泥から始まる物語
高校二年生。春。葵来春は二年三組になった。今日も憂鬱から始まる。
来春は学生時代を謳歌せずに生きている。早く卒業したい。小学校も中学校もなんか友達とうまくいかなくて、全然楽しくなかった。自分の見た目に自信が持てずに、何事にも積極的にいけず、いつも周りと比べていた。
「はぁ」
最近は溜息が出てしまうようになった。今までは溜息が嫌いだったのに。
小学校の頃から中学校までの唯一の友達は、来春がその子の思うようにならないと、しょっちゅう溜息をつく。その度に、なんで溜息つかれなきゃならないんだよと、内心は怒っていた。だけど、唯一の友達だから嫌われないように何も言い返さずに我慢していた。その子も来春のことを嫌っているわけでもなさそうだったけど、好きでもなさそうだった。来春は好かれなくていい。ただただ嫌われないように、一人にならないように頑張っていた。その子も来春と同じように、お世辞にも可愛いとは言われるような顔ではなかったけど、頭の良さは学年五位以内に常に入っていて、それなりに自分の意見もしっかりと言えるので、来春よりは上感を出していたのかもしれない。そうゆうマウントを来春は取られていたのかもしれない。中学の卒業式の日も、写真はクラスの集合写真と、女子の集合写真の中の二枚に入っただけ。他の誰にも一緒に写真を撮ろうなんて、言われなかった。あ、嘘。言われた。白川明朱華に言われた。
明朱華は中学三年の夏休み一週間前に転校してきた。不思議だった。夏休み前に転校してきたことが。もうあと半年で卒業もして、春にはみんながバラバラになるのに、転校してきた。自己紹介の時に親の仕事の事情と、言っていたけど、明るすぎて不思議だった。
「白川明朱華です、よろしくお願いしまぁす」
第一印象は、とても可愛かった。美人だった。スラッとした足に細いウエスト、身長もそれなりにありそうだった。まだこの学校の制服を持ってないために着ていた、前の制服も地味だが、よく似合う。それに加えて、すごく明るくて、よく笑って元気だった。自己紹介が終わり、
「あそこの一番後ろの席座って」
と、モサモサ頭の、髭を少し生やした、工場で働いてそうな担任に言われると、明朱華は一番後ろの窓際の席に座った。たまたま来春の隣の席だった。朝のホームルームが終わると、すぐに皆が明朱華に寄って集って質問攻めをしていた。まるで珍しいものをこの一瞬しか見れないみたいに。そいつらは、来春の机に、そいつらのおしりや腕や足がぶつかっているのに、無視して、明朱華ばかりに夢中だった。
あ〜こうゆう美人だから皆に好かれるんだと、改めてしみじみ思った。来春は自分の見た目をやっぱり憎んで、周りを羨んでいた。
だけど、意外なことにすぐに明朱華ブームは終わった。二日で終わった。不思議だった。来春が、その理由がはっきりと分かったのは四日目だった。
その日も、いつものように朝のホームルームが終わり、一限の準備をしようとしていた。その時、隣にはまだ座っていなかった明朱華が、扉を開けて入ってきた。その明朱華の姿は、片手に肉まん、もう片方の手にも肉まん。首には白のヘッドフォン。なんか、カオスだった。皆が唖然と明朱華を見ている。その姿もなんだかかっこよかったのだけれど、顔はニコニコ笑っている。
「おはようございまーす!」
明朱華は明るく元気に言った。どうやらヘラヘラしているようだった。
「、、お、おはよう、、」
担任はおはようと同時に右手の人差し指を肉まんに向けた。
「私の朝ごはんです」
「、、あ、あぁ、、初めて見たよ。肉まん両手に遅刻してくるやつは」
「ふーん」
「中学生は買い食いダメだぞ」
「ふぇー厳しー」
「当たり前だろ?まだ中学生なんだから。しかも遅刻までしてやることかよ?」
「先生、ごめんなさい」
「その肉まんは没収だ」
「え、それは嫌だぁ!うち貧乏だから一昨日から何も食べてないんですぅ!やっと肉まん買えたんですぅぅ!!最後まで食べさせてくださぁーいぃ!」
ふざけた、赤ちゃんの泣き真似のような叫び声を出しながら、そう言って肉まん両手に明朱華は一度深いお辞儀をした。そしてまたすぐに顔を上げた。先生の顔を一瞬見て、後ろを振り返り、ゆっくりと歩いて自分の席に着いた。その表情はスンとしていた。
「、、、分かった。じゃあさっさと食べろ。一限までに間に合わせろ」
明朱華はニッコリとした満面の笑みで先生を見ながら、肉まんにかぶりついた。
その様子はクラス全員が見ていた。たぶんそうゆう、KYな感じが三日目にして皆が気づいたんだろう。
それから明朱華はいつも一人でヘラヘラしていた。誰に何を言われようと、どんな嫌な顔をされようと、全然平気そうな顔で一人でいた。移動教室も一人。明朱華から話しかけている姿をよく見るのだけれど、皆、困ったような顔をする。口には出さないけれど、本当は来て欲しくないんだなぁと分かるくらい、分かりやすく困ったような顔をする。
明朱華に話しかけられると、「あっち行って」と言う人もいる。五大樹グループの娘の五大樹希紗里や、その連れの星埜香那未には、
「あんた空気読めないから無理」
「あっち行って。ついてこないで」とも言われてるところを何度も目にしたけど、明朱華は全然ヘラヘラ笑っていた。むしろ、
「ねぇ〜なんでよ〜仲良くしようよ〜」
と、二人の腕を掴み、ダル絡みをし始める。希紗里と香那未はこのクラスの中でも怖い二人と恐れられている。クラスの中で恐れられているなら、クラス外でも怖いと噂になるのが必然だ。だから、普通の人は二人とはあまり関わらないか、関わっても、二人をとても持ち上げる。だけど、この夏休み明けに転校してきた明朱華は、そんなことはきっと知らないだろうし、全く気にしていなそうだった。そんな空気を読まない自分を変えようともしているのかも、友達を作る気があるのかも分からなかった。空気を読むつもりもなさそうだし、わざわざ群れようとするタイプでもなさそうだった。
だけど、明朱華は頭が良かった。夏休み明けの中間テストで学年一位を取った。しかも点数はぶっちぎりでトップ。この学校は国数理社英の五教科で、一教科百点、それを五教科で五百点満点として出す。明朱華は、四百九十八点だった。こんな点数見たことないと、先生たちの間で、明朱華は一気に有名になった。
そして、学校内でも。夏休み明けの運動会、来春たちのクラスは赤軍だった。夏休み前の学年別クラス対抗リレーの練習では、赤軍は最初の方からぶっちぎりのビリだった。夏休み明けのリレーの練習は、欠席する生徒が何人かいたので、全員での練習は全然できていなかったし、皆本気を出していなかった。明朱華も何度か欠席していたので、リレーの練習は一回もしていない。そして本番、赤軍はまた最初からビリだった。他の、青、緑、黄色の三つの軍との差がどんどん開いていく。
「もう早く走って終わりたーい」
「それなぁ、どうせビリだしね笑笑」
「もう走ってるところ見られたくないんだけど〜!」
女子たちはこれらを何回も何回も繰り返して言う。来春も他の子も大体走り終わって、後半戦が始まる。
やっぱり赤軍はビリ。何人バトンを繋いでも他の軍との距離はどんどん開いていく。そして、明朱華。
最後から三番目に明朱華が走る。今、向こう側のグラウンドのレーンに立っているのは明朱華だ。
「次誰?」
「明朱華」
「走ってるの見たことないよね〜?」
「うん、全部の練習来なかったもんね」
「なんか遅そう笑笑」
「えそれな笑」
皆が明朱華に対してそう思うのは、たぶんいつもヘラヘラしているから。あのヘラヘラ具合で速そうには見えないのだ。だけど来春は密かに明朱華に期待していた。美人で頭も良くて、ヘラヘラだけどどこか芯がありそうな感じ。希紗里や香那未にも堂々といけるあの感じ。只者では無さそうな雰囲気。
いよいよ、明朱華に赤いバトンが繋がれる。他の軍はもう走って行ってしまったから、明朱華は一人で向こう側に立っている。その顔は珍しく笑っていなかった。真顔だった。来春はそんな明朱華の綺麗な顔を見ていた。明朱華が走る直前まで。ついに、明朱華が走り出して、バトンをもらった。
皆が驚いた。走り方がとっても綺麗でかっこいい。風に吹かれた前髪の下には、綺麗なおでこがあった。そして、とっっても速かった。レーンの中間地点を通り越してもうすぐ次の走者にバトンを渡そうとする一位の青軍を追い越してしまった。そのまま明朱華の後に走る二人も足が速いので、結果、赤軍が一位をキープしてゴールした。
明朱華が走った時のあの歓声、走っていた時のあの綺麗な明朱華は、来春の脳裏にへばりついて離れない。忘れない。
「えー!!やばい!!めっちゃはやいじゃん明朱華!」
「がんばれー!いけるいける!」
「めっちゃ舐めてたわ笑くそ速いじゃん笑」
誰もが驚いていた。本当に只者じゃないと、来春は思った。
もっと有名人になった。
体育祭が終わってから、明朱華は男子に告られるようになった。その度に断っている。
ついには、学年一イケメンの男子にも告られたが、明朱華はいつものヘラヘラで返事をした。
「俺と付き合ってくれませんか?」
二人以外、誰もいない廊下。
「私は誰とも付き合わないって決めてるのよ〜笑笑」
「どうして?」
「それは秘密っ」
「一生?」
「うん、一生」
「どうして?」
「それも秘密っ」
明朱華はそのまま振り向いて教室に戻った。その足で来春に話しかけた。
「ねー来春」
来春は驚いた。初めて明朱華に話しかけられたから。来春の名前を知っていたのも驚いた。話すのも初めてだ。それでも驚くとなんだか自分がとても低い人間だと思われるのが少し嫌で、冷静を装った。
「なに?」
「どうしてさ、人ってそんなに誰かと付き合いたいって思うんだろうね」
「文哉くん?」
「うん」
「また断ったの?」
「うん」
「どうして?」
「どうしてって、、、付き合わなくていいから」
「好きな人とか欲しくないの?」
「うん、いらない」
「どうして?」
「一人で生きたいから!」
「ふーん」
一人で生きたいから好きな人を作らないって来春にはよく分からなかった。
「来春おはよう」
「あ、明朱華おはよう」
その次の日からは、これが毎朝の二人の習慣になっていた。意外と二人の相性はよく、だんだんと仲良くなっていった。
が、しかし。来春は明朱華の、女子からの妬みや恨みなどがすごいことが分かっていたので、自分も明朱華と一緒にいたら妬みを買うことになると思ってしまった。だから、まだ唯一の友達であるあの子と卒業するまでは、平凡にいたいと、明朱華のことが好きだけど仲良くはしないことを決意してしまった。それでも明朱華は一人でも楽しそうだった。そんな明朱華を羨ましがった。来春は本当は希紗里&香那未や、他の四人グループのようなキラキラ感に憧れていた。
続