馬車の旅
「どうしたの、落ち着かない様子じゃない」
馬車の中でそわそわしているエンティを見て、フィルイアルは少しからかうように言った。
「いや、馬車なんて乗るの初めてだし、それがこんなに豪勢な馬車とくれば落ち着かないよ」
それを受けて、エンティはどうにか落ち着こうと取り繕う。
「今からそんなことじゃ、これからもっと大変よ。何せ、国王陛下にお会いするんだから」
「うっ……」
それを聞いて、エンティは言葉を詰まらせた。忘れていたわけではないが、改めてその現実を突き付けられると頭を抱えそうになってしまう。
「大丈夫よ、お父様はそこまで気難しい方じゃないわ。一国の王としては優秀だし、臣下からの信頼も厚いという絵に描いたような国王様ね。でも、一個人としては至って普通の方よ」
「それは、フィルからすれば自分の親だからそうだろうけど……僕にとっては国王陛下であることに変わりないからね」
大したことはないといった感じで言うフィルイアルに対して、エンティは苦笑混じりで答えた。
「そうね、緊張するなっていうのが無理な話よね」
フィルイアルはエンティの方に身を乗り出すと、耳元で囁くように言う。
「だから、緊張をほぐすために何か別の話をしましょう」
「別の話って言われても、すぐに思いつかないよ」
フィルイアルに顔を近付けられて、エンティは別の意味で緊張してしまった。
「そうね……いざ話題を探すとなると、中々思い当たらないわね」
フィルイアルは腰を下ろすと、話題を考えるように上を見上げた。
「大体、僕とフィルは結構話をしているじゃないか。今更話題なんて簡単には思いつかないよ」
「それもそうよね。あっ、前から一つ気になっていたことがあるから、聞いていいかしら」
フィルイアルは何か思いついたのか、そんなことを言う。
「気になっていたこと?」
「あなた、属性がないのよね」
「……そうだね、前例がないことのようだけど」
フィルイアルに言われて、エンティは難しい表情になっていた。属性がないことで今後どういった影響があるのかと思うと、必然的にそうなってしまう。
「難しい顔をするわね。まあ、前例のないことだから無理もないかもしれないわ。でも、属性がないというのは逆手に取れば、どんな属性を使うのも自分の好きにできるってことじゃない」
「まあ、それはそうかもしれないけど」
何事も前向きに捉えるフィルイアルに、エンティはそう答えることしかできなかった。
「でも、あなたは水の魔術を主に使うじゃない。もちろん、他の魔術も使わないってわけじゃないようだけど。何か理由があるのかしら」
「ああ、それは……」
フィルイアルに聞かれて、エンティは少しだけ考える素振りを見せた。
「先生が水属性だったから、かな」
そして、予め決まっていた答えを出した。
「先生が、ね。確かにルベル先生も水属性よね。一部の生徒は先生に媚を売っているって陰口を叩いているようだけど」
エンティが答えると、フィルイアルはそんなことを言った。心なしか、その表情に怒りがにじんでいるようにも見えた。
「そんなこと言われてたのか。全然気付かなかったよ。確かに、僕にその意図がなくてもそう思われても仕方ない、か」
それを聞いて、エンティはいかに自分が周囲に気を使っていなかったかと思い知って息を吐く。とはいえ、陰口を叩かれる程度なら孤児院にいた頃に比べればずっとましだった。
「でも、ルベル先生が水属性なのは偶然よね」
フィルイアルが核心を突くかのように言う。その視線はエンティを貫くかのように見据えられていた。
「どうして、そう思うのかな」
その視線を受けて、エンティは逆に聞き返す。直接授業をする担任の属性に合わせた、と考えるのが自然だろう。
「あなた、学院に入る前に魔術を教わっていたって言っていたわよね。その人も水属性じゃないのかしら」
「フィルは本当に本質を見抜くね。その通りだよ、僕が水属性を使うのは先生が水属性だったからだよ」
自分が水属性を使う本当の理由を看破されて、エンティはフィルイアルの見る目の確かさを改めて思い知る。
「この前、二回ほどあなたの先生に会ったじゃない。ぱっと見は面倒臭がりでぶっきらぼうにだけど、その実面倒見は良い人じゃないかって思ったのよ」
「まあ、それは否定しないけど」
フィルイアルがあまりにクラースのことを的確に表すので、エンティは舌を巻いていた。確かに面倒だと口にしながらも、何かとエンティのことを気にかけてくれていた。
「だから、あなたが慕うのもわかるような気がするの。そんな尊敬する先生と同じ属性を使おうって思うのも自然なことじゃない」
「さすがだね、フィルの言う通りだよ」
フィルイアルの言葉に全く反論できず、エンティはそう言うことしかできなかった。
「良かったら、出会ったきっかけとかも聞かせてもらえるかしら」
どういうわけか、フィルイアルはエンティとクラースの関係が気になっているようだった。
「いや、大したことじゃないよ。僕が外で野草の採取をしていた時、狼の群れに囲まれたことがあってね。そこで助けてくれたのが先生だったんだ」
「随分あっさりと言うけど、それって先生がいなかったら危なかったんじゃないの」
一歩間違っていたら死んでいたようなことを何気ないことのように話すエンティに、フィルイアルは唖然としていた。
「そうだね。だから、僕がこうして生きているのは先生のおかげだよ」
そんなフィルイアルに対して、エンティはゆっくりと頷いた。
「運命的な出会い、っていうのはあるものね。私とミアもそうだったけど」
「そこで、僕の魔力が暴発して狼の一部を吹き飛ばしたんだ。それを見ていた先生が、僕に魔力の制御法と魔術を教えてくれて、魔術学院で本格的に学ぶように孤児院の人を説得してくれた」
エンティはそう続けた。
前は余計な心配をかけまいと魔術が暴発したことを話さなかったが、今は魔力の制御法を含めて十分に学んでいる。だから話しても問題ないと思って事実を話した。
「魔力の暴発って……私も一歩間違えたらそういったこともあったのかしらね」
「僕の時は命の危機だったから、というのもあると思う。余程のことがない限りそんなことはないみたいだし」
少し考え込むフィルイアルに、エンティはゆっくりと首を振った。
「そう、あなたも色々大変だったのね。でも、その経緯があったからあなたと出会えたと思うとちょっと複雑かしら」
「どういうこと?」
「あなたと出会えたことは、私にとって有意義なことだと思っているわ。でも、その経緯であなたが命を落としかけていたと思うと、ね」
フィルイアルは何ともいえないような表情をしていた。
「でも、僕は今こうして生きている。だから、フィルがそこまで気にすることはないよ。それに、僕もフィルに出会えて良かったと思っているから」
エンティは気にしないでいい、というようにゆっくりと手を振った。
「そう……ありがとう」
そう言われて気分が楽になったのか、フィルイアルは僅かながら笑顔を見せた。
「後、僕が水属性を使う理由はもう一つあるよ」
「えっ?」
不意にそう言われて、フィルイアルはきょとんとした顔をする。
「フィルが雷属性だからだよ。水と雷は相性が良いって授業で習ったよね」
「なっ……で、でも、一番は先生が理由よね」
思いがけないことを言われたせいか、フィルイアルは少し動揺していた。
「うん、それは否定しないよ。でも、フィルは僕と仲良くしたいと言ってくれたからね。だから、僕もそれに応えたいと思ったんだ」
「……あなたって人は、そんなことを簡単に口にするのね」
「嫌だった、かな」
フィルイアルが俯いたのを見て、エンティは余計なことを言ったかと少し後悔していた。
「ううん、嬉しい」
だが、予想に反してフィルイアルは呟くように言った。
「そ、そう」
思ってもみなかった反応をされて、エンティはどう返せばいいのか困ってしまう。
「でも、そんなことを言ったらドランが泣くわよ。火と水って相性が最悪じゃない」
「それはそうだけど。ドランとは仲良くしていたいけど、それ以上に良きライバルでもありたいって、そう思っているから」
少しからかうように言うフィルイアルに対して、エンティは笑顔でそう答えた。
ドランとは同じ平民ということで気心の知れた仲になっているが、それ以上に負けたくないという思いもあった。
「男の子って、そういう所あるわよね」
フィルイアルは納得したように頷いた。
その時、僅かながらだがあった馬車の揺れが止まると、小窓を控えめに叩く音がした。
それを受けて、フィルイアルが小窓を開ける。
「姫様、到着しました」
「そう、ありがとう」
御者に声をかけられて、フィルイアルは労うように言うと小窓を閉めた。
「着いたみたいね、行きましょう」
「本当に、陛下にお会いするのか……」
「もう、ここまで来たんだから覚悟を決めなさい」
ここに来て尻込みをするエンティに、フィルイアルは喝を入れるように強く言った。
「はぁ、わかったよ」
エンティは気乗りはしないものの、ここまで来たら足掻いても仕方ないと覚悟を決めた。




