初仕事
「エンティ、今日もよろしく頼むよ」
フィルイアルと一緒に店に着くと、いつも通りにハンナが声をかけてきた。
「はい、お願いします」
「ん? その子はどうしたんだい」
ハンナはエンティの隣にいるフィルイアルに目をやった。
「えっと、店長。給仕係が欲しいって言っていましたよね」
「確かにそうだけど、まさか、その子が給仕希望なのかい」
エンティに言われて、ハンナは興味深そうにフィルイアルを上から下まで舐めるかのように見る。
「お嬢ちゃん、名前は」
そして、フィルイアルにそう聞いた。
「フィルと呼んでください」
フィルイアルはそう名乗った。
「それで、フィルちゃん。ここで仕事をしたいってことだけど。見たところ、いいところのお嬢様みたいだけど、どういうことだい」
ハンナは訝しげに聞いた。確かにフィルイアルの服装は一般人とは思えないほど高価なものだから、ハンナでなくともそう思うだろう。
「はい。少しお金が必要になりまして」
ハンナに対して丁寧に応じるフィルイアルを見て、エンティは驚いていた。学院で見せていた王族らしい態度がすっかり消えていて、まるで別人かのようだった。
「じゃ、奥に来てもらおうかね。そんな綺麗な服じゃ汚れて大変だから、こちらで服も用意するよ」
「はい」
「エンティは薪を割っておいてちょうだい」
「わかりました」
店の奥に入っていく二人をよそに、エンティは店の裏へと向かった。
「本当に姫様がここで働くのか……いや、どうせ長続きしないとは思うけど」
エンティは薪を土台に乗せると、人差し指を薪の上に乗せた。
「風よ、刃となれ」
指先から発生させた風の刃で薪を割る。非力なエンティが斧で割るよりも早いし、何より魔術の訓練にもなる。まだ学院で本格的な魔術の授業はなかったが、クラースから手ほどきを受けていたこともあって、ある程度の魔術は使いこなせるようになっていた。
「大したものね」
それなりの数の薪を割ったところで、背後からそう声がした。
「あ、姫様……って、その恰好はどうしたんですか」
振り返るとフィルイアルがいたが、その服装にエンティは目を奪われていた。
「この格好? 店長さんが用意してくれたものだけど、おかしいかしら」
フィルイアルはその場で一回転して見せる。
「いえ、姫様が着る服としては相応しくないかと思いまして」
エンティは似合っていると思ったが、それを素直に口に出したら機嫌を損ねるかと思い口にはしなかった。
「フィルと呼んでちょうだい。それと、敬語も禁止よ。私の素性がばれたら面倒じゃない」
「えっ、そ、それはいくらなんでも……」
「私の言うことが聞けないと」
フィルイアルは穏やかだが、有無を言わさぬ口調で言った。
「わ、わかりました」
それに気圧された形となって、エンティは渋々ながら頷いた。
「それにしても、見事なものね。まだ本格的に魔術の使い方は習っていないはずだけど」
「ああ、これですか」
「敬語」
「あっ、す……ごめん」
フィルイアルに指摘されて言葉を直したが、エンティは何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。
「魔術で薪を割るなんて発想、私にはなかったわ」
「僕は非力だから、こういった力仕事に魔術を使うと効果的なんだよ。魔術をコントロールする訓練にもなるしね」
「あ、そうそう。ハンナさんがあなたを呼んでいたわよ」
「わかった」
エンティは周囲に散らばっている薪を集めると、それを両手で抱え込んだ。エンティの体が大きくないこともあって、全部を抱えることはできなかった。
「私も手伝うわよ」
それを見てか、フィルイアルはエンティが持ちきれなかった薪を両手で抱えた。
「結構重いわね」
「無理しなくていいよ。慣れてないだろうし、フィルの仕事は給仕だからさ」
フィルイアルが薪を運ぶのに苦戦しているので、エンティはそう言った。ずっと王宮で過ごしてきたから、力仕事をする機会などなかっただろう。
「無理はしてないわよ」
「いや……じゃ、こっちに運ぶから付いてきて」
エンティはフィルイアルに付いてくるように促した。
明らかに無理をしているように見えたが、それを指摘しても素直に聞き入れないような気がした。
「後は僕がやっておくから、薪はそこらに転がしておいていいよ」
薪の保管場所に着いたところで、エンティはそう言った。
「お願いするわね」
フィルイアルは抱えていた薪をゆっくりと地面に下ろした。思ったよりも重かったのか、肩で息をしていた。
「あなた、毎日こんなことをしているの」
「毎日じゃないよ。店が休みの日もあるし」
「それでも、授業を受けながら仕事をするなんて大変じゃない」
「もう一年以上続けているからね。それよりも、フィルは大丈夫かな。慣れない仕事しながら授業を受けるのは大変だと思うけど」
正直なところ、エンティはフィルイアルが仕事を続けていくのは難しいと思っていた。接客が主になるだろうから肉体的な負担は少ないだろうが、厄介な客の相手をすることも多くなるから精神的にきついだろう。
「もう、決めたことだから引かないわ」
「僕にできることなら手伝うから、遠慮なく言ってくれていいよ」
余計なことかと思ったが、エンティはそう言った。
フィルイアルの決意が固いのを見て、エンティはできる範囲で手助けしようと思っていた。
「……ありがとう」
フィルイアルは気恥しいのか、小声でそう言った。
「エンティ、フィルちゃん。早く来てちょうだい」
店の中からハンナが二人を呼ぶ声が聞こえた。
「はい、今行きます。フィルは先に行っていて。僕も薪を片付けたらすぐに行くから」
エンティは店内に向かって返事をすると、急いで薪を片付け始める。
「わかったわ」
フィルイアルは頷くと、店の中へと入っていった。
「エンティ、また火加減を調節してくれ」
「はい」
料理長に呼ばれて、エンティは慌てて厨房へと向かう。
その際にちらっと店内を見たが、フィルイアルがたどたどしく接客をしている様子が見えた。
「姫様、大丈夫かな」
その様子を見て、エンティは少し不安になっていた。
今まで人の上に立っていた人間が、いきなり接客をしろと言われても難しい。
「エンティ、今日は客が多くて大変なんだ。早く頼む」
「わ、わかりました」
料理長の言うように、どういうわけか今日は普段よりも客入りが良かった。
「ということは、注文が多くなるから普段よりも強めにすればいいですか」
「おう、それで頼む」
「炎よ」
エンティが魔術を使うと、弱くなっていた火が一気に強くなった。
「助かったぜ、次は野菜を切っといてくれ」
「はい」
忙しさにかまけていると、フィルイアルのことはすっかり頭から消え去っていた。
「お疲れさん、エンティ。それにしてもいい子を連れてきてくれたね」
閉店時間になってエンティが一息入れていると、ハンナが労いの言葉をかけてきた。
「あ、お疲れ様です。ひめ……フィルは、大丈夫でしたか」
「どう見ても、良い所のお嬢様にしか見えないけどね。最初こそたどたどしかったけど、慣れてきたらそれなりにこなしてくれるようになってね。思わぬ誤算ってこのことだよ」
「そうですか。でも、慣れないうちは無理させないでくださいね」
フィルイアルがそつなく仕事をこなしていたと知って、エンティは意外に思いつつも安堵していた。
「何か事情があるようだけど、深くは詮索しないよ」
「そうしてもらえると助かります」
「ハンナさん、着替え終わりました」
二人がそんな話をしていると、フィルイアルが入ってきた。その表情からは慣れない仕事で疲れているのがわかった。
「フィルちゃん、お疲れ様。明日からも頼みたいんだけど、大丈夫かい」
「はい、よろしくお願いします」
フィルイアルは小さく頭を下げた。
「当てにしてるからね。エンティ、ちゃんとフィルちゃんを送っていくんだよ」
「はい。じゃ、行こうか、フィル」
ハンナに言われて、エンティは立ち上がった。
「なら、お願いするわね」
「二人とも、気を付けて帰るんだよ」
ハンナの声を背に、二人は店を後にした。