難航する交渉
「落ち着いた?」
フィルイアルの震えが止まったのに気付いて、エンティはそう聞いた。
「ええ、もう大丈夫よ。ありがとう」
フィルイアルが笑顔で答えたので、エンティはフィルイアルの体から手を離した。
「さて、一段落したところでこれからのことを考えないとな」
フィルイアルが落ち着いたのを見て、ドランはベレスの死体を指差した。
「これから?」
それを聞いて、ミアはベレスの死体に目をやった。
「そもそもの問題で、こいつがこんな場所に出るのがおかしいんだよ。確か、ランクCの冒険者でも手こずるような相手だったはずだ」
「ランク?」
「ああ、冒険者はA~Eまでランクがあるんだよ。その上にSもあるらしいが、過去に数人いたくらいで、現在はいないらしいな」
ミアに聞かれて、ドランはそう答える。
「と、いうことは……僕達は登録したばかりだから、ランクEってことだね。ってことは、分不相応な強敵を倒したってことか」
「まあ、そういうことになるな。で、これは当然ギルドに苦情を申し入れて然るべき案件なんだが……」
ドランはそこで言葉を止めた。
「何か問題があるの」
「今日登録したばかりの新米冒険者が、こいつを倒したって信じてもらえると思えなくてな」
「なら、放っておけば……って、わけにもいかないのね」
ドランの表情が深刻なのを見て、フィルイアルは提案しかけた意見を取り下げた。
「ま、それでも何もしねえわけにもいかないからな。とりあえず、こいつの頭だけでも持っていて説明してみるか。結構重そうだから、運ぶのも一苦労しそうだが」
ドランがそう結論を出すと、ミアが右手でベレスの頭を掴んだ。
「おい、片手じゃ……まじかよ」
ミアが難なくベレスの頭を持ち上げたのを見て、ドランは半分言葉を失ってしまう。
「剣を使うなら、このくらい当然」
ミアはさも当然、というように言い放った。
「無理するなよ。きつかったら変わるぞ」
「多分問題ないとは思う。でも、その時はお願い」
「なら、任せるか。採取した薬草も忘れずにな」
「あ、すっかり忘れてたよ」
急にベレスに襲われたこともあって、薬草を集めた籠は地面に転がっている。地面に落とした時に散らばってしまったのか、薬草が籠の周囲に散らばっていた。
「おいおい、頼むぜ。一応それがメインなんだからよ」
「少し散らばったけど、このくらいならすぐに回収できるわね」
三人で散らばった薬草を回収したせいか、回収するのにそこまで時間はかからなかった。
「じゃ、行くか」
四人はギルドに戻った。
戻る途中でベレスの頭を持っているミアが奇妙な目で見られたりもしたが、冒険者としてはよくあることなのかそれ以上何かをされるようなことはなかった。
「結局、あんた一人でここまで持ってきたな」
ギルドの入り口で、ドランは呆れと驚きが混じったような口調で言う。
「さすがに腕が疲れてきた。早く終わらせましょう」
「そうだな」
ミアに言われて、ドランはギルドの扉を開いた。
ギルドの中にはあまり人がいなかったが、四人が入ってくると視線が集中する。正しくは、ミアが持っているベレスの首に、だが。
「おい、あれ」
「っていうか、見たことない連中だな。新人か」
「いや、新人がベレスを狩れるわけないだろ」
「なら、ああ見えてランクCはあるのか」
「あの年でか? だとしたら、相当な強者だが」
そんな声が聞こえてくる。
「構うなよ」
ドランが釘を刺すように言うので、エンティは小さく頷いた。
「ミア」
受付に並んでいる人がいなかったので、ドランはミアを促した。
それを受けて、ミアは持っているベレスの頭をカウンターの上に置いた。見た目よりも重量があるのか、思いの外大きな音がする。
受付の女性は、それを見ると目を見開いて驚いていた。
「ベレス退治の依頼なんか、なかったと思いますが」
女性は落ち着きを取り戻すと、努めて事務的に言う。登録した時の女性とは別人で、彼女と比べると冷たさというか、事務的に徹しているように感じれられた。
「ああ、俺らが受けた依頼はこっちなんだが」
エンティとフィルイアルは薬草が詰まった籠をカウンターの上に置く。
「薬草採取の依頼ですか。依頼書はありますか」
ドランは依頼書を受付の前にすっと差し出した。
「確かに当ギルドが出しているものですね。この量ですと、これだけの報酬になります」
事務員は数枚の金貨を取り出してカウンターに置いた。
「でさぁ、俺らが薬草採取してたら、ベレスが出てきたんだけど。新人が活動する場所に、こんなの出てくるっておかしいよな」
それを受け取った上で、ドランは少し威圧するように言う。
「薬草採取の依頼は……確か、この場所ですね。本当にベレスが現れたのなら看過できない事態ですが……」
そこで、事務員は疑うような目でドランを見る。
「あなた方は、ランクEですよね。しかも、今日登録したばかりのようです。そんな方々が、ベレスを倒せるなんてとても思えません」
「俺らがでたらめを言っている、と。ここにこうして証拠もあるんだが」
ドランは少しだけ身を乗り出すと、更に威圧するように言った。
その様子を見て、エンティは少しぞっとしていた。普段は陽気で裏表がないような態度だっただけに、違う一面を見せられたことに驚かされる。
「確かにこれはベレスの頭ですね。でも、それだけで倒したという証拠にはなりませんよね」
威圧されることに慣れているのか、受付は表情一つ変えなかった。冒険者ともなると気性が荒い人間も多いから、威圧される程度で萎縮してもいられないらしい。
「なら、この頭はどう説明する」
「たまたま死体を見つけて、これ幸いと頭だけ切り取ってきた、という可能性もありますよね」
「おいおい、こいつは切り取るだけでも一苦労する相手なんだが。そもそも、そんな面倒なことして俺達に何の得がある」
「依頼でなくともベレスを退治したとなれば、相応の報奨金が期待できる。そう考えてもおかしくはないですよね」
そこで、ミアがすっと前に出た。
「この傷は、ベレスにやられたもの」
ミアは自分の肩口を指差した。
「は? そんな傷が証拠になるとお思いですか。そもそも、ベレス相手に切り裂かれて、その程度で済むはずがないでしょう」
受付は馬鹿にするような口調だった。
「ちょっと、あなた」
それを聞いて、フィルイアルが受付に詰め寄った。
「ミアはね、本当に命がけで私を、私達を護ってくれたのよ。それを嘘扱いするなんて許せないわ」
フィルイアルは両手でカウンターを強く叩いた。
「落ち着けよ、フィル。あんたが怒るのはわかるが、感情に任せてもいいことねえぞ」
「……そうね」
ドランに諭されて、フィルイアルは押し殺すように唇を噛み締める。
「フィル、君の気持もわかるけど、ね」
フィルイアルの体が少し震えているのを見て、エンティは落ち着くように声をかけた。
それを受けて、フィルイアルはコクリと頷いた。
「これだけの証拠があってもなお、ギルドは俺達がベレスを倒したことを認めない、と。まあいいよ、それで。だけど、本来現れるはずのない場所にベレスが出たんだ。それの対処はしてもらいたいんだが」
「対処、ですか」
受付は面倒そうな表情になっていた。
「仮に俺らがベレスの死体から首を持ってきたとして、だ。ランクE冒険者の活動範囲にベレスの死体があること自体が問題なんだよ。今回はたまたま無事だったが、これで死人が出たってなったら、ギルドの信頼問題に関わるよな」
「そうですか。その場合、ギルドはあなた方に情報提供の謝礼をする必要がありますが。それはその情報が正しい場合に限ります」
受付はこちらが虚偽の証言をして、金を騙し取ろうとしていると疑っているようだった。
「あんたじゃ話になんねえな。他の人呼んでくれよ」
さすがにドランも苛立ちを隠し切れずに、受付に低い声で言う。
「申し訳ありませんが、今は私しかいないものですから」
だが受付はその要求を突っぱねた。
「ねえ、何を揉めているのかしら。私達、随分待たされているんだけど」
背後から苛立ったような女性の声がした。
振り返ると、エンティ達よりも少し年上の女性が立っていた。
「あっ、シャハラさん」
女性とは顔見知りなのか、受付は彼女の名前を呼んだ。
「何を揉めているのか知らないけど、かなり面倒なことになっているみたいね。私にも、説明してもらえないかしら」
シャハラがそう言うと、受付は事のあらましを説明し始めた。




