長期休暇
「では、本日の授業はここまでとする」
ルベルは広げていた教本を静かに閉じた。
「明日からしばらくの間長期休暇に入ることは知っていると思うが、この時間をどのように過ごすのかは、もちろん諸君の自由だ。だが、休暇に浮かれて本学院の生徒として相応しくないことはしないように、以上だ」
最後にそれだけを言うと、ルベルは教室から出ていった。
「この学院、思ったよりも休暇が長いんだよな。正直な所、持て余すぜ」
ドランがどうしたものか、というように天井を見上げていた。
魔術学院は遠方から通う生徒も多いためか、夏と冬にそれぞれ一月近くの休暇があった。遠方から通っている生徒からすれば里帰りの良い機会になるが、近場の生徒は持て余してしまうのもまだ事実だった。
「ドランは実家に戻るのかい」
「まあ、そうなるかな。親父や兄貴の手伝いをしつつ、魔術の訓練でもしようかと考えてる。幸い、姫様が手を回してくれたのか例の件も片付いたようだしな」
エンティがそう聞くと、ドランは少し考えてから答える。
「エンティはどうするんだ」
今度はドランの方がエンティにそう聞いた。
「僕は孤児院には戻れないしね。だから、寮の方で世話になりながらがっつりと仕事しようかな、って」
エンティはさも当然というように答える。
「仕事もいいけど、魔術の訓練も忘れるなよ」
「僕は酒場の仕事でも魔術を使っているからね。だから仕事をするのは魔術の訓練も兼ねているよ」
「お前、抜け目ないな」
ドランは感心と呆れが半々、というように言った。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
エンティは笑顔でそれを受け止めた。
「じゃ、また一月後だな。あ、暇だったらうちの店に遊びに来てもいいぜ」
「気が向いたらそうするよ、じゃ」
二人は互いに右手の拳を突き出すと、その先端を軽く触れ合わせた。
「じゃあな、エンティ」
「またね、ドラン」
寮に残る予定だったエンティはこれといってやることもなかったので、ドランを校門まで見送っていた。
「さて、今日は仕事ないから寮で休もうかな。全員強制的に帰郷しろ、って言われないのは助かったよ。さすがに孤児院には戻れないしね」
エンティはドランを見送ってからそう呟いた。
学院に通うことを決めてから、孤児院の関係者とはかなり険悪になっていた。表向きは他の孤児達と差別されるようなことはなかったが、裏では相当な嫌がらせを受けたりもしていた。
「はっ、嫌なことを思い出したね。今の僕には関係のないことだから」
エンティはそこで大きく頭を振った。
「あら、エンティ。こんな所にいたのね。探したわよ」
背後から声をかけられたので振り向くと、そこにはフィルイアルがいた。
「あっ、姫様。姫様は王宮に戻られるんですよね」
「ええ。さすがに戻らないとお父様がうるさいから。私としては戻るのは面倒だと思ってもいるんだけど」
フィルイアルは少しうんざりしたような顔をしていた。
「姫様、お父様……というか、国王陛下ですよね。陛下の言うことは聞かないと駄目でしょう」
そんなフィルイアルに、エンティは仕方ないな、というように言う。
「そうね、陛下の命令には従わないといけないわよね」
それを聞いたフィルイアルは、何故か意味ありげな笑みを浮かべていた。
「ど、どうしたんですか、姫様」
その笑顔に何故か寒気を感じて、エンティは一歩後退りしていた。
「お父様がね、あなたに会いたいって言うのよ」
「はぁ、陛下が僕に……って、陛下が、僕にですか!?」
フィルイアルが身を乗り出してそう言うのを聞いて、エンティは驚きの声を上げていた。
「い、いや、冗談にしても質が悪すぎますよ。一国の王様が、僕のような平民に会いたいだなんて」
エンティはそれを冗談だと受け取って、大慌てで両手を振った。
「私がこういう冗談を言うような人間に見えるかしら」
対照的に、フィルイアルは落ち着いている。
「……本当に、陛下がそんなことを?」
その落ち着きぶりに、エンティはそれが冗談でないことを悟っていた。
「だから、あなたも私と一緒に王宮に来なさい」
エンティが事実を受け止めたのを見て、フィルイアルは命令するように言う。
「ああ、その言い方からすると、これは拒否できないみたいですね」
エンティは大きく息を吐いた。
最近のフィルイアルは、エンティには命令するような物言いをしなくなっていた。それをしてきたということは、これはどうやっても拒否できないと思い知らされた。
「あなたも私のことがわかってきているようね」
何故かフィルイアルは嬉しそうな表情を浮かべていた。
「でも、お店の方にしばらく休むって伝えないといけませんね。そうでなくても長期休むのに、それが無断となると迷惑になりますから」
「それなら大丈夫よ。店長には私から伝えておいたわ。もちろん、あなたの分もね」
「いつの間に……」
フィルイアルの手際の良さに、エンティは言葉を失ってしまう。
「さすがに、どうしてあなたまで休むのかとは言われたけど。私の家の事情で、って説明したら察したように認めてくれたわ」
フィルイアルは小さく舌を出した。
「店長、妙に察しがいいですからね。さすがに姫様の正体までは気付いていないとは思いますが、それなりの身分の貴族だ、くらいは察していると思いますよ」
その仕草にどきりとさせられたものの、エンティは冷静さを保って言う。
ハンナはフィルイアルを一目見た時から、どこぞやの貴族の関係者でないかと言っていた。他にも一見ぶっきらぼうなクラースの人柄を認めていたりと、人を見る目は確かなようだ。
「それでも私を雇ってくれたのだから、懐が大きいわね」
フィルイアルもハンナの人柄を認めているのか、しみじみとそう言った。
「確かに。僕も店長には助けられていますからね。いくら感謝してもしきれませんよ」
「そうね。と、そろそろ来る頃かしら」
フィルイアルは校門の外に目をやった。
「来るって、何が……」
エンティがそう言いかけた時、見るからに立派な馬車が校門の前に止まった。
「ここから王宮までなんて、歩いて戻れる距離じゃないわ。だから、お父様が手配してくれたのよ」
「まあ、それもそうですよね」
エンティは半ば呆然としながら口にする。
「さあ、行くわよ」
フィルイアルはエンティの手を引いた。
「えっ?」
「何を言っているの。あなたも一緒に行くのよ」
「い、いや。僕なんかがあんな立派な馬車に……」
エンティは手を引かれるままになっていた。
「これもお父様、陛下の手配なのだから従いなさい」
「は、はぁ」
そう言われて、エンティは大人しく従った。
「しかし、立派な馬車ですね。本来なら、僕なんかが乗れるようなものじゃないでしょう」
馬車の前まで来て、エンティは改めて馬車を見渡した。
装飾こそ派手ではなかったものの、一般的に使われている馬車とは比べ物にならない。恐らく、相当な悪路を走っても快適な乗り心地が約束されているだろう。
「そうね。貴重な機会だと思って堪能しなさい」
フィルイアルは慣れている感じで馬車に乗り込んだ。
それを見てエンティも馬車に乗ろうとしたが、如何せん乗ったことがないからどうすればいいのかわからなかった。
「どうしたの?」
立ち止まっているエンティを不思議そうな顔でフィルイアルが見ていた。
「いえ、僕は馬車に乗ったことがないものですから」
それを聞くと、フィルイアルはすっと手を差し出した。
「掴まりなさい。本来は男性が女性を引き上げるものでしょうけど、たまにはこういうのも悪くないわ」
そして、悪戯をする子供のような笑みを浮かべていた。
「全く、あなたという人は」
エンティは脱力しつつも、フィルイアルの手を取った。
すると、思っていたよりも強い力で引き上げられた。
「っと」
フィルイアルに引き上げられて、エンティは馬車に乗り込んだ。その中は思いの外広く、四人くらいなら普通に乗れそうだった。
二人は向かい合う形になっていた。
「そういえば、ミアは?」
エンティは、護衛ということでいつも一緒にいたミアがいないことに今更気付いた。
「ミアは自分の家の馬車で戻っているわ。ミアも私の馬車に乗せたりすると、他の貴族がうるさいから」
「ああ、面倒ですね」
エンティは貴族社会の面倒さを改めて思い知らされる。
「そんな顔しないの。せっかくだから、馬車の旅を楽しみましょう。ここには私とあなたしかいないのだから、普通に接すること。いいわね」
「はい、わかり……わかった」
エンティはやれやれ、というように頷いた。




