時間稼ぎ
「さすがにあんな話をしておいて、私のことを監視しないわけがない、か」
フィルイアルは何度目かになる溜息を漏らしていた。
兄である皇太子の代わりに、フィルイアルが王位に就くことを望む人間が一定数いる。そして、それはフィルイアルがアストニアより優れているからとか、フィルイアルに心酔しているからというわけではない。
要は、フィルイアルの方が操り人形として都合がいいだけだ。
そこまでわかっていて王位に就くほどフィルイアルは愚かではないし、それ以前にアストニアを差し置いて自分が王になるつもりは全くなかった。
「姫様、気持ちはわかりますが」
そんなフィルイアルに、ミアが気を使うように声をかけた。
「さすがに自室にいる時以外、誰かしらに見張られていれば気も滅入るわよ。もしかしたら、自室にも間者がいるかもしれないと思うと、ね」
あの話を持ち掛けられて以来、フィルイアルは誰かの視線を常に感じていた。特に父であるカルグストや兄のアストニアと話をする時は、余計なことを口にするなと言わんばかりに誰かしらが必ず近くにいた。
「さすがに、そこまではしないと思いますが。発覚した時のリスクが大きすぎます」
滅入っているフィルイアルに、ミアはそう言った。
「それも、そうね」
フィルイアルは余計なことを考えすぎているな、と軽く頭を振った。
「しかし、姫様。仮に姫様が王宮を離れるとして、彼らがそれに納得するでしょうか」
「何か、納得できるような理由が思いつかないかしら」
二人は顔を見合わせて考えるが、これといって良い案が思い当たらなかった。
「姫様、よろしいですか」
部屋の外から、イビリアの声が聞こえてきた。
「あれからまだ数日だというのに、またですか。余程、国王陛下や皇太子殿下に知られたくないようですね」
まるで催促するかのようなイビリアの訪問に、ミアは呆れと憤りが混じったような態度を見せた。
「でも、ここで追い返して余計な疑念を持たれても厄介ね……用があるのなら、入って頂戴」
フィルイアルは外に向けてそう言った。
「失礼します」
イビリアが音を立てないように扉を開けて入ってきた。
相変わらず態度だけは恭しいが、その内心では何を考えているのか疑わしい。
ミアに気付いて一瞬だけ視線を送ったが、すぐにフィルイアルに向き直った。
「それで、姫様。お心は決まりましたか」
「あなたねぇ。あんな話をされてまだ数日よ。そんなに簡単に決められることでもないし、そもそも、何も考えずに決断するような人間を、あなたは信用できるのかしら」
催促するようなイビリアに、フィルイアルは大袈裟に呆れたというように答えた。
「なるほど、姫様の言うことも一理ありますな。確かに、あの場で即断されていたら逆に疑っていましたとも。ですが、いつまでも先延ばしにされてはこちらも困りますので」
イビリアはほう、というように小さく頷いていた。
「この前も言ったと思うけど、私は王宮で好き勝手やり過ぎたという自覚があるわ。そんな私が多少改心したところで、国王として相応しいと認められないのではないかしら。だから、私がお兄様の代わりにお父様の後を継ぐのなら、私のことを認めてもらう必要があると思うわ」
フィルイアルは結論を先延ばしにするべく、今は時期早々だと言った。
「なるほど。確かに今の姫様を認める人間の方が少ないかもしれませんな。しかし、そういうことを提案するということは、この件には乗り気だと受け取ってよろしいのですかな」
イビリアは意味ありげな笑みを浮かべていた。
「……まあ、どう受け取るかはあなた次第、だけど」
フィルイアルは失言したか、と思いつつもあくまで返答をはぐらかした。
「しかし、姫様を支持する人間も一定数いることもまた事実。それはお忘れなきよう」
「でも、私が国王になるなんてこと、全く想像できないのよね。今まで政治に関心を持っていなかったこともあるけど、何をすれば良いのか全くわからないわ」
フィルイアルは自分が国王になることで、それを望んでいる連中が何をしたいのかを探ることにした。ここで素直に話すとは思えなかったが、何かしらボロを出せば儲けもの、くらいの感覚でいた。
「そうですな。まず税を少しばかり上げた方が良いかと考えております」
だが、フィルイアルの予想に反してイビリアはあっさりとそう言った。
「は? 税を上げるって……そこまで、この国はお金に困っているとは思えないけど」
フィルイアルはイビリアの言葉にそう反論する。積極的に政治には関わってこなかったとはいえ、カルグストが資金繰りに困っているような様子を見たことがなかった。
それどころか、フィルイアルやアストニアに対して必要以上に贅沢をさせないようにもしていた。それを踏まえると、税を上げる必要があるとはとても思えなかった。
「この国というか、陛下は他国に比べて質素が過ぎます。王族が金を使うということは、それ即ち他国に権勢を示すことでもあります。今のままでは、他国に侮られていつ侵攻されてもおかしくはないでしょう」
「確かに、お父様は倹約に努めているようです。ですが、それはただお金を使わないのではなく、必要なところには惜しまず使い、それ以外には使わない。私にはそのように見受けられるけど。それに、税を納めているのは国民よ。その国民を蔑ろにして、何が王族かしら」
フィルイアルはイビリアに強く反論した。
イビリアの言うことは一見もっとものように聞こえるが、だからといって国王が自由気ままに税を使っていいわけでもない。
以前のフィルイアルなら、こんな考え方はできなかった。国の金なのだから、王族がどう使おうとそれは自由とすら思ってもいた。
だが、魔術学院でエンティと出会ってから、それが自分よがりの考えだったと思い知らされた。
「ほう、つまり姫様は税を上げることには反対だ、と」
ここまで強く反論されると思っていなかったこともあって、イビリアは意外そうな表情になっていた。
だが、すぐに取り繕うと淡々とそう言った。
「特に理由もない限りは、ね」
「つまりは、必要であれば税を上げても良いというお考えでよろしいですかな」
「あくまで、必要であれば、だけど」
二人の間でそんなやり取りが続いた。
「まあ、いいでしょう。少なくとも、姫様が前向きなことは確認できました。ですが、王宮を離れる前には結論を出していただきたいと思います」
大臣というだけあって多忙なのか、イビリアはそこで話を切り上げようとする。
「そのことなんだけど、学院を卒業するまで保留させてもらえないかしら」
フィルイアルはとっさにあることを思いついて、イビリアにそう告げた。
「それは、いくら何でも長すぎます。我々としても、そこまで悠長にしていられません」
それを聞いて、イビリアは大袈裟に首を振った。さすがにそこまで間を開けられると、フィルイアルが何か余計なことをする可能性も否定できない。
「あなたは知らないでしょうけど、魔術学院は卒業試験が厳しいのよ。試験に合格できなかったら、もちろん卒業できないわけだし、今はそちらに集中したいわ」
「仮に卒業できなかったとして、それはそれで中退して戻れば良いだけの話では」
「自ら志願して入学した学院を卒業できずに中退。こんな中途半端なことをする人間が、国王に相応しいなんて、誰が思うのかしら」
「……確かに、そうですな」
フィルイアルの言ったことが正論だったので、イビリアは反論できずにそう言うことしかできなかった。
「仕方ありません。姫様が卒業するまで、待つことに致しましょう。では、これで失礼します」
イビリアは一礼すると、フィルイアルの部屋を出て行った。
「姫様、上手い時間稼ぎを思いつきましたね」
ミアはフィルイアルが上手く時間稼ぎをしたことを褒め称えた。
「私もあんな都合が良い理由、よく思いついたものだと思うわ」
フィルイアルは自分でも意外だった、というように笑みを見せた。
「まさかとは思いますが、わざと卒業試験に失敗しようとは考えていませんよね」
「それもいいかもしれないわね。そうすれば、この話は必然的に流れることになるし。でも、それをするのは私自身が許せないことだから、やっぱりなしね」
「それがいいと思います。時間も稼げましたし、他の手法を考えましょう」
「そうね。力を貸してくれるかしら、ミア」
「もちろんです」
ミアはそう答えると、改まって一礼した。




