姫様からの依頼
「あ~、今日も授業終わったな」
一日の授業が終わって、ドランが大きく伸びをしていた。
「そうだね、ようやく学院にも慣れてきたって感じかな」
つられるように、エンティも手を組んで前に伸ばす。
「全く、お前が姫様に文句言った時はどうなるかと思ったけど、今は平穏でなによりだな」
「もう、その話は止めてくれないかな」
ドランの皮肉っぽい言葉を受けて、エンティはたまらず苦笑していた。
「今じゃ他の貴族様も絡んでこねえし、逆に不気味なくらいだぜ」
「確かにね」
エンティがフィルイアルに抗議した直後こそ他の貴族達に絡まれることもあったが、今ではすっかりそういったこともなくなっていた。
文句を言われたフィルイアル本人が咎めないのだから、外野があれこれ言うのは出過ぎた真似になりかねない。
「まあ、何にせよ平穏無事が一番だ」
「そうだね」
二人がそんな話をしていると、フィルイアルがこちらに歩いてきた。
「エンティ」
そして、高圧的ではなく友人に話しかけるような口調でエンティを呼んだ。
「……まじか」
それが予想外だったのか、ドランが驚いたようにフィルイアルの方を見る。
「どうしましたか、姫様」
エンティは慣れていることもあって、至って普通に応じた。一緒に働いている時のフィルイアルは、いつもこんな感じだからだ。
「お店、しばらく休みになるのよね」
フィルイアルはドランに聞こえないよう、エンティに顔を近付けて囁いた。
「姫様、近いですよ」
「あっ、ごめんなさい」
エンティに指摘されて、フィルイアルは慌てて顔を引っ込めた。そして、さりげなく周囲を見渡した。
幸いにも、こちらを見ているような生徒は見当たらなかった。当初こそフィルイアルの言動は注目されていたが、今ではそれほどでもなくなっているようだ。
「それで、どうしましたか」
「ええ、しばらく時間が空くじゃない。その間に冒険者登録をしてみようかと思って」
「冒険者登録、ですか。でも、学院がそんなことを許してくれるとは思えないんですが」
「そのことなら、大丈夫よ。学業に支障がない範囲なら活動しても問題ないそうよ」
「そうですか。で、どうして僕にその話を?」
エンティはそこで首を傾げた。
確かにフィルイアルの言う通り、店は改装するとかでしばらくの間休みになる。だから、その間に何かしらの行動をしたい、というのはわかる。
だが、それを自分に話してくる理由がわからなかった。
「あなたも私と一緒にやらない」
「僕も、ですか。確かに時間が空くからどうしようとは思っていましたが……」
意外な申し出に、エンティはどうしたものかと思案する。
「でも、どうしたらいいのかわからないのよね。だから、あなたに相談に来たわけだけど」
「いや、僕もそこまで詳しいことはわかりませんよ」
「前に冒険者の方に師事していた、って言ってたから詳しいんじゃないかって思ったんだけど」
「先生は僕に魔術は教えてくれましたが、冒険者のことについては」
そんなことまで話していたか、と思いつつエンティは首を振った。確かに冒険者であるクラースに師事していたが、それは基本的に魔術のことばかりだった。
「そう。困ったわね」
フィルイアルは困ったように眉をひそめる。
「随分と面白いことを話していますね」
二人がどうしたものかと思案していると、ドランが割って入ってきた。
「私が冒険者登録するのは、そんなに面白いことかしら」
フィルイアルは不快感こそ示さなかったものの、割ってきたドランを怪訝そうな目で見る。
「あ、いえ。別に非難しているわけじゃありませんよ。どうしてそんなことをするのか、っていう興味はありますけどね」
「ただの興味本位で声をかけてきたのなら、遠慮してくれないかしら」
興味本位で首を突っ込まれたのが癇に障ったのか、フィルイアルの目元がすっと細くなった。
「いやいや、それだけで声をかけるなんてしませんよ。ちょっとお手伝いはできるかな、と思ったので」
ドランは大袈裟な身振りで興味本位であることを否定した。
「詳しく聞かせてくれないかしら」
「俺は実家の仕事柄、そういったことにも詳しいんですよ。だから、ある程度ならお力になれるかと思いまして」
「……意外ね。あなた、私のことはあまり好いていないように思っていたのに」
ドランからそんな提案をされると思っていなかったのか、フィルイアルの表情は意外そうなものになっていた。
「さすがに良く見ていらっしゃる。俺が手を貸そうと思ったのは、エンティのためですよ」
普通なら王女に自分のことを好いていないと指摘されれば慌てて否定しそうなものだが、ドランは否定も肯定もしなかった。
「僕のため?」
意外なところから話を振られて、エンティは戸惑ってしまう。
「ああ。お前が冒険者登録するっていうなら、俺も手伝う。しないなら、この話はなしだ」
「エンティ」
それを聞いたフィルイアルは、すっとエンティに詰め寄った。
「わかりました。僕も時間が空いてどうしようかと思っていたところですし」
それは命令や強制の類ではなく、どちらかというと懇願に近いものだったので、エンティは小さく息を吐くと、仕方ないというように頷いた。
「それなら、決まりですね」
そんな二人を見てか、ドランはどこか笑いをこらえているようにも見えた。
「あなたも一緒に来てくれないかしら」
「は? 俺も、ですか」
「ええ。ここで色々と説明してもらっても、わからないことが多いと思うの。だから、実際に現場で説明してもらった方が効率的じゃないかしら」
「それは命令ですか」
そう言ったドランの目線は冷たく、声も普段よりも落としたものになっていた。
「いいえ、お願いかしら。だから、断ってくれても構わないし、それであなたに何かするつもりもないわ」
フィルイアルは一瞬だけ考えると、そう答えた。
それを聞いて、ドランが大声を上げて笑い出した。
「姫様、あなた思っていたよりも人を見ますね。命令なんて言われたら、俺は絶対に引き受けませんでしたよ。でも、お願いって言われたら断れないじゃないですか」
「い、いえ。私、そんなつもりじゃ……」
ドランの態度と言葉に、フィルイアルはどう接していいのかわからずおろおろしてしまう。
「計算じゃなかった、と。それなら、尚更断れませんね。それに、エンティにも強要ではなくお願いする、って感じでしたし。あそこで強要するような雰囲気があったら、やっぱり断ってましたよ」
「あなた、私をどういう目で見ていたの」
ここまで言われると黙っていられなかったのか、フィルイアルはドランに詰め寄った。
「いや、すみません。どうやら、俺は姫様のことを誤解していたようです。ここまで接しやすい方だとは知りませんでしたから」
だが、ドランは悪びれることもなくそう返した。
「……まあ、誤解されるようなことをしていた私にも責任はあるわね」
言い返す言葉がなかったのか、フィルイアルは押し殺すように言った。
「それにしても、姫様はエンティと随分仲が良いように見えますが、どういった心境の変化ですか」
「別に、心変わりとかそういうものはないわよ」
「蒸し返すわけじゃありませんが、エンティはかなり失礼なことをしたと思いますよ。そんな相手を許すどころか、友人のように接するなんて中々できるものじゃありません」
「エンティは、私に大切なことを気付かせてくれたわ。だから、感謝することはあっても罰するなんて考えられない」
フィルイアルはゆっくりと首を振った。
「姫様、冒険者じゃなくて施政者になったらどうです。平民の意見でも、自分にとって耳が痛いことでも、それが有益なら取り入れられる方が上に立つなら、この国も良くなると思いますよ」
ドランは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに真面目な顔になってそう言った。
「あなたも、同じことを言うのね」
「あなたも?」
「あっ、と、とにかく。今度の休日はよろしく頼むわよ」
ドランが疑念の目を向けると、フィルイアルは慌てたように教室から出ていった。
「俺、姫様に対する印象変わったわ。正直、あれなら配下についてもいいって思えるくらいだ」
そんなフィルイアルを見て、ドランは独り言のように呟いた。
「ドラン、悪いね。君まで巻き込んで」
「ん? 気にすんなよ。俺も半分は興味本位だったしな。でも、エンティは良かったのか」
「僕の魔術の先生が、冒険者だったからね。だから、全く興味がないわけじゃないよ。それに、学院を卒業してからのことは、色々と考えておきたいし」
エンティは穏やかな笑みを浮かべて答えた。
成り行きとはいえ、冒険者に関して知識を得る機会ができたことは悪くないと思っていた。
「なら、俺も頑張らねえとな」
「よろしく」
二人は握った拳を、互いに軽く突き合せた。




