凶悪な相手
「思ったよりも広い洞窟のようだな。経験の少ない冒険者が、迷って出られなくなったのも頷ける話だが」
クラースは洞窟内を軽く見渡すと、そう口にした。
「そうね。でも、決めつけるのはまだ早いと思うわよ」
シャハラはそれに同意しつつも、慎重な姿勢を崩さなかった。
「足跡とか残っていれば良かったが、地面が固くてそれもなさそうだ」
「そうね、もう少し奥に進んでみましょう」
シャハラは四人に振り返ると、そう言った。
「はい」
フィルイアルが返事をしたのを聞いて、シャハラは小さく頷くと前に進みだした。
「悪いな、気を使わせて。あいつは基本的にお人好しなんだが、変に絡んだこともあって君にはどう接して良いか困っているようだ。決して、君を認めていないわけじゃないんだが」
その様子を見て、クラースはフィルイアルに小声て囁いた。
「そ、そうですか。あまり好かれているようには思えないのですけど」
そう言われて、フィルイアルは困ったような表情を浮かべる。
「俺のようなひねくれ者にも手を差し伸べるようなお人好しだ。君のような真っ直ぐな人間を嫌うわけがないさ」
「先生?」
クラースがらしくないことを言うので、エンティはまじまじと見てしまった。
「らしくないことを言ったか。俺もあいつに感化されたかもしれんな」
クラースはふっと笑みを浮かべると、シャハラの後を追った。
「あなたの先生も、女の子には弱いのかもしれないわね」
フィルイアルが冗談めかして言うので、三人は顔を見合わせてしまう。
「なんて、ね。行きましょうか」
フィルイアルは三人を促して後を追いかけた。
「妙だな」
しばらく進んだところで、クラースは足を止めた。
「そうね、何もいなさ過ぎる。この規模の洞窟なら、何かしらがいてもおかしくないわ」
「本当に、何もいないだけならいいんだが」
二人が言うように、ここまで相当な距離を歩いてきたにも関わらず何事も起こっていない。一見すると順調に進んできたともいえるが、それだけで済むとも思えなかった。
「どういうことです」
「お前も薄々は気付いているだろう。これだけ広い洞窟なのに、ここまで何も出くわしていない。本当に何もいない洞窟という可能性もあるが、それは考えにくいな」
エンティがそう聞くと、クラースは深刻な表情をしていた。その様子から察するに、状況は思っている以上によろしくないことが察せられる。
「相当な大物が、この洞窟の主だと」
「恐らくは、な。シャハラ」
クラースはシャハラに声をかけた。
「ええ、撤退しましょう」
「撤退、ですか」
シャハラの口から撤退、という言葉が出たのにエンティは驚いていた。
「成果が出ていないのに撤退するのか、と思うかもしれないが。危険を察知したら引くのも冒険者としては大事なことだ」
「そうね、私達も長い事冒険者をやっているから、これはまずい状況だってのは何となくわかる。だから、ここは撤退した方がいいわ」
「わかりました、みんなもそれでいいかな」
エンティが三人にそう言うと、三人は揃って頷いた。
ギルドで数少ないBランクのクランである二人がこう言うのだから、ここは撤退するべきなのだろう。
「グルルルル」
撤退しようとした矢先に、唸るような声が響いてきた。
「俺達がここに来るまで気配を殺していたのか。そうだとしたら、相当に厄介な相手だが」
クラースは声が聞こえた方に目をやると、奥から大きな足音が聞こえてくる。
「逃げるわよ!」
危険を察知してか、シャハラは鋭く叫んだ。
同時に奥から炎が飛んできて、逃げ道を塞ぐように壁になった。
「……こんな芸当が出来るのは」
「ドラゴン、かしらね」
クラースとシャハラがそう言うと同時に、奥からドラゴンが姿を現した。
「まじ、かよ。まさか、この目でドラゴンを見ることになるなんてな」
ベレスに遭遇した時も落ち着きを崩さなかったドランですら、ドラゴンを前に声が震えていた。
「ドラゴンなんて、おとぎ話だけの存在だと思っていたわ」
フィルイアルは恐怖にすくみそうになるのを必死に抑えている。
「姉さん」
ミアはフィルイアルに寄り添った。
「こんな相手、どうやって……」
エンティはドラゴンに威圧されて、唖然としていた。
「俺が足止めする、その隙にお前達は逃げろ」
半ば呆然としている四人に、クラースは喝を入れるように言った。
「先生、そんな」
「ここまで厄介な相手がいるとは思わなかった俺の落ち度だ。だから、俺が責任を取るのは当然のことだ」
「でも」
エンティは納得できずに食い下がった。クラースの言っていることが正しいのかもしれないが、それでも素直に言うことに従うことに抵抗があった。
「連れないわね。それに、一人で足止めするなんてできるわけないでしょう」
シャハラはクラースの隣に立つと剣を抜いた。
「こういう時に先達が逃げたら、示しがつかないわよね」
「シャハラさん」
「あなたに素っ気ない態度をしていたけど、認めていなかったわけじゃないわ。ただ、どう接して良いかわからなかったから」
フィルイアルが声をかけると、シャハラは困ったような、それでいて覚悟を決めたような表情をしていた。
「全く、最後までお人好しだな、お前は」
「あら、あなたに言われたくないわ」
死地に挑むというのに、二人は普段と全く変わらないように軽口を叩き合う。
どうして、この二人はこんなに平然としていられるんだ。
その様子を見て、エンティは胸が締め付けられる思いだった。
「どうすれば、いいんだ」
「あなたは、どうしたいの」
唇を噛み締めるエンティに、フィルイアルはそう言った。
「どう、って。僕に何かできるわけ」
「あの時もそうやって一人で抱え込んで、一人で解決しようとしたわね。そんなに、私達は頼りないかしら」
フィルイアルに諭されるように言われて、エンティはハッとした。
自分一人でどうにかできることなんか、たかが知れている。そんな当たり前のことすら気付けなかったほど、あの時は余裕がなくなっていた。
「使うよ!!」
エンティが大きい声ではっきりと言うと、三人は大きく頷いた。
「両方にかけられるかしら」
フィルイアルは剣を抜く。
「両方? そういうことか。かなり剣に負荷をかけそうだけど、この際やれることはやらないとね」
エンティはフィルイアルの剣に強化をかけた。
それを確認すると、フィルイアルは剣に雷を付与する。
エンティはその雷に強化をかけた。
「これは……私で扱いきれるかしら」
少しでも気を抜いたら剣を落としそうになって、フィルイアルは両手でしっかりと握った。
「おい、使うって……」
エンティが珍しく大きな声を出したこともあって、クラースは振り返った。そして、フィルイアルの剣を見て言葉を失っていた。
「その剣、どうしたの」
「詳しい説明は後です。今はこの場を乗り切ることだけを考えましょう」
驚いた表情のシャハラに、エンティははっきりと言い切った。同時に、シャハラの剣に強化をかける。
「あなた、何を」
シャハラは剣の変化に気付いたのか、剣をまじまじと見ていた。
「強化魔術か。普段は身体強化のためにかけるものだが……それを体ではなく剣にかけたのか。と、いうことは魔術自体にかけることも可能ということか」
魔術師だけあって、クラースはエンティが何をしたのかすぐに察していた。
「先生、やれますか」
「正直、お前の強化がどれだけのものかわからんから何とも言えん。だが、ここまでするということは、逃げろと言っても素直に従わないだろう」
「それなら、手伝って……いえ、一緒に戦ってもらいましょう。この剣の強化具合からしても、いけそうな気がするもの」
シャハラは手近にあった岩に向けて軽く剣を振るった。それはまるでバターを切るかのようにあっさりと切れていた。
「! 怖いわね、これは。私の想像以上に切れるわ」
シャハラは恐ろしいものを見た、というような顔をしている。
「お前がそこまで言うのなら、期待してもいいだろうな。悪いが、一緒に相手をしてくれるか」
「はい」
クラースに言われて、エンティははっきりと返事をした。




