誘拐
「お前、何かあったのか」
エンティとフィルイアルがどことなくぎこちないのを見てか、ドランがそんなことを聞いてきた。
「何かあったか、と聞かれたらあった、としか言えないけど」
エンティはできるだけ動揺を隠して、そう答える。
「お前とフィルが喧嘩するなんて、珍しいな。本当に最初の最初くらいじゃなかったか」
「ははっ、そんなこともあったね」
エンティはその時のことを思い出して、力ない笑みを浮かべていた。
思えば、あれがあったから今こうしてフィルイアルと一緒にいる。今でも間違ったことをしたとは思っていないが、こんな気持ちになるならフィルイアルと関わるべきではなかったかもしれない。
「僕にとって、フィルはとても大事な人なんだ。だから、このままじゃいけないって、そう思っている」
「なるほどな。まあ、お前の言うことは間違ってないと思うが」
ドランはその言葉だけでおおよそを察していた。
そんな芸当ができるのも、また付き合いの長さからくるものだろう。
「君は察しが良くて助かるよ」
「ま、依頼に支障がなければ構わんさ。もっとも、今はそんなに難しい依頼はないだろうから、そこまで問題にはならんと思うが」
「そうだね。仮の話だけど、フィルが王宮に戻ったら僕達はどうするべきかな」
本当にエンティは何気なく聞いたのだが、意外にもドランは真剣な表情になっていた。
「ミアがどうするかにもよるけど、今までのようにはいかないだろうな。そうなりゃ、このクランは解散するしかないな」
「そう、か。そうなったら、どうしたらいいかな」
「お前は先生の所に行けばいいんじゃねえか。俺は、どうしたもんかな」
「僕が先生のクランに、かい。ちょっとばかり実力不足な気もするけど」
ドランにそう言われたものの、エンティはいまいちしっくりこなかった。
確かにシャハラからも勧誘されてはいたが、あれが本気だったとはどうにも思えない。
「君は……冒険者としての経験を商売に生かしたらどうかな」
「簡単に言ってくれるがな。冒険者向けの商売なんか、とっくにうちでもやってるんだよ」
「でも、実際に経験した人ならではの視点ってのはあると思うんだけど」
「確かにな。フィルの剣にしても、あんな使い方をするのは例外とはいえ、冒険者としてはもっと良い武器が欲しいって思うのは当然のことか。それに、服にしても機能性や強靭さを追求しつつ、より良いデザインというのも悪くないか」
エンティに言われて、ドランは難しい顔をして色々と考えていた。
「ちょっと、出かけてくるわ」
二人がそんな会話をしていると、フィルイアルが顔を出した。
「あ、フィル……」
エンティは何かを言わなければいけないと思ったが、その先の言葉が出てこなかった。
「どこに行くかは知らんが、あんまり遅くならないようにな。フィルは美人だから変なのに絡まれかねん」
代わりに、ドランがフィルイアルのことを気遣うようなことを言った。
「大丈夫よ、そういった輩の相手は慣れているから」
気のせいでなければ、フィルイアルが一瞬だけエンティの方を見たようにも思えた。
「フィル、剣」
フィルイアルが帯剣していないのに気付いて、エンティはそう言った。魔術も使えるから問題ないのかもしれないが、以前フィルイアルが命中精度に問題があると言っていたことを思い出していた。
「あっ……すぐ戻るから、問題ないわ」
フィルイアルは腰に手を当てて、軽く首を振った。
「じゃ、行くわね」
そして、そのまま外へと出て行った。
「お前ら、本当に……いや、これ以上は野暮か」
ドランも二人の関係に思うところはあった。だが、あまりに身分が違い過ぎてどうしようもないこともわかっている。
それをわかっていて、ここまで放置しちまったのは……友人として駄目だったな。
内心でそう呟くだけしかできずにいた。
「はぁ、わかっては、いるんだけど、ね」
フィルイアルは外をぶらつきながら、思わずため息を漏らしていた。
「まさか、エンティがあんなことを……いや、私のことを友人だって思っていてくれるからこそ、あんなことを言ったんだと思うけど」
王宮の混乱が収まったのなら、戻るべきだ。
それは自分でもわかっていたし、長くても数年、下手をしたら年内くらいには収まるのではないかと予想もしていた。
だが、そこから目を逸らしていたことは否定できなかった。
「私は……そっか。ずっと、この生活を続けたいって、そう思っていたのね」
そして、本音が口から零れ落ちる。
何のことはない。ただ、自分が王宮に戻りたくないだけだった。そして、現実逃避していただけ。
「私も、覚悟を決めないといけないわね」
「フィルちゃん、どうしたんだいこんな所で」
「あ、店長……じゃなかった、ハンナさん」
フィルイアルが聞き覚えのある声に振り返ると、ハンナがいた。つい以前の癖で店長、と呼びそうになって慌てて訂正する。
「フィルちゃんがうちで働いていたのも少し前のことなのに、何だか懐かしいね」
ハンナは以前と変わらない様子でそう言う。
「そうですね。てん……じゃなかった、ハンナさんも、私の事情には薄々気付いていたんでしょう。それでも雇ってくれたことには、本当に感謝しています」
「そんなフィルちゃんが、今ではこの街でも有数の冒険者だものね。本当、何がどうなるかわからないってのはこのことかね」
「そう、ですね。あの時は私もお金に困っていましたから、とても助かりました」
以前と変わらない態度で接してくれるハンナに、フィルイアルは少し救われたような気がしていた。
「何かあったのかい」
「えっ?」
ハンナにそう聞かれて、フィルイアルは上手く答えられなかった。
「わかりやすい、とまではいかないけどね。フィルちゃんは普段から毅然としているからさ。それが崩れているから、何かあったんだろうなってことくらいわかるさ」
「本当に、良く見ていますね。私の配下に欲しいくらいですよ」
「それは嬉しいことを言ってくれるね。でも、あたしにゃ酒場の女将がちょうどいいさ」
「本当に、在野にはとんでもない人材が眠っているものですね。私に権限があれば、もっと在野からの人材を登用できたのに、勿体ないです」
フィルイアルは僅かに笑みを浮かべてからそう言う。エンティにしてもドランにしても、もし許されるのなら自分の元で働いて欲しいと思っているのは間違いない。
だが、今の王宮でそれが難しいのは事実だった。
「偉い人には偉い人の事情ってのがあるからね」
「私、どうしちゃったんでしょうね。本当は、ずっと一緒にいられないってわかっていたのに」
「そうかい。でも、今までエンティと一緒にいたことは、フィルちゃんにとって無駄なことじゃなかったんじゃないかい」
「ははっ、つい本音が漏れてしまいましたか。それも、わかっているんです。でも、どうしても気持ちに区切りが付けられない、それだけの話ですから」
ハンナにエンティのことを指摘されて、フィルイアルは自虐的な笑みを浮かべてしまう。普段から他人に弱みを見せないようにしてきただけに、相当参っていることが自分でもわかる。
「……ま、深くは詮索しないよ。でも、愚痴くらいならいつでも聞いてあげるさ」
「ありがとうございます」
ハンナの気遣いに、フィルイアルは礼を言う。
今すぐに気持ちの整理はできないだろうが、いずれは決着を付けないといけない。
「おやおや、お喋りしていたらすっかり遅くなったようだね。あたしもそろそろ店に戻らないと。フィルちゃんもみんなが心配する前に帰りな」
「はい、それでは」
フィルイアルはハンナに会釈する。
自分でも気づいていなかったが、日も落ちて人通りもほとんどなくなっていた。
「おっと、それは少し待ってもらおうか」
不意に呼び止める声がした。
「何かしら」
面識がない相手だったこともあって、フィルイアルは威嚇するような声を出していた。
「ちょっと、あんた……」
「関係ないのは引っ込んでいてもらおうか。命が惜しいなら、な」
口を出そうとしたハンナを、男は射貫くような眼で見据えた。
「これは、素人が下手に手出ししたら駄目な相手ってことかい」
「ほう、人を見る目はあるようだな」
ハンナが手出しをしてこないのを見て、男は少し驚いたように言う。
「こちらとしても目立ちたくはないのでな。大人しく言うことを聞いてもらおうか」
男はフィルイアルに向けてそう言う。
「そう言われて、わかりましたと素直に聞くとでも?」
「まあ、そうだろうな。力づくでも言うことを聞いてもらおうか」
「そう簡単に……」
フィルイアルは腰に手をかけて、帯剣していないことに気付く。
「噂の魔術剣士様も、剣がなければ形無しだな」
その様子を見て、男が馬鹿にするように言った。
「私のことを随分と調べているようだけど、それなら私が魔術を使えることも知っているわよね」
フィルイアルは右手に雷を宿らせる。魔術を実戦で使うのは卒業以来だが、万が一に備えて訓練だけはしていた。
「ハンナさん、私が抑えているうちに逃げてください」
「わかったよ」
ハンナはフィルイアルの言葉に従って脱兎のように走っていった。
「魔術は久々だけど……ライトニングブラスト‼」
ハンナが逃げたのを見計らって、フィルイアルは男に雷を放った。相変わらず命中精度に難はあることもあって、男の足元を狙う。
「足止め目的か。随分とお優しいことで」
だが、その雷はあっさりとかわされてしまう。
「やれやれ、ね」
フィルイアルは一息つくと、どうしたものかと思案する。
雷は威力があるから、下手に外して周囲に被害を与えるわけにはいかない。それもあって外れても地面に当たるようにしていたが、直接体を狙う必要がありそうだった。
「別の属性で……アイスジャベリン‼」
今度は男の頭上から氷の槍を複数放つ。エンティの切り札ほどではないが、複数の氷をさばくのは簡単にできることではない。
「魔術師を相手にするとわかっていて、対策をしていないとでも」
男は難なく氷の槍を切り伏せていた。
「素手の相手に剣を使うなんて、マナーが悪いわね」
「こちらにそんなものを求めるのが筋違いだろう」
男は間髪入れずに、フィルイアルに斬りかかった。




