帰還
「色々と大変だったなぁ」
あれからエンティは翌日には元住んでいた街に戻ってきていた。フィルイアルからはもう少しゆっくりしてもいいとも言われたが、やはり場違いな場所にいることは落ち着かなかった。
そして学院は長期休暇中なので、持て余した時間は酒場で働くことにしていた。
「やっぱり、僕はこうしていた方が落ち着くな」
外で薪を割りながら、エンティはそう呟いた。
以前は一つずつしか割れなかったが、魔術のコントロールがある程度できるようになった今では複数同時に割ることができるようになっていた。
これで大分効率が上がったこともあり、裏方だけではなく手が足りない時は接客もやらされるようになっていた。
「僕は、そういうの向いていないと思うんだけどね」
最初こそそう言って断ったのだが、時間を持て余すくらいなら何かしろと言われたことと、給金を上乗せするという言葉に釣られて引き受けてしまった。
「エンティ、ちょっと忙しくなったから来て頂戴って」
「あ、フィル。こっちも丁度終わったから今行くよ」
フィルイアルに呼ばれて、エンティは割り終わった薪を担ぎ上げた。
「手伝うわよ」
「お願いするね」
エンティが抱えきれな方薪を、フィルイアルは担ぎ上げた。
フィルイアルも慣れてきているのか、一度に担げる薪の量も大分多くなってきていた。
「でも、本当に良かったのかい」
「え、何がかしら」
薪を片付けたところで、エンティはフィルイアルにそう聞いた。
「いや、折角王宮に帰ったんだし、もっとゆっくりしていても良かったんじゃないかって」
「ああ、そういうことね。確かにもう少しいても良かったかもしれないけど」
フィルイアルはそこで一旦言葉を止めた。
「あれだけ大々的に婚約破棄しちゃったし、お父様はともかくお兄様がうるさくて。破棄するのは構わないが、あの場所でやることじゃないだろう、とか」
「お兄様って、皇太子殿下だよね。厳しい方なのかな」
エンティは皇太子に会ったことはなかったが、フィルイアルの話振りからするとかなり厳しい人物という印象を受けていた。
「そうね、自他共に厳しい人よ。でも、私が好き勝手やっていた頃、周囲は私を遠ざけていたわ。でも、お兄様だけは私を厳しく叱責してくれたわね。最悪のところまでいかなかったのは、お兄様のおかげかもしれないわね」
フィルイアルはふっと息を吐いた。その様子からは皇太子に対して畏怖しているというよりは、敬意を持っているようにも見えた。
「そうだったのか。でも、今のフィルは王族としても一人の人間としても、尊敬できる人間だと思うよ。だから、皇太子殿下もそこまで厳しいことは言わないんじゃないかな」
「どうかしら、ね。今までが今までだったから、完全に信用してもらうのは難しいかもしれないわ。でも、珍しくお前も考え方を改めたのか、と褒めてもくれたけど」
そう口にするフィルイアルは、どこか嬉しそうでもあった。
「そう、それは良かったね。でも、それなら尚更こんなに早く帰ることもなかったんじゃ」
フィルイアルが皇太子と和解できていたようなので、エンティは余計にフィルイアルが一緒に戻って来た理由がわからなかった。
「まあ、認めてはもらえたと思うわ。でも、それ以上に駄目出しが凄くて……認めてくれたからこそ、厳しいことを言っているのはわかるんだけど」
そこで、フィルイアルはたまらず苦笑していた。
「大事にされている、ってことじゃないかな。僕は家族がいないから、少し羨ましいよ」
「そうかもしれない、わね。私は心配してくれる家族がいる分、あなたより恵まれているのかもしれないわ。でも、一番言われたのが私の服装だったことが、ちょっと許せなくて」
フィルイアルは複雑な表情を浮かべていた。
「服装って、ドランが選んだあの服だよね。ミアと対になるような服だったっけ」
「王女が男装紛いなことをするな、ってうるさくて。私もドランが選んでくれた服に文句を言われたから、頭に来ちゃって……それで、初めて大喧嘩になったわ」
「まあ、あれはあれで似合っているとは思うけど、さすがに男装っぽい服を着ていたら皇太子殿下も驚いただろうね。いや、皇太子殿下だけじゃなくて、他の貴族達もかなり驚いていたようだけど」
エンティはフィルイアルとミアが並んで現れた時のことを思い出していた。
「ミアの本当の魅力を周囲に知らしめるには、とても良かったわ。あの後、今まで見向きもされなかった貴族達から散々口説かれたってぼやいていたわ」
「普段のミアも、十分に魅力的だとは思うけどね。ちょっと中性的な雰囲気があるから、近寄りがたいのかもしれないけど」
「二人共、何やってるんだい。早く来ておくれ」
店の中からハンナの声がして、二人は慌てて店の中に入る。
「もう、予定より早く戻ってきてくれたのはありがたいけど。それなら、きちんと働いてもらわないとね」
二人が店内に戻ると、ハンナが低い声でそう言った。本気で怒っているわけではなさそうだが、声のトーンからして店がかなり忙しいことは予想できた。
「あ、すみません。すぐに行きますから」
「私もすぐに行きます」
二人は頭を下げると、急いで注文を待っている客の方へと向かう。
「店員さん、注文頼んでいいかしら」
どこかで聞いたことがあるような声だったが、慌てていたこともあってエンティはさして気に留めることもなくそちらへ行った。
「はい、只今……って、シャハラ、さんですか?」
顔見知りがいたことに驚いて、エンティは一瞬動きが止まってしまう。
「あら、クラースのお弟子さんね。確か……あ、あなたの名前は聞いていなかったわね、教えてくれないかしら」
「エンティです。色々あって、この酒場で働かせてもらっています」
シャハラに名前を聞かれて、エンティはそう答えた。
「あいつの弟子なのに、本当に礼儀正しいわね」
「あれ、今日はお一人ですか」
数人が座れるテーブルに、シャハラ一人しかいなかったのでエンティはそう聞いていた。
「あ、後から来るわよ。私は先に来て場所取りと注文ね。ちょっと今回の依頼の後処理が大変だったのよ」
「そうでしたか。では、ご注文を伺ってよろしいでしょうか」
シャハラが客だと認識したエンティは注文を聞いた。
「じゃ、まずはこのメニューの上から下まで全部ね」
「え?」
それを聞いて、エンティは耳を疑っていた。
複数人分の注文だから、量としてはありえないものではなかった。だが、シャハラが注文したメニューはこの店の中でも特に高価な物ばかりだった。
この店に来る客層は、金に余裕がある人間は少ない。だから、高価な物が注文されることはまずかなった。
「あ、何か大口の依頼でも成功させたんですか」
だが、すぐにシャハラがかなりの腕の冒険者だったことを思い出した。大口の依頼を成功させれば、これくらいのメニューを頼むのも余裕だろう。
「まあ、そんなところかしらね」
「わかりました。では、注文をお受けします」
「おーい、席取れたか」
エンティが注文を受けて厨房に伝えようとした時、店に数人の男達が入ってきた。
「あ、こっちよ。もう注文も終えたわよ」
シャハラが手招きすると、男達は次々とテーブルに着いた。
「先生、ご無沙汰してます」
「エンティか、最近……いや、お前はこの店で働いているから、会うのも当然か」
エンティがクラースに挨拶すると、クラースはそっけなく返す。
「お、彼が例の弟子か。オレ達のBランク昇格祝いの注文を、お前の弟子が受けるなんて面白い話もあるもんだな」
「そうだな」
からかうように言う男に対して、クラースはそれをあっさりと肯定した。
「えっと、Bランク昇格って……それって、とても凄いことですよね」
エンティは冒険者のことは詳しくわからないが、以前ドランから聞いた話を思い出していた。この街の冒険者はAランクはおらず、最高でもBランクらしい。そして、その最高ランクにクラース達が肩を並べたということになる。
「この街でも三組しかいなかったBランクに私達がなれるなんてね、感慨深いわ」
シャハラがらしくなくしみじみと口にする。
「最初はクラースをうちに入れるのはどうか、って思ってたけどよ。結局、クラースが入ってから依頼の効率が上がったしな」
「俺は大したことはしていないが。そもそも、お前達なら俺抜きでも十分になれたと思うぞ」
男にそう言われたクラースは、いつも通りの態度でそう返す。だが、エンティの気のせいでなければ僅かに口元が緩んでいるようにも見えた。
「っと、今日はお祝いですから、急いで料理をお持ちしますね」
そこで、エンティは弾かれたように動き出した。
「えっと、このメニューの上から下まで、全部です」
エンティが厨房にそう伝えると、料理人が驚いた顔になった。
「おいエンティ。そういう冗談は……って、お前はそんな奴じゃなかったな。だが、そんな羽振りの良い奴が、うちの店になんか来るか」
「あ、Bランク昇格のお祝いだそうです」
「なるほど、そういうことか。なら、こちらも腕によりをかけないとな」
そこで納得したのか、料理人は気合を入れ直すかのように食材に向き直った。
「大したもんだね、あのクラースがBランクかい」
ハンナが感心するような、それでいてさも当然というような口調で言った。
「あ、店長」
「まあ、あれは実力はあるくせに、他人とほとんど関わろうとしなかったからね。ちゃんとした連中と組めば当然の結果だろうけど。あんたも、あれに負けないように頑張りな」
「はい」
エンティは大きく返事をすると、他の客の注文を取りに行った。




