厄介な客の対応
「おいあれはまずいだろ」
「いつもは店長がうまくあしらってくれてたけど……」
エンティが外の仕事を終えて店内に戻ると、数人の店員達が困ったように話し合っていた。
「どうしたんでんすか」
普段はそこまで問題が起こることもないだけに、エンティは珍しいと思いつつそう聞いた。
「あっ、エンティ。店長を見かけなかったか。ちょっと面倒なことになってな」
「店長ですか。僕は見かけていませんが、何か問題でも」
ハンナでなければ解決できないような問題となると、かなり厄介なことになっているとエンティは感じていた。
「それがね、あっちを見て」
店員に促された先を見ると、一人の客がフィルに絡んでいた。
「なぁ、いいじゃねえかよ」
「こ、困ります。私も仕事がありますから」
どうやら客はかなり酔っ払っているようで、フィルイアルも対処に困っていた。
「ほら、フィルちゃん可愛いから。ああやって絡んでくる客も結構いるのよ。店長が上手いこと対処してくれてたから良かったけど、あの客、店長がいないのを見計らって」
「ああ、そういうことですか」
エンティは内心でかなり焦りながらも、どうにか平然を装っていた。
フィルイアルが困っているのもそうだが、酔っ払った客が下手なことをしたら問題どころの騒ぎではなくなる。
「なあ、フィルちゃん。そんな硬いこと言わないでさあ」
酔った客は馴れ馴れしい態度でフィルの手を触った。
「だから、私も仕事がありますから困ります」
フィルイアルは男の手を無理に振り払えずに困った表情を浮かべる。
「あれ、やばいだろ」
客の態度が増長していくのを見て、店員の一人が怒ったような声を上げた。
「だけど、私達が行ってもあの客言うこと聞かないじゃない」
「確かにな……店長、どこ行ったんだよ」
何もできずに歯噛みする店員達を見て、エンティも同じ気持ちになっていた。
「困りましたね……あ、僕に任せてくれませんか」
とはいえ、今の自分にできることは何もない。そう思いかけたところで、エンティはあることを思いついた。
「いや、俺達が行っても言うこと聞かないのに、お前が行っても」
「まあ、ちょっと痛い目を見てもらいますから」
困惑する店員に、エンティはおどけるように言った。
「おい、いくら客が悪いって言っても、店員が何かしたら店の評判はがた落ちだぞ」
さすがに痛い目を見せる、という言葉は看過できなかったのか、店員の口調が厳しいものになった。
「言い方が悪かったですね。僕が直接手を出すとか、そういうことはしないですよ。大体、僕が手を出してどうにかなるとか思いますか」
「まあ、それはそうだろうが……」
「大丈夫です。悪いようにはなりませんから、僕に任せてくれませんか」
「おい、どうするよ」
「エンティ、本当に大丈夫なの」
自信ありげに言うエンティに、店員達は困惑していた。エンティは普段からあまり自分の主張をしていなかったから、余計にそう感じたに違いない。
「大丈夫ですよ。それに、フィルが困っているのに助けないのは友人としてどうかな、とも思いますから」
店員達が困惑するのを見て、エンティはできるだけ落ち着いた態度で言った。
「そこまで言うなら、任せてみるか」
「そうね。友達のためっていうなら、そんなに無茶なことはしないでしょうし」
その態度を見てか、店員達はエンティにこの場を任せることにした。
「じゃ、行ってきますね」
エンティはフィルイアルと絡んでいる客の所へと歩いて行く。
「なあ、俺はフィルちゃんが可愛いと思っているから、こうやって声をかけているんだよ」
「それはありがたいですが」
「お客様、その辺りにして頂けますか」
二人に割って入るように、エンティは声をかけた。
「ああん? 何だおめえは」
「随分と酔いが回っているようですので、飲み過ぎないようにと思いまして」
睨んでくる客に、エンティは努めて穏やかにそう返した。
「エンティ?」
急に表れたエンティを見て、フィルイアルは驚いたように小さく声を上げた。
「俺はフィルちゃんと話をしてるんだよ。おめえなんかに用はねえ。それに、俺は客だぞ。客に酒を飲ませないってのはどういうことだ」
「普通に考えれば、たくさんお酒を飲んでくれるお客様は良いお客様です。お店も儲かりますし言うことはありません」
「なら、余計な口出しをするんじゃねえよ」
「ですが、飲み過ぎでお客様が体を壊したら元も子もありません。お店としては、一度だけお金をたくさん使うお客様よりも、少しでも毎日来てくれるお客様の方がありがたいですから」
「どういう金の使い方をしようが、俺の勝手だろうが!」
自分よりもずっと年下のエンティに諭すようなことを言われたのが気に立ったのか、客は声を荒げていた。
「大体、おめえは生意気なんだよ。ガキのくせに偉そうなことを……」
客は苛立ったように立ち上がると、エンティに詰め寄った。
「お客様、おやめください」
今にもエンティに殴りかかりそうな勢いの客を見て、フィルイアルは制止の声を上げる。
「あ? な、なんだ?」
だが、そこで客は力が抜けたようにへたり込んだ。
「な、何だよ。力が入らねえ」
客はどうにか立ち上がろうともがくも、それすらできずにいる。
「言ったでしょう、お客様。少々飲み過ぎではないか、と。今日はもうお帰りになった方がいいのではありませんか」
もがいている客に対して、エンティは丁寧に声をかける。
「……ん、あ、ああ」
客は観念したかのように頷いた。
「立てますか? ほら、フィルも手伝って」
エンティは客の右腕を取ると、フィルイアルに反対側を支えるように促した。
「わ、わかったわ」
突然へたり込んだ客に戸惑いつつも、フィルイアルは客の左腕を支える。
「じゃ、合わせて」
二人でどうにか客を立ち上がらせると、そのまま店の入口まで運んでいく。客は思っていたよりも体躯がしっかりとしていて、二人がかりでもかなり時間がかかっていた。
「わりいな、迷惑かけた」
入口に着いたあたりで、客がぼそりと呟いた。
「いえ、お客様。お気をつけてお帰り下さい」
「ああ」
店内でへたり込むという醜態を晒したという負い目があったのか、客は大人しく帰っていった。
「あの人も基本的に、悪い人じゃないと思うんだけどね。フィルが美人過ぎるがいけないのかな」
エンティはやれやれ、というようにフィルイアルの方を見た。
「なっ……」
美人と言われたことに驚いたのか、フィルイアルは言葉を詰まらせていた。
「フィル?」
フィルイアルの反応がなかったので、エンティはもう一度声をかける。
「もう、突然美人なんて言わないでよ。びっくりしちゃうじゃない」
そこで、フィルイアルははっとしたように声を上げた。
「意外だね。そんなこと、言われ慣れていると思っていたけど」
「……あなたが、そんなことを言うとは思わなかったから」
エンティが意外そうに言うと、フィルイアルは俯いて呟くように言った。
「あ、別に、深い意味はないんだけどね」
そんなフィルイアルを見て、エンティもどこか気恥しくなっていた。
「ありがとう。助けてくれて」
フィルイアルはふっと笑みを浮かべると、エンティに礼を言った。
「フィルもよく我慢できたね。あんな失礼な態度をされたこと、初めてだったと思うのに」
「確かに失礼だったけど、王宮にはもっと酷い人もいるから」
「そう、か。余計な心配だったね」
あの客の態度は相当なものだったと思うが、王宮にはそれを上回るような人間がいる。フィルイアルの苦労を思うと、エンティはかける言葉が見つからなかった。
「でも、一体何をしたの? 確かに酔ってはいたけど、へたり込むほど飲んでいたようには見えなかったわ」
「特に何も……って言っても、信じてはくれなさそうだね」
説明するのが少し面倒だったこともあって、エンティは適当にごまかすつもりだった。だが、フィルイアルの顔を見てそれが無理だとわかって諦める。
「当然よ、あのタイミングで酔いが回るなんて、都合が良すぎるもの」
「強化魔術」
「強化魔術? どういうことなの」
エンティの言葉が予想外だったこともあって、フィルイアルは理解できないという表情になっていた。
「強化魔術は効果が切れると体に負荷がかかる。これは授業で習ったよね」
「ええ」
「だから、効果時間をできるだけ短くして使ってみたんだ。気付かれないように術をかけたら、後は適当な話をして時間を稼いだってわけ」
「とんでもないことを考えるわね、あなた。でも、術が切れる前に相手が暴れたら厄介なことになったわよ」
フィルイアルは感心と呆れが入り混じったように言った。
「それも大丈夫だよ。身体能力じゃなくて、魔力増強の方をかけたから。魔術が使えない人の魔力が増強されても何も変わらないよ」
エンティは人差し指を立てると、問題ないというように左右に振った。
「そこまで考えていたわけね」
フィルイアルは感服したように息を吐いた。
「さて、そろそろ戻ろうか。二人も手を空けると、店が大変なことになるからね」
「エンティ」
店内に戻ろうとしたエンティを、フィルイアルは呼び止めた。
「何」
「今日は、ありがとう」
フィルイアルはそれだけ言うと、駆け込むようにして店内に入っていった。
「なんか、フィルの印象がどんどん変わっていくような……まあ、いいか」
エンティはフィルイアルを追うように店内に戻った。




