国王陛下
「今からお父様……陛下にお会いするけど、緊張するなって方が無理よね」
国王の執務室の前で、フィルイアルが足を止める。
「そう、ですね」
エンティは緊張していることを否定しなかった。
「お父様自ら呼んだのだから、余程の粗相をしない限りは大丈夫よ」
「はい……それに、フィルが護ってくれるから問題ないよね」
エンティは周囲を見渡して人がいないことを確認すると、そう言った。
「良い返事ね、行きましょう」
フィルイアルは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、納得したように頷いた。
そして、静かに扉を数回叩いた。
「誰かな」
返ってきたのは、とても落ち着いた声だった。
「お父様、フィルイアルです。今戻りました」
「フィルイアルか、戻って来たのだな。入りなさい」
「はい」
フィルイアルは返事をすると、扉に手をかけた。
「久しいな。学院の生活には慣れたか」
二人が部屋に入ると、中にいた中年の男性がこちらに声をかけた。国王らしい威厳を持ち合わせている一方で、どこか親しみを感じさせるような、そんな雰囲気を漂わせていた。
「はい、私の我儘で通わせてもらっていますが、思ったよりも色々と得ることができました」
「そうか、それは何よりだ」
国王は穏やかな笑みを浮かべる。
「で、彼が例の?」
そして、エンティの方に目をやった。
決して見下すような視線ではなかったが、こちらを値踏みしているような視線をエンティは感じた。
「はい、私に色々と考える切っ掛けをくれた方です」
フィルイアルはエンティに前に出るように促した。
「は、初めま……い、いえ、お会いできて光栄です。陛下」
エンティは緊張のせいか所々で詰まりながらも、どうにかそう挨拶をする。
「そんなに硬くならなくていい。それに、立ち話で済むほど短い話をするつもりもない。二人とも、そこに掛けなさい」
国王は近くにある来客用のソファーを指差した。
「そうですね。私も積もる話がありますから」
フィルイアルはごく自然にソファーに座る。
「ほら、あなたも」
「は、はい」
フィルイアルに促されてエンティもソファーに座るが、あまりの座り心地の良さに驚いてしまう。
「どうしたの?」
そんなエンティの様子に気付いたのか、フィルイアルが声をかける。
「い、いえ。このソファーがあまりに座り心地が良かったものですから」
「ああ、確かに陛下の来客用だから、最上級の物を使っているわ。初めて座ったら驚くのも無理もないわね」
フィルイアルは気にしなくていい、というように笑顔を見せた。
「さて、私もここで話をするよりも近くで話をした方がいいかな」
国王はそう言うと、エンティとフィルイアルの対面に座った。
「さて、まず自己紹介から始めようか。知っているかもしれないが、私はこの国の国王のカルグストという者だ。よろしく頼むよ」
「ぼ、僕はエンティと言います。よ、よろしくお願いします」
エンティは深く頭を下げた。
「硬いな。まあ、無理もない話だ。だが、今回は私が客人として君を呼んでいる。もう少し、気を楽にしてくれて構わない」
エンティが緊張しているのを見てか、カルグストは気を楽にするように言った。
「お父様、エンティはこういったことに慣れていないのですから」
フィルイアルはエンティを庇うように言う。
「それもそうか。まあいい。私が君を呼んだのは幾つか理由があってね。ああ、君を責めるようなつもりはないから安心して欲しい」
エンティが一瞬体を強張らせたのを見てか、カルグストは穏やかな笑みを浮かべる。
「それで、用件は何でしょうか」
エンティも少し慣れてきたので、大分落ち着いて話せるようになっていた。
「フィルイアルは王宮にいた頃、少々問題ばかり起こしていてな。まあ、政務にかかり切りで面倒を見てやれなかった私にも責任があるのだが」
そこで、カルグストはフィルイアルに対して申し訳なさそうな顔をする。
「いえ、私が問題を起こしていたこと、今となっては恥じ入るばかりです」
フィルイアルは頭を下げた。
「まあ、問題といってもさして面倒なことでもない。今になって思えばもっとお前と話をするべきだった。これは私の落ち度でもある」
「お父様、私は周囲に蔑ろにされてことで、好き勝手をし過ぎました。今後その清算はしていくつもりです」
「と、まあ。こんな感じで娘が考え方を改めたことに驚いている。そして、その切っ掛けになったのが君から言われた言葉だ、と」
カルグストはエンティの方に視線をやる。
「今から思えば、僕もかなり失礼なことを言ってしまったと思っています。ですが、姫様はその言葉をしっかりと受け止めて、その上で結論を出しました。ですから、僕のしたことなど大したことではありません」
エンティはそれを真っ直ぐに受け止めると、そう答えた。
「本来なら、それをするのは私の役目だった。三人兄弟で唯一の女の子ということもあって、その接し方を持て余してしたのかもしれない。最初は外に出すことに不安もあったが、結果としては良い方向に行ったようだな」
そこで、カルグストはフィルイアルに向けて笑みを見せた。それは父親が愛娘に向けるもので、今までの国王としての顔とは別のものだった。
「はい、お父様。最初は王宮から逃げるために魔術学院を選びました。ですが、私のことを施政者として評価してくれる人が二人もいました。こんなことを言われたのは初めてでしたし、色々と考えさせられました」
それを受けて、フィルイアルも笑顔で返す。それもまた、国王に対するものではなく娘が父親に向けるものだった。
「他人の言葉に従うだけでは駄目だが、全く聞かないのもまた駄目だ。それを受け入れて、自分なりに考えて結論を出すことが大事だ。成長したな、フィルイアル」
「お父様……」
カルグストにそう言われて、フィルイアルは言葉を詰まらせる。その様子からして、カルグストが褒めるようなことは滅多にないことが伺えた。
「エンティ君、だったな」
「は、はい」
急に名前を呼ばれて、エンティは驚きの声を上げる。
「本来なら私がやらなければいけないことを、君がやってくれた。それについてはとても感謝している。ありがとう」
カルグストが深々と頭を下げた。
「へ、陛下。僕のような人間にそこまでする必要は……」
国王に頭を下げれられたので、エンティは大慌てで両手を振る。
「これは国王としてではなく、一人の娘の父親として感謝を述べている。だから、素直に受け取ってもらいたい」
「……わかりました」
そう言われてしまうと、返す言葉がなくなってしまう。エンティは大人しく頷いてそれを受け入れた。
「ところで、ブルグンドのことなんだが」
カルグストがその名前を出すと、フィルイアルは苦虫を噛み潰したような表情になっていた。
「お前の婚約者だというから、ある程度大目に見ていたが。最近、見過ごせないような言動が増えている。この始末はどうするつもりだ」
今度の顔は父親が娘に向けるものではなく、国王として責を問うようなものになっていた。
「曲がりなりにも、私が選んだ婚約者です。私が責任を持って何とかします」
それを受けて、フィルイアルはカルグストを真っ直ぐに見据えて答える。
「ほう、以前のお前ならそんなことは言わなかったな。私の婚約者なのだから、ある程度好きにさせて欲しい、くらいは言っただろうが」
カルグストは一瞬意外そな顔になるが、すぐに覚悟を問うような顔になっていた。
「はい、彼を選んでしまったのも私の責任ですから」
「わかった、その処置はお前に任せる。きちんと責任を取りなさい」
フィルイアルがはっきりと決意したのを見て、カルグストは全てを任せることにする。
「さて、堅苦しい話はこの辺りで終わりにするか。ところで、エンティ君」
カルグストはそれまでの厳しい表情から一転、穏やかな顔になっていた。
「はい?」
その豹変に、エンティは間が抜けた声を上げてしまう。
「君はフィルイアルのことを、どう思っているのかね」
「どうって……」
突然そんなことを言われて、エンティは返答に困っていた。
「君が思っていることを素直に言ってくれて構わない。この場限りの話だし、誰も君を責めることはしない」
「姫様は、最初は近寄りがたい人だと思っていました。ですが、今は一人の人間として尊敬できる人だと、そう思っています」
エンティは少し考えてから、今の気持ちを素直に打ち明けた。流石に友人と言うのは不敬に当たると思い尊敬という言葉に置き換えた。
「素晴らしい模範解答だな。だが、私が聞きたいのはそんなことではない。一人の女の子としてどう思っているのか、と聞いているんだが」
「お、お父様!?」
思いもよらない言葉に、フィルイアルは飛び上がらんばかりの声を上げた。
「い、いえ。女性としても魅力的な人だとは思いますが」
「ほう、どんなところが」
エンティがそう答えると、カルグストは身を乗り出すように詰め寄ってくる。
「美人ですし、意外と可愛らしいところもありますし、話をしていて楽しいです」
「え、エンティ!?」
エンティがフィルイアルの良い所を上げると、フィルイアルは顔を赤くして口をパクパクさせていた。
「フィルイアル、彼はお前の婚約者よりもずっとまともだな。お前の魅力も良く分かっている。こちらに乗り換えたらどうだ」
カルグストは冗談とも本気とも取れるような口調で言う。
「お、お父様、おふざけにならないでください」
「へ、陛下。いくら何でもお戯れが過ぎます」
それに対して、エンティとフィルイアルは同時に抗議の声を上げた。
「息も合っているようだな。まあ、父親としてはまともな男と一緒になって欲しい、そう思うのは自然なことだ。少なくとも、今の婚約者は認めるわけにはいかん」
「お父様、ご心配をおかけしまして申し訳ありません」
フィルイアルは深く頭を下げた。
「頭を上げなさい。今のお前は成長して考え方も変わった。以前よりもずっと安心して見ていられる」
カルグストは立ち上がると、フィルイアルの肩にそっと手を乗せた。
「お父様」
そんなカルグストを、フィルイアルは見上げるようにして見ていた。




