休暇明け
「そうか、今日からまた学院か」
寮の部屋で目を覚まして、エンティはそう呟いた。
「何か、授業を受けていた時よりも大変だったような気がするな……」
休暇中にあった出来事を思い出して、エンティは思わず額に手を当ててしまう。
国王との面会。
王宮でのパーティーへの参加。
フィルイアルの婚約破棄。
そして、休暇のほとんどはフィルイアルと一緒に行動していたような気がしていた。
「ま、これも良い経験になったと思えばいいかな」
エンティは大きく体を伸ばすと、学院に行く準備をする。といっても、前日にほぼ準備は終えていたのでさして時間はかからなかった。
学院に向けて歩いていると、他の生徒達の姿がまばらに見えた。こういう光景を見ると、改めて休暇が終わったということを実感させられる。
「教室に入るのも久々だね」
エンティは教室の扉に手をかけると、これから学院での生活が再開すると身が引き締まる思いがした。
扉を開けて教室に入ると、いつも通りほとんどの生徒は来ていなかった。普段からエンティが早めに教室に行くこともあって、一番乗りすることも珍しくなかった。
「さて、と」
エンティは自分の席に座ると、脱力するように体を投げ出した。
「と、ここで気を抜いたらいけないか」
そのままではいけないと思い直し、すぐに背筋を立てて座り直す。
「よ、気合入ってるな」
エンティが背筋を立てて座っているのを見て、ドランがそう声をかけてきた。
「あ、おはよう。久しぶりだね、そっちは何か問題はなかったかな」
久々に会うドランを見て、エンティは学院での生活が戻って来たと感じていた。
「おはよう、俺の方は問題なかったな。例の姫様の婚約者の問題も解決したしな。まあ、実家の手伝いをしながら魔術の訓練はしていたから、魔術の方も鈍ってはいないぜ」
ドランは不敵な笑みを浮かべると、指先に小さな火を灯した。
「僕の方も、魔術の鍛錬は怠っていなかったよ」
それに応じるように、エンティも指先に小さな氷を作り出す。
「魔術を小さく制御するのは、難しいことだからな。お互いに鍛錬は怠っていなかった証拠だな」
ドランはそう言うと、指先の炎を消し去った。
「そうみたいだね」
エンティもそれに倣って、指先の氷を消し去る。
だが、エンティはドランが自分が思っていた以上に鍛錬を積んでいたことに気付いていた。火は扱うのは簡単だと言われているが、拡散する性質も持ち合わせている。それをあそこまで制御できるようになっているのだから、軽口で済まないほどに鍛錬を積んだことは想像に難くなかった。
逆に水は氷にすると簡単に凝固するから、炎を小さく纏めることに比べればずっと簡単だ。水のままで小さく纏めるのは難しいが、そもそも水そのままで使うことは少ない。
これは、負けていられないね。
エンティは内心でそう思うと、決意を新たにするように拳を握りしめた。
「ただなぁ、一つ気になることがあるんだよなぁ」
何が気になるのかはわからないが、ドランは難しい顔になっていた。
「気になること?」
今までの流れで何が気になるのかわからずに、エンティはそう聞き返していた。
「ああ、休暇前にミアと姫様の服を見繕っただろ。ミアの方は問題ないんだが、姫様の方はなぁ……いや、自分で選んでおいて言うのもどうかと思うんだが、あの服を着て王宮に行ったりとか、して……いや、あの人のことだから、間違いなくやってるな」
ドランは困ったというように、額に親指を当てる。
「あ、あー、ぼ、僕も、そう思うよ」
さすがにその現場を目の前で見ていたとは言えずに、エンティはぎこちなく言った。
「いや本当によ、姫様は何着せても絶対に着こなすから、あの人に合う服を選べって言われても本当に困るんだよ。適当に選ぶ奴からしたら、これほど楽なこともないだろうが」
「なら、ドランも適当に選べば良かったんじゃ……」
「いや、それは俺の矜持が許さん。頼まれた以上、全力を尽くさないことは相手にとっても失礼だからな」
エンティがそう言いかけると、ドランはきっぱりと言い切った。
「君はそういうところ、本当に真面目だね」
そんなドランを見て、エンティは思わず笑みを浮かべてしまう。
「だけどなぁ。いくら姫様に方向性を示されたとはいえ、さすがに一国の姫様が男装するってのは、色々と問題になりそうなんだよなぁ」
「ま、まあ、ね。でも、僕達がここで心配しても仕方ないよね」
「それもそうだな。王宮で問題になってないことを祈るしかないか」
エンティがそう言うと、ドランは仕方ないというように席に座る。
確か、皇太子殿下と言い争いになった、って言ってたけど……逆に言えば、皇太子殿下以外はそこまで気にしなかったってことかもしれないね。
エンティはフィルイアルが言っていたことを思い出して、そんなことを考えていた。
「姫様、どうぞ」
「ありがとう、ミア」
そうしていると、先程の話題になっていた二人が教室に入ってきた。
「噂をすれば、か。気になるが怖くて聞けねえな」
ドランは引きつった笑みを浮かべていた。
「ははは、そうだね」
事実を知っていることもあって、エンティは乾いた笑いを立ててしまう。
「二人共、おはよう」
フィルイアルとミアは、真っ直ぐにエンティとドランの所へと歩いてきた。
入学したばかりの頃では考えられないほどに穏やかな表情で、フィルイアルは挨拶をしてきた。
「おはよう」
ミアの方は相変わらず素っ気ない感じだったが、その表情や態度からは親しみを感じられる。
「あ、姫様、ミア、おはようございます」
エンティは表面上こそかしこまっていたが、その言葉や態度は親しい友人に対するものだった。
「おはようございます」
ドランもエンティと同様に表面上はかしこまってみせたが、やはり親しい友人に対するような雰囲気だった。
「ドラン、あなたが見立ててくれた服、とても良かったわよ。もう他の貴族達の唖然とした顔ったら、最高だったわ」
フィルイアルは心底から愉快そうにそう言った。
「ひ、姫様……マジで……い、いえ、本当にあの服で王宮に?」
ある程度予想していたとはいえ、こうして本人から事実を告げられると、ドランは動揺を隠しきれなかった。
「もう最高よ。ミアが本当は美人だってことは周囲に知らしめられただけで満足なのに、私の服を見て唖然とする貴族達を見て、胸がすく思いだったわ」
普段は落ち着いているフィルイアルが、若干興奮気味にまくし立てていた。それくらい、あの王宮での出来事は気分が良かったのだろう。
「姫様がそう言うなら、良いんですが……後で、問題になったりとか、しませんでしたか」
ドランはそんなフィルイアルに気圧されつつも、ずっと気になっていたことを口にした。
「特に問題なかったわよ。ね、ミア」
フィルイアルはそこでミアの方を見やった。
「はい」
それを受けて、ミアは小さく頷いた。
「ドラン、わたしも初めてあんな服を着て王宮に出ることに、不安はあった。でも、周りの貴族達の反応を見て、あなたの審美眼の確かさもわかった」
「お、おう。そうか。それは良かった」
ミアに真っ直ぐに見据えらえて、ドランは少したじろぎながらもそう答える。
「でも、あれからあまり興味のない貴族に口説かれるようになった。それは少し迷惑」
ミアは少し困ったような顔をしていたが、心底から嫌という感じは見受けられなかった。
「そうか。あんたは美人だからな。その気になれば、玉の輿も狙えるだろうよ。もっとも、あんたはそういうの、あまり好きじゃなさそうだが」
「よくわかってる」
ドランに言われて、ミアは僅かに笑顔を見せた。
「私はもっと、ミアの魅力を他の人達に知ってほしいって思っているけど。もう少し、お洒落に気を使うべきよ」
フィルイアルは心底そう思っているのか、ミアにそう言った。
「姫様、そう言ってくれるのは嬉しいです。でも、わたしは姫様の剣。それが一番最優先なのは変わりません」
ミアは片手を胸元に当てると、ゆっくりと確かめるように口にする。
「相変わらず、固いわね。でも、だからこそあなたのことを信頼できるのかもしれないわ」
「なら、今度はきちんと皇太子殿下と和解してください」
「うっ……今まで、忘れていたのに嫌なことを思い出させてくれるわね」
できるだけ触れないようにしていたことに触れられて、フィルイアルは一気に嫌な顔になった。
「あれから皇太子殿下に散々愚痴を言われたわたしの身にもなってください。そもそも、わたしに相談もなしに勝手に帰るなんて」
だが、ミアも思うところがあるのか、すっとフィルイアルに顔を近付ける。
「わ、わかったわよ。今度戻った時にはきちんと話をするわ」
ミアに押される形になって、フィルイアルは渋々ながらそれを受け入れた。
「……でも、お兄様とあそこまで言い合ったの、初めてだったかも。今までは一方的に言われるだけで、言い返すことはしなかったから。そう思うと、今までお兄様とまともに向き合っていなかったのかもしれないわね」
そして、思い直したようにそう続けた。
「それなら、これ以上言うことはないです」
ミアは満足したのか、それ以上追求することはしなかった。
「諸君、休暇中は問題なかったようだな」
ルベルが教室に入ってきたので、生徒達は一斉に自分達の席に座る。
ルベルは教室を見渡すと、全員が揃っていることに満足したように頷いた。
「これからは、今までよりも高度な魔術を学んで行くことになる。心して学ぶように」
ルベルの一言で、教室全体の空気が引き締まった。
エンティもまた、これからしっかりと学んでいこうと気合が入っていた。




