葛藤
「さて、と。姫……フィルよりも遅れるといけないからね」
エンティは速足でフィルイアルとの約束の場所へと向かっていた。
「ねぇ、明日はお店休みよね」
昨日仕事が終わってから、フィルイアルが声をかけてきた。
「ああ、そうだね」
エンティは何の気なしにそう答える。
「何か予定はあるのかしら」
「特にないけど」
フィルイアルの問いかけに、エンティは特に考えることもなく即答した。学校と店が両方休みの時は、寮に籠って強化魔術の試行錯誤を繰り返していたりするが、逆に言えばそれくらいしかやることがないともいえた。
「それなら、少しお金を稼ぎに行かない」
「お金? そんな伝手、他にあったかな」
「私達、一応冒険者ギルドに登録しているじゃない」
「ああ、そういえば」
エンティは思い出したように手を叩いた。初めての依頼を受けてからというもの、一度も足を運んだことがなかったこともあってすっかり忘れていた。
その依頼で必要以上に目立ってしまったこともあり、ドランがしばらく顔を見せない方が良い、と提案したことあり、全く訪れることはなかった。
「そろそろ、ほとぼりも冷めたころじゃないかな、って思って」
フィルイアルはそれを踏まえてか、片目を閉じて見せる。
「うーん、どうだろうね。でも、あの時は四人だったし、二人ならそれほど目立たないかもね」
エンティは首を傾げつつも、二人なら大丈夫だろうとそう言った。
「なら、明日の朝冒険者ギルドの前で待ち合わせね」
「わかったよ。まあ、二人だから難しい依頼は受けられないだろうけど」
そんなやり取りがあって、現在に至る。
「さすがに、フィルを待たせると……って、何でもう来てるの」
エンティは既にフィルイアルが来ていたことに驚いてしまう。時間に余裕を持って寮を出たはずだし、普段よりも速足でここまで来た。約束の時間よりも余裕を持って到着しているはずだった。
「ごめん、待たせたかな」
それでもフィルイアルの方が先に着いていたのは事実なので、エンティは謝罪の言葉を口にした。
「私も少し前に着いたばかりだから、気にしないで」
フィルイアルは小さく首を振った。
「でも、約束の時間よりもずっと早いよね」
フィルイアルが早く来ていたことに疑問を感じて、エンティはそう聞いていた。
「いつもあなた達は私よりも早く来るから、たまには私の方が早く来てやろうと思ったのよ」
フィルイアルはどこか自慢げな顔でそう言った。
「いや、仮にも王族……」
エンティがそう言いかけると、フィルイアルがエンティの口元に人差し指を当てる。
「それは、ここで言ったら駄目よ」
そう言われて、エンティは頷くことしかできなかった。
「じゃ、行きましょうか」
「……そうだね」
フィルイアルに続く形になって、二人は冒険者ギルトの扉をくぐった。
ギルドの中は、以前来た時と同じように何人もの冒険者らしき人物がたむろしている。
フィルイアルの容姿が目を引くせいか、数人の視線がこちらに向くものの、それ以上何かをしてくるようなことはなかった。
「やっぱり、フィルの外見は目を引くよね」
「褒められるのは嫌じゃないけど、外見だけで判断されるのはね」
エンティが小声で囁くと、フィルイアルは何ともいえないような表情になっていた。
「さすがにミアと並んでいると相当目立つけど、フィル一人ならそこまで、ってところかな」
「そう、ね。ミアも一緒に戻るって言っていたけど、せっかくだしゆっくりしていきなさいと無理に残らせたの。私の我儘で学院に入学することになったわけだし、こんな時くらいはね」
フィルイアルはふっと笑みを見せた。
「あら、お久しぶりね。あの件以来かしら」
カウンターにいる受付の女性が、二人の姿を見て声をかけてきた。
「あ、覚えていてくれたんですね」
その女性が冒険者登録をした時に手続きしてくれた受付嬢だったと思い出して、エンティはそう言った。
「あなた達は色々な意味で衝撃的でしたから。忘れたくても忘れられませんよ」
受付嬢は笑顔を見せる。
「そこまでのことは……」
「ランクE、しかも登録したばかりの冒険者がベレスを退治したのですから、ギルド内もてんやわんやでしたよ」
受付嬢は周囲に聞こえないように、声のトーンを落として言った。さすがに周りの冒険者達に聞こえるとまずいと察したのだろう。
「はは、そうですか」
そこまでの事になっているとは知らず、エンティは苦笑していた。
同時に、ドランがしばらくは顔を出さない方が良いと言った理由が理解できた。
「それで、今日はどういったご用件でしょうか」
受付嬢は先程までとは表情を切り替えると、二人にそう聞いてくる。
「何か私達でもできるような依頼はないかと思いまして」
「あら、ベレスを倒せるような方でしたら、大抵の依頼はこなせると思いますが」
フィルイアルがそう言うと、受付嬢は少し不思議そうな顔になっていた。
「いえ、あの時は四人でしたから。今は二人なので、それ相応のものはないかと」
「ああ、そういうことですか。それでしたら……」
受付嬢は手元にある依頼を確認する。
「今あるのでしたら、あなた方が以前受けた薬草採取の他に、簡単な魔物退治もあります。ゴブリン退治となると、少々難易度が高いですが、この辺りの……そうですね、家畜を襲っている狼の群れの退治でしたら、程々かと」
そして、そう提案する。
「どうする、フィル」
「そうね、安全第一なら薬草採取なのでしょうけど……」
フィルイアルは悩んでいるのか、はっきりと結論を出せずにいた。
「まあ、さすがに以前と同じ依頼というのもどうかと思うし、その狼を退治する依頼を受けてみようか」
「いいの?」
エンティがそう言うと、フィルイアルは少し驚いたような表情になっていた。
「どうせ、僕に気を遣っていたんでしょ。危ない目に遭わせたくないって」
「それもあるけど、私が大丈夫かって思って……」
フィルイアルは俯き加減で言った。
「そう、か。あの時は……」
エンティはベレスをどうにか撃退した後、フィルイアルがその場に崩れ落ちたことを思い出していた。
「うん、だから、少し……怖いって」
その時のことを思い出したのか、フィルイアルの体が僅かに震えていた。
「大丈夫だよ、フィル」
エンティは不安げなフィルイアルの肩に手を置いた。
「えっ?」
「フィルは、僕が怖がっていた時に護るって言ってくれた。だから、今度は僕がフィルを護るよ」
エンティはできるだけ落ち着いた声で、それで力強くそう言った。
自分がどこまでできるかわからないが、それでもフィルイアルの助けになりたい。そう思ったのは紛れもない本心だった。
「エンティ……そう、ね。いつまでも怖がっていたら、前に進めないものね」
フィルイアルは顔を上げると、エンティを真っ直ぐに見据えた。
「ありがとう、狼退治の依頼、受けましょう」
そして震えが止まり、普段の毅然とした表情を取り戻していた。
「あの……いちゃつくなら、外でやってくれませんか。正直、目の毒ですので」
受付嬢は表情こそ変えなかったが、その言葉には明らかに冷やかすようなものがあった。
「あ、すみません。じゃ、この狼退治の依頼を受けるってことでお願いできますか」
それを受けて、エンティは慌ててそう言った。
「はい、ではお気をつけて。無理だと思ったら深追いはせず引くことも大事ですよ」
受付嬢は何事もなかったかのように、依頼の手続きを済ませる。
あんなやり取りを見せられても普段通りに仕事をこなすあたり、受付嬢というのも様々なトラブルがある仕事のようだ。
「はい、ありがとうございます」
二人は何となくいたたまれなくなり、速足で依頼へと向かって行った。




