悪魔は強さに応じてEからSSまで七段階にランク分けされているのだが、ハークのところに来る討伐依頼はBがしょっちゅう、Aがたまに、S以上は全然こない。(そもそもSランク以上の想う悪魔が少ないというのもあるのだが)
「おじいちゃん」はSランクの討伐依頼も来る凄腕だった。だからハークもそうなりたい、のだが。
「ランクは?」
「Cが一匹、だそうです。今動けるのが私達しかいないとか……」
不安げにアマンダがため息をついた。
ハークの足を引っ張っているのは間違いなくアマンダの存在だった。彼女は悪魔の狩人のくせに戦いが苦手なのだ。いや、戦いというよりは、想う悪魔が、だろうか。
分からなくもない。同じ「食欲」の想う悪魔でもEとAでは大きく外見が異なる。Eは可愛らしい犬だったりするのだが、Aだと獰猛な肉食獣になり、さらに奇形へと変じている。普通の女性には恐ろしいだろう。
いい加減慣れてほしい。そう思いながらも口には出さなかった。ハークは二十一、アマンダは十六。三年前から一緒に仕事をしているが、幼い頃から「おじいちゃん」について想う悪魔に慣れ親しんでいたハークと違い、アマンダはそれまで平和な孤児院で暮らしていた一般人だ。いやまあ三年も経つのならそろそろ慣れろとは思うが。
ただその恐怖感が大事だったりもする。幼い頃から慣れているからか、ハークはどんなに強い想う悪魔を見ても何も感じない。感覚が麻痺しているのだ。
そんな時アマンダがいると必要以上に突っ込まなくてすむ。アマンダがいなかった頃は大怪我をする事もしょっちゅうだったが、守るべき存在がいるのだ、と思うと無茶も出来なくなった。「おじいちゃん」がたまにハークをつれて仕事をしていたのは、そういう理由もあったのかもしれない。
ハークは声を上げて笑った。
「大丈夫だよ、アマンダ。悪魔がアマンダを狙ってもあたしが守ってあげるって」
ハークの言葉にアマンダは微笑んだ。眉尻は下がったままで、困っているようにも見える。
「いつもすみません……早く慣れたいです」
「いいよいいよ。その内慣れればそれでいいって」
いつかもっと強い悪魔と戦う時に、逃げ出さず固まらない程度に慣れてくれれば、それで。
屈託なく笑うハークに、アマンダは困ったように微笑んだままだった。