強化魔術
「さて、諸君も一通り魔術を扱えるようになったな」
初めて魔術の実践授業が行われてから、座学と実践が半々くらいの割合で行われるようになっていた。
「今日は属性魔術以外について講義しようと思う」
ルベルがそう告げると、生徒達が少し騒めいた。
エンティも思わず隣のドランの方を向いてしまう。ドランも同じようにエンティの方を向いていた。
「私の説明が悪かったようだな」
騒めく生徒達を見て、ルベルは反省するような口調で言う。
「今まで君達に教えてきたのは属性魔術。何度も説明してきたように、火水雷風の四つから成り立つ術だな。その特性上、主に相手に対して攻撃をする用途で使われる」
そして、かつて教えてきたことを反復した。
「そして、これから教えるのは強化魔術だ。主に筋力や俊敏性などといった身体に直接作用する術だな。魔力を増強することもできる」
ルベルは一通り説明すると、軽く全体を見渡した。
「さて、どうして最初に強化魔術の説明をしなかったか、についてだが。一つは属性魔術に比べて扱いが難しいこと。もう一つは、強化魔術はかけられた人間に対して少なからず負荷をかけてしまうから、使いどころも限られる」
ルベルは自分に何かしらの強化魔術をかけた。
「今、私には俊敏性を強化する魔術がかかっている。だから……」
ほぼ一瞬で、中央の教壇から教室の端へと移動していた。
「おい、今の見えたかよ」
「いや、何か動いたかと思ったら、もう教室の端にいたようにしか」
ドランとエンティは驚いて互いに顔を見合わせる。
他の生徒達も同様だったようで、口々に何かを言い合っていた。
「と、こんな感じで身体能力を強化することができる」
ルベルはゆっくりと教壇まで戻ると、そこで大きく息を吐いた。
「今は比較的軽めな術を使ったから、体にかかる負荷も大きくはないが。それでも、立っているのも厳しいくらいには負荷がかかっている」
普段はあまり表情を変えることがないルベルだが、その顔には疲労の色が浮かんでいた。
「こういうこともあって、魔術師の間ではあまり使われる術ではないな。だが、知識として知っておいて損をすることはない。非常時には役に立つこともあるだろう」
疲労が限界に来たのか、ルベルは近くにあった椅子に腰を下ろした。
「使い方だが、属性魔術とは違い、魔力そのものを対象に向かって放つ。その際に、強化する方向をイメージすることで、強化する方向性を決めることになる。まあ、属性の代わりに何を強化するかをイメージする、といった具合だな。最初に属性魔術を学んでもらったのも、強化魔術よりも簡単に覚えられるからだな」
ルベルの話を聞いて、エンティは考え込んだ。
僕は属性を持っていない。だから、属性魔術を使う上では他の魔術師に劣ってしまう。強化魔術を上手く使いこなせば、その差を埋められるんじゃ……
今までの実践でそこまで大きな差でなかったとはいえ、他の生徒達よりも自分の魔術が劣っているのは感じていた。今はまだ大きな差ではなくても、熟練するにつれて差が開いていくだろうと薄々感じていた。
「おい、どうしたんだ」
考え込むエンティを見て、ドランが声をかけてくる。
「いや、強化魔術を上手く使えないかな、って思ってね」
「おい、先生の話聞いてなかったのか。強化魔術は体に負担がかかるんだぞ。今の先生の様子からしても、まともに活用できるとは思えないな」
「確かにね。でも、僕は属性がないから、他の魔術師に劣ってしまうと思うんだ」
「そうか? 実践でもそこまで差があるようには見えなかったぜ」
エンティの言葉を聞いて、ドランは首を傾げていた。ドランからすればそこまで差があるようには見えなかったようだ。
「今は、ね。魔術師は自分の属性なら十全に使いこなせる。でも、僕にはそれができないから、他のみんなが熟練してくれば差が出てきてしまうよ」
「そういうもんか」
「確かに、ドランの言うように実用的じゃないかもしれないね。でも、何かしらの活路があるならそれを見出したいと思っている」
いまいち事情がわかっていないドランに、エンティはそう言った。ドランは魔術を学び始めて日が浅いから、エンティと他の生徒との差がよくわからないのも無理はない
恐らく、それに気付いているのはエンティ本人以外にはルベルくらいだろう。
「そうか。俺にはよくわからないけど、お前がそうしたいのならそうすればいい。それを俺がどうこう言う権利はないからな」
「まあ、無理しない程度にやるよ」
「すまないが、今日の授業はここまでにする。さすがに強化魔術の負荷が大きくてな。これ以上、まともに授業ができそうにない」
二人がそんな話をしていると、ルベルはゆっくりと椅子から立ち上がった。
「強化魔術の実践は、後日行おう予定だ。それまで、勝手に強化魔術を使ったりすることはしないように」
ルベルの足取りは、普段の毅然としたものとは大きく違っていた。
それを見て、エンティは強化魔術は簡単に使えるものではないな、と痛感していた。それでも、どうにかならないかという考えが頭から離れなかった。
「エンティ、どうしたんだい。今日は何だか上の空って感じだよ」
「あ、すみません」
仕事の時でも、強化魔術をどうにか使えないかと無意識のうちに考えていた。
ハンナに指摘されて、小さく頭を振ると仕事に集中する。
「くっ、これは硬いな」
料理人が何かしらの食材と格闘していた。
「どうしたんですか」
「エンティか、こいつがどうにも硬くてな」
何気なく尋ねると、料理人は様々な方向から食材に包丁を入れて切ろうとしている。
「そんなに硬いんですか」
「元々硬いんだがな。今回のはやけに手強くてな」
料理人は諦めたのか、包丁をまな板の上に投げ出すように置いた。
「でも、それが切れないと料理ができませんよね」
「そうなんだよ。今日の日替わりのメインだから、ちょっと困るな。今から日替わりを変えるわけにもいかないし」
困っている料理人を見て、エンティは自分が何かできないかと思案した。
これって、要は包丁の切れ味が良くなればいいわけだよね。でも、そう簡単に切れ味が良くなることなんて……
そこで、エンティはあることに気付いた。
「あの、ちょっと包丁貸してもらっていいですか」
「あ、ああ」
エンティに言われて、料理人は疑問を抱きながらもエンティに包丁を渡した。
「ルベル先生は強化魔術を使うな、って言っていたけど……人でなくて物なら問題ないかな」
エンティは魔力を集中させると、それを包丁に向けて放出した。
基本的な使い方は授業で習っていたこともあって、さして問題なく使うことができた。
「これで、切ってみてください」
「あ、ああ」
エンティから包丁を受け取ると、料理人は首を傾げながらも食材に包丁を当てた。
「うわ! 何だこれ」
そして、食材が真っ二つになったのを見て驚きの声を上げる。
「エンティ、何をしたんだ」
「いえ、学校で強化魔術を習いましたので、それを包丁にかけてみたんです。まさか、ここまでの効果があるとは思いませんでしたが」
エンティもまるでバターのように切れた食材を見て、ここまで効果があるものかと驚いていた。
「これも魔術なのか……」
「驚いていないで、仕事してください」
放心気味だった料理人にエンティがそう言うと、料理人ははっとしたように料理に取り掛かった。
「ちょっとした思いつきで試してみたけど、人じゃなくて物に使えば……魔術の威力を向上させるなら、魔術そのものに。でも、どうやって?」
そこまで考えて、エンティは思考を止めた。これ以上のことを考えるのならもっとじっくりと思案するべきだし、今はそんなことをしている場合でもない。
だが、一筋の光明が見えたような気がしていた。




