吐露
「さて、と。こっちが当たりかあっちが当たりかはわからないけど」
エンティは目的地に到着したところで、周囲を見渡した。
「ドランにはあんなことを言ったけど、日頃の行いが悪いのかな」
近くに誰かがいるから、一人で乗り込むことにはならない。
ドランにはそんなことを言ったが、運が悪いのか冒険者らしき人間は見当たらなかった。
「でも、ここで足止めされているわけにもいかない、か」
エンティは意を決して乗り込んだ。
「人の気配はなさそうだけど」
思っていたよりも物静かで、エンティは拍子抜けしていた。そして、自分が立てた仮説が正しかったことの証明にもなっていた。
この状況で、大人しく嵐が過ぎるのを待つのはあまりに楽観的だ。
エンティは足音を立てないようにはやる気持ちを押さえてゆっくりと歩く。
奥の方から僅かに光が漏れているのが見えた。
「当たり、かな。まあ、全く関係ない誰かの可能性もあるけど」
少なくとも、人がいることは間違いない。
エンティは慎重に光が見えた方へと足を進めた。
近づいていくにつれて、人の話し声が聞こえてくる。その様子からして、会話をしているのは二人だと推測できた。
「二人なら、余程の手練れでない限りはどうにか……いや、当たりなら片方はフィルか。一人なら、多分どうにかなるかな」
冷静に考えれば、見張りを任せられるほどの相手が手練れでないはずがない。それでもそう思ったのは、エンティが冷静さを欠いていたのか、それとも他の理由からか。
ただ、どんなことがあってもフィルイアルを助け出す。
その決意だけがエンティを突き動かしていた。
「ここ、か」
僅かに光が漏れている扉に手をかけようとして、中からの声が聞こえてその手が止まった。
「フィル!!」
中にフィルイアルがいるのがわかった瞬間、エンティは魔術で扉をバラバラに切り刻んでいた。
「エン、ティ?」
フィルイアルが信じられない、というように呟く。
「はっ、囚われのお姫様を助け出す王子様の……」
ブルグンドの軽口は最後まで続かなかった。
正面からエンティに殴られて、壁に叩き付けられる。
「えっ?」
信じられない光景に、フィルイアルは思考が追いついていなかった。
エンティは魔術師としては申し分ないが、体術の心得があるわけではない。いくら相手がブルグンドとはいえ、あそこまで一方的に殴りつけることができるはずがなかった。
「うわっ、物凄くだるいな。自分の体に強化をかけるのは初めてだけど、こんなに負荷かかるんだ。腕だけにしておいて良かったよ」
エンティはブルグンドを殴りつけた右腕がまともに動かないことに気付いて、そう呟いた。
「フィル……怪我は、ないかい」
そしてフィルイアルに近寄ると、魔術で腕を縛っている縄をバラバラにする。
「ええ、無事よ」
フィルイアルはそれだけしか言葉を紡ぐことができなかった。他にもたくさん言葉にしたいことがあったが、上手く出てこなかった。
「良かった。シャハラさんが先導して、街の冒険者が君を助けるために動いてくれているんだ。後で、みんなにお礼を言わないとね」
「そう、ね」
「行こう」
「待てよ」
エンティがフィルイアルを促して部屋から出ようとすると、ブルグンドが立ち上がっていた。
「強化をかけた腕で殴られても、まだそれだけの元気があるなんてね」
「何をしたかはわからんが、いくら威力があっても体術そのものは素人だな。あれじゃ、致命傷にはならねえよ」
ブルグンドは強がっているものの、足がふらついている。エンティの一撃が効いているのは間違いないが、それでもこのままでは終わらないという強い意志が感じられた。
「君は……フィルの婚約者だった……」
フィルイアルが婚約破棄する現場にいたから、エンティもブルグンドのことは覚えていた。
「フィルに逆恨みして、こんなことをしたってことか」
「傍から見れば、そうなるんだろうな。だが、俺もお姫様の被害者だぜ。散々良いように使われて、利用価値がなくなったら捨てられたわけだからな」
ブルグンドは自嘲的に吐き捨てた。
その瞬間、エンティは左手でブルグンドの胸元を掴んでいた。
「はっ、お前もいずれ利用価値がなくなれが捨てられるさ」
「君は……」
エンティはブルグンドを掴んだ左手に力を込める。
「何だよ」
「君は、大人しくしていれば、僕がどれだけ望んでも絶対に手に入らないものを手に入れられる立場だった。それなのに」
エンティは動かなくなっている右手を強化魔術で無理に動かすと、ブルグンドを殴りつけた。
「自分が、どれだけ恵まれていたかも知らないで」
感情を抑えきれずに、もう一度殴りつける。
「わけの、わからないことを……」
ブルグンドは殴られ続けて、息も絶え絶えになってきていた。
「君に、僕の気持ちが理解できるなんて思っていない。僕は、いずれは諦めなくちゃいけないんだから」
「エンティ!!」
もう一度殴りつけようとしたエンティを、背後からフィルイアルが抱きしめる。
「もう、いいの。私は、本当に、大丈夫、だから」
「フィル……僕は、君を泣かせてばかりだ」
フィルイアルが泣いていたのを見て、エンティの左手から力が抜ける。
そのまま、ブルグンドが崩れ落ちた。
「はっ、よく言うぜ。お前は自分が望んでも手に入らないものがある、なんて言うけどよ」
ブルグンドが倒れ込んだままで口にする。
「俺のために泣いてくれる奴なんて、誰もいなかったよ。しかも、それがお姫様となればお前の方が余程恵まれてるんじゃねえか」
「……お互いに、ないものねだりをしているみたいだね」
その言葉に、エンティはブルグンドもまた葛藤していたのだと気付かされた。
だからこそ、自然にそんな言葉がでてきてしまう。
「ははっ、違いない」
ブルグンドはそのまま気を失っていた。
「エンティ」
フィルイアルはエンティを抱きしめる手に力を込める。
「フィル? 僕は、もう落ち着いたから。そろそろ、離れてもらえないかな」
エンティはどうにも落ち着かなくなって、そう言った。
前もこうやってフィルイアルに抱きしめられたことはあったが、あの時とは状況が違う。あの時は余計なことを考えている余裕はなかったが、今はそうではない。
「もう少し、だけ。きっと、これが最後だから」
「わかった」
最後、という言葉にエンティは何も言うことができずにいた。今までも命の危険はあったとはいえ、冒険者として切り抜けることはできていた。
だが、今回のような騒ぎになってしまったら、これ以上冒険者を続けることはできないだろう。
それは、フィルイアルが王宮に戻ることと、クランの解散を意味していた。
「私、あなたと一緒にいてとても楽しかったわ。最初こそ、とんでもない出会い方だったけど、ね」
「それを言われると、返す言葉もないよ」
フィルイアルから出会いのことを皮肉られて、エンティは苦笑してしまう。今だからこそ笑い話にできるが、当時は本気で魔術学院を退学することになるかもしれない、と思ったものだ。
「でも、あなたのおかげで、私は認識を改めることができた」
「僕も、ですよ」
フィルイアルはエンティのおかげで考え方を変えることができた、と言うがそれはエンティも同じだった。
「あなたは、そんな必要なかったじゃない」
「フィルに対する認識、かな」
「納得」
「それに、僕も君と一緒にいられて楽しかった。それこそ、ずっと一緒にいたいと思うくらいにね。だけど、それは許されないことだから」
エンティはフィルイアルの手を取ると、ゆっくりと自分の体から引き離した。
「でも、君と一緒にいた時間は僕にとってかけがえのないものだった。ありがとう、フィル」
「お礼を言うのは私のほうよ」
「姫様、僕があなたとご一緒できるのは、ここまでのようです。これからはお互いに別の道を歩くことになるでしょうけど、どうかお元気で」
エンティは片膝をつくと、フィルイアルの手の甲にそっと口づけた。
「エンティ?」
思いがけないことをされて、フィルイアルが驚いたようにエンティを見る。
「ははっ、最後に少し恰好つけてみたけど、らしくなかったかな」
「そう、ね。本当に、らしくないわ」
笑いながら立ち上がるエンティに、フィルイアルは小さく首を振った。
「私も、あなたとずっと一緒にいたいって……いえ、これ以上は口にしては駄目ね。本当に、本当にありがとう。あなたのことは忘れないわ」
「忘れてください。それが、お互いのためです」
「あら、あなたは私のことを忘れるのかしら」
「それは……忘れられる、わけなんか、ないじゃないか」
「ちょっと、意地悪だったかしら」
フィルイアルはそう言うと、エンティの顔に自分の顔を近づける。
そして、頬に軽く口を付けた。
「ふぃ、フィル⁉」
これにはエンティも飛び上がらん勢いで驚いていた。
「ふふっ、そんなに驚いてくれると、私も嬉しいわ。これが、私にできる精一杯のお礼、よ。そろそろ、行きましょうか」
「あ、ああ」
エンティは動揺のあまり、それしか口にできなかった。




