義務と権利
「我儘、ってどういうことかしら」
フィルイアルは冷たい目でエンティを見る。決して高圧的ではなかったが、有無を言わさない威圧感があった。年齢こそまだ若いが、王族としての風格を感じられる。
「自由になるためにここに来た、と言っていましたけど。あなたの学費は国民の税金だってこと、理解していますか」
エンティは気圧されそうになったものの、どうにかそう言った。内からこみ上げてきた怒りのが勝っていた。
「国のお金を王族が使うことに、何か問題でも」
フィルイアルはそれがさも当然、というような態度だった。エンティを見る目は冷ややかで、庶民が何を言っている、と言わんばかりだった。
「それは、王族が国民を導き護る役目があるから許されていることでしょう。あなたはその責務を放棄しようとしていますよね」
その視線を跳ね返すように、エンティは言い返した。
フィルイアルの態度からして、話が通じるかわからないとは思ったが、ここまで言ってしまった以上引くに引けなくなっていた。
「何も知らないくせに、勝手なことを言うのね。私があの王宮で、どんな目に遭っているのかもわからないのに」
それまでは感情があまり表に出ていなかったが、ここに来てフィルイアルは明らかに苛立っていた。
「わかりませんよ、そんなこと。でも、姫様だって僕のことは何もわからないでしょう。毎日蔑まれながら重労働を押し付けられて、そして与えられる食事は僅かなんて生活をしたことがありますか」
「あなたこそ、全ての生活を監視制限されて、息が詰まるような生活をしたことなんかないでしょう」
明らかに境遇が違う二人の言い合いだから、それこそ平行線で噛み合うはずもない。
そんな二人の言い合いを、周囲は止めることができずにいた。
「僕はこの学院に入るために、それこそ死ぬ思いで入学金と学費を稼ぎました。当然、その過程で税金も払っています。それがなければ、もう少し楽もできたはずです。僕が死ぬ思いで稼いだお金の一部なんて、あなたからしたらそれこそ雀の涙なのでしょうね」
「結局、あなたは何が言いたいのかしら」
もう付き合いきれない、という感じでフィルイアルは息を付く。
普通の王族ならここまで庶民に言いたい放題言われれば怒りそうなものだが、意外にもフィルイアルは落ち着いている。
「姫様が王族としての義務を放棄するというのなら、最低でも入学金と学費くらいはご自分で負担なさるべきでしょう。姫様が国のためにここに通うのならやむなしと思いますが、個人のために税金が使われることに納得はできません」
最後に一番言いたかったことを言い終えて、エンティはフィルイアルを見据えた。
「言いたいことは、それだけかしら」
エンティがそれ以上何も言わないので、フィルイアルは淡々と言う。最初に見せていた冷ややかな視線は消えており、どちらかというと面白い物を見たというようなものへと変わっていた。
「あなた、さっきから黙って聞いていれば姫様に無礼なことを」
そこで周りにいた生徒達が騒ぎ出す。
「僕が間違ったことを言っていると」
自分に向けて文句を言ってきた生徒にエンティは言い返す。
王族であるフィルイアルにここまで言った以上、相手が貴族だろうが関係はない。エンティは少し感覚が麻痺していた。
「止めなさい」
だが、それを止めたのはフィルイアルだった。
「ですが、姫様」
「あなたが直接何かを言われたわけじゃないでしょう。言われた本人である私がいいと言っているのですから、この件に関してあなたが口出しすることは許さないわ」
「わかりました」
生徒は渋々ながらも頷いた。
当人であるフィルイアルにそう言われてしまえば、それ以上の口出しはできない。
「では、失礼します」
これ以上この場にいるのは得策でないと思い、エンティは一礼して教室を出る。
「やっちゃったな……」
教室の外で、エンティは大きく溜息をついた。自分が間違っているとは思わないが、この学院で学んでいくのだからこの程度のことは無視するべきだった。王族であるフィルイアルにあそこまで言ってしまったからには、最悪退学させられるかもしれない。
「待って」
その声にエンティが振り向くと、ミアがいた。
「姫様に無礼を働いた僕に文句でも言いに来ましたか」
エンティはできるだけ感情を押し殺して言った。
ミアの表情は何故か申し訳なさげなものだったが、それ以外に理由が思い当たらなかった。
「わたしはあなたにお礼を言いに来た」
だが、ミアの返答は予想外のものだった。
「お礼?」
エンティもさすがにこれには理解が及ばなかった。文句を言われることはあっても、お礼を言われるようなことはしていなかったはずだ。
「わたしも、あなたと同じことを考えていた。姫様の境遇は間近で見てきたから、姫様の気持ちがわからないわけでもない。だからといって、姫様が好き勝手やっていい理由にはならない」
「そこまでわかっていながら、どうして姫様にそれを指摘しなかったのですか」
ミアの言葉が心外だったのと同時に、エンティには疑問が浮かんでいた。フィルイアルが素直に進言を受け入れるかは別にしても、護衛にするほど信頼のあるミラの言うことなら全く耳を傾けないということもないはずだ。
「わたしの家は、身分が低い貴族だから。たまたま、剣の腕を認められて姫様の護衛になっただけ。だから、姫様の機嫌を損ねたら家に迷惑が掛かると思うと、どうしても言えなかった」
ミアは俯き加減で答える。
「そうでしたか」
「でも、あなたがはっきりと姫様に言ったのを見て、わたしもこのままじゃいけないと思った。姫様のためにも、間違っていることは間違っていると進言するのは恩返しになると思うから」
「僕は、そんなことを考えて言ったわけじゃないですよ。姫様が自分勝手だったのが許せなかっただけで。極端な話、私怨といってもいいと思います」
ミアの人となりはわからないが、少なくとも一人の人間がここまで慕っているのを見る限り、フィルイアルはエンティが思っているよりもまともな人間なのかもしれない。
「わたしを取り立ててくれたのは、姫様だから。例え嫌われても、間違った方向に行こうとするのを止めなきゃいけない」
「でも、それであなたが不興を買うようなことになったら、まずいのでは」
ミアがはっきりとそう言い切るので、エンティは余計なお世話とは思いつつも心配になっていた。ミアの決意は正しいことだとは思うが、世の中は正しいことだけでは回っていかない。
「大丈夫。さっきの姫様の態度を見る限り、姫様はそこまでしないと確信できた。だから、わたしからも姫様に進言する。あなたに迷惑がかかるようなことはしないと、約束する」
「わかりました、お願いします」
エンティは頭を下げた。
エンティには全くわからないが、フィルイアルと付き合いの長いミアがそう言うのだから、何かしらの確信があるのだろう。
「こちらこそ、ありがとう。わたしも目が覚めた」
ミアはそう言うと、すっと体を反転させた。その身のこなしは全く隙がなく、さすが護衛だと思わせるような動きだった。
「あんなことがあったけど、辞めるなんて言わないで」
最後にそれだけ言うと、ミアは全く重心をぶらすことなく歩いて行った。
「さて、どうしたものかな」
その後ろ姿を見送りながら、エンティはこれからのことを考えていた。