想定外の結末
「さて、と。今日は姫様とミアと一緒に依頼を受けるんだったね。そろそろ準備しないといけないかな」
休暇が始まったとはいえ、エンティは普段通りに起きるようにしていた。もちろん、今日は約束があったからだが、何もない日でも同じ時間に起きるようにしている。
それ以前の問題で、孤児院にいた頃は少しでも起きるのが遅いととんでもない剣幕で怒鳴られたり、酷い時は叩かれたりもしていた。そんなこともあってか、休日だろうが平日だろうが遅くまで寝ている、ということはできなくなっていた。
「討伐の依頼を受けるかもしれないから、あまり動きにくい恰好は……それ以前にそこまで服持ってなかったっけ」
エンティは軽く頭を押さえると、気を取り直してさっさと着替えをすます。さすがに学院の制服で依頼を受けるわけにはいかないから、それに比べれば簡素な物だったが。
「少しお金に余裕ができたら、ドランに見繕ってもらおうかな。学院の制服以外に数着しか服を持っていないのは、何だかまずいような気もするし」
そんなことを考えていると、寮のドアがノックされた。
「誰だろう?」
自分の部屋を訪ねてくる相手は、ドランくらいしか思い当たらない。だが、そのドランは帰郷している。時間がある時に一緒に依頼を受ける約束はしていたが、さすがに昨日の今日で来るとは考えにくかった。
「あ……姫様。それに、ミアも」
疑問を抱きつつドアを開けると、フィルイアルとミアがいた。
「よく考えたら、私達は同じ場所にいるんだもの。わざわざ待ち合わせる必要ないじゃない」
フィルイアルはそう言って、ミアの方とちらっと見た。
それを受けて、ミアは小さく頷く。
「確かに、そうですね。普段は他の生徒の目もありますけど、今はほとんどの生徒が帰郷していますからね。待ち合わせなんて面倒なことをするより、ずっと手っ取り早いです」
どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか、とエンティは軽く手を打った。
「そういうことよ。わかったなら、早く行きましょう」
「でも、ギルドが開くのは、もう少し遅い時間ですよね。今から行っても、手持ち無沙汰になるんじゃ」
早く行こうと促すフィルイアルに、エンティは思い出したように口にした。ギルドはやや遅めの時間から開業するから、今から行くと少し待つことになってしまう。
「それなら、適当に朝市でもぶらついて時間を潰しましょうか」
「姫様、買う物なんかないでしょう。冷やかしは嫌われます」
「まあ、そういうのも含めての市場、らしいよ。ドランが言ってたけど、人が集まっていると注目されるから、それで目について買ってくれる人もいるとか」
窘めるように言うミアに、エンティは以前ドランから聞いていた知識を話した。
「そう、なの」
ミアが意外そうな顔をしていた。
「じゃ、話もまとまったことだし行きましょうか」
フィルイアルの言葉に、二人は頷いた。
「思っていたよりも、活気があるのね」
朝市を見渡して、フィルイアルは物珍しそうに言った。
「フィル、僕らが働いている酒場の料理。食材をどこから仕入れていると思う」
エンティは直接食材の仕入れをしたことはなかったが、料理人が今日の食材は当たりだった、とかいまいちだったとか、そんな話をよく聞いていた。
「あ……そういうことね」
腑に落ちた、というようにフィルイアルは頷いた。
「でも、毎日仕入れるのも大変ね。本当に、私の知らないところで色々なことが動いているのよね」
「それも含めて、料理人の技量ってことらしいよ」
「なるほどね」
フィルイアルはうんうん、というように頷く。
「まだギルドが開く時間には早いね。もう少し、見回ってみようか」
「お兄ちゃん」
エンティが別の場所を見てみようと提案した時、聞き慣れた声が聞こえた。
「君は……」
振り向くと、少し小柄な少女が立っていた。孤児院で一緒に育っていた女の子で、エンティのことをお兄ちゃんと呼んでいた。
「お兄ちゃん、久しぶりだね」
「そうだね。君も元気そうで何よりだよ」
エンティは少女を軽く見渡した。気のせいでなければ、以前よりも明るい表情になっていて、身体つきもふっくらとしているようにも見えた。
「エンティ、知り合いなの」
少女とエンティが話しているのを見て、フィルイアルがそう聞いてきた。
「うん、孤児院で一緒に生活していた子だよ」
「そう」
エンティが答えると、フィルイアルはそっけないような、興味があるようなどちらともとれない返事をする。
「ねえねえ、隣にいるのは、お兄ちゃんのお友達?」
「そうだよ。魔術学院でできた、友達だよ」
エンティは少女と目線を合わせるようにかがみ込んで、そう言った。
「良かったね、お兄ちゃん」
「そうだね。でも、君も随分と元気そうというか、楽しそうだね。気のせいでなければ、体も前より大きくなったんじゃないかな」
楽しそうに話す少女に、エンティはどこか違和感を覚えていた。孤児院にいた頃から元気な子ではあったが、それでもここまで楽しそうな表情をしていたことはなかった。
それに、孤児院では必要最低限の食事しか出さないから、いつも空腹に悩まされていた。だから、少女の身体つきがふっくらとしているのも疑問だった。
「それがね、お兄ちゃん。お兄ちゃんがいなくなって半年くらいだったかな。国の偉い人? っていう人が来てね。孤児院の中を色々と調べたりしてたみたい。その時、物凄い剣幕で院長先生とか、他の先生とかに怒ってたんだよ」
「……そんなことが、あったんだね」
一生懸命に話す少女に、エンティはゆっくりと頷いた。
「それから、院長先生も、他の先生も、みんな別の人になったの。新しい先生は、みんな優しくて、とってもいい人なんだ」
「それで」
エンティは思い当たることはあったが、少女に話の先を促した。
「うん、ご飯もいっぱい食べられるし、勉強もたくさん教えてくれるし、前みたいに朝から晩まで働かなくていいし、とっても楽しい」
「良かったね」
「でも、お兄ちゃんが出て行ってから、こうなったから……お兄ちゃんだけ、大変だったのは、嫌だなって」
少女は少し顔を曇らせる。
「そうか。君はとても優しいね。でも、大丈夫だよ。僕も魔術学院で、君以上に充実した毎日を送っているから。だから、君は心配しなくていいよ」
そんな少女に、エンティは優しく言った。
「本当に」
「本当だよ。もし魔術学院が嫌だったら、僕は孤児院に戻っている。僕が君に嘘を言ったことは、あったかな」
心配そうな顔を向ける少女に、エンティは大きく頷いて見せた。
「うん、わかった。お兄ちゃん。わたし、お使いの途中だから、行くね」
「元気でね」
エンティが少女の頭を優しく撫でると、少女はくすぐったそうな顔をした。
「お兄ちゃんもね」
少女はそう言うと、目的の場所へと走っていった。
「何よ、お兄ちゃんって。あなた、あんな可愛い子と知り合いだったの」
フィルイアルが意味ありげな視線を送ってくる。
「姫……じゃなかった、フィル。君、今の話について心当たりがあるんじゃないかな」
その視線を受け流して、エンティはフィルイアルにそう聞いた。
「察しがいいのね、あなた。確かに、あなたがいた孤児院には何か問題があるかもしれないから、調査をするようにお願いはしたわ。お父様と、お兄様に」
「国王陛下と、皇太子殿下にですか。どうして、そんな大事に」
「二人共忙しいから、どちらかがやってくれれば、ってくらいに思ってたのよ。そうしたら、二人共動いたみたいで、お兄様がある程度調べたところでお父様に報告して、二人してびっくりしたそうよ」
フィルイアルはそこで一旦話を止める。
「でも、どうして職員が全員変わるところまでいったんだい。いくら問題があっても、そこまでやるのは相当問題がないと」
エンティは話の先を促した。おおよそはわかったが、まだわからないことが多すぎる。
「あの孤児院、国からの支給金をかなり横流ししていたみたい。本来なら、無理に孤児達を働かせなくても成り立つ程度のお金はあるはずなの。しかもそれを主導していたのは、かなりの大物だったようね」
「大物、かい」
「ええ、お父様もお兄様も手を焼いていた、やり手の大臣。何か不正はしていると感じていたけど、中々尻尾を出さなくて頭を悩ませていたみたい。まさかこんな所から不正が出てくるとは思わなかったのか、お父様もお兄様もとても喜んでいたわ」
「とんでもないことに、なってたようだね」
あまりに予想外だったこともあって、エンティは唖然としていた。
「姉さん、もしかして……」
そこで、ミアがはっとしたように言った。
「何」
「前の刺客、その大臣の可能性がある」
ミアの言葉に、フィルイアルはああ、というように手を叩いた。
「罷免に近い状態らしいから、そこまでできるとは思っていなかったけど。やり手だから、隠し財産くらいはあってもおかしくない、か」
フィルイアルは顎に手を当てて考え込む。
「姉さん、このまま放置するのはまずい」
「そうね。念の為、お父様達に連絡をしておきましょう。また私が狙われて、他の生徒が巻き込まれたらたまったものじゃないもの」
ミアに言われて、フィルイアルはそう結論を出した。自分自身がというよりは、他の生徒達のことを気にするのがフィルイアルらしかった。
「フィルらしいね、自分よりも他の人のことを心配するんだから」
「何よ、からかっているの」
「いや、褒めているつもりだけど」
少し怒ったようなフィルイアルに、エンティは素直にそう言った。
「……そう」
フィルイアルは気恥しくなって、エンティから顔を背けた。
「姉さん、照れてる」
「そ、そんなことないわ」
ミアの指摘を、フィルイアルは大慌てで否定する。
「フィル、色々とありがとう。僕一人だけ、あの孤児院から抜け出したことは気になっていたんだ。その心配もなくなったから、心の荷が下りたよ」
「別に、あなただけのためじゃないわよ」
フィルイアルはエンティから顔を背けたままで、そう答えた。
「うん、わかっているよ。それでも、ありがとうって言わせてほしい」
エンティはそんなフィルイアルが可愛らしい、と一瞬思ってしまったがその邪念をどうにか振り払った。
「姉さん、感謝は素直に受け入れないと」
「わかっているわ、それくらい」
ミアに言われて、フィルイアルはエンティの方に振り返った。
「私とあなたの仲だから、お礼を言われるようなことはしていないわ、って言いたいけど、ね」
そして、照れたように口にする。
「そう思ってくれているだけで、僕は嬉しいよ」
エンティもどことなく気恥しくなったが、そう返した。




