魔術の資質
狼の群れに囲まれて、エンティはなす術がなく立ち尽くしていた。
孤児院の職員に頼まれて外に食べられる野草を取りに行ったのだが、気付かないうちに森の奥まで入り込んでいたようだった。
「迂闊だったかな。でも、生きていてもいいことはなかったし、ここで殺されてもあまり変わらないか」
人間どうしようもなくなると、笑いが出てしまうものだろうか。エンティは乾いた笑い声を上げていた。
思い返せば、今までいいことなど全くなかった。両親の顔など覚えていないし、物心がついた頃から孤児院にいたが、当然まともな生活など送れなかった。
狼の一匹がエンティに飛び掛かってきた。
エンティは咄嗟に顔を庇うように両手を交差させた。
腕を嚙みつかれることを覚悟していたが、何故か狼が小さな悲鳴を上げて吹き飛んでいた。
「な、何だ?」
エンティは恐る恐る目を空ける。
襲い掛かってきたはずの狼が、ぐったりと横たわっていた。
何が起こったのか全くわからないが、どうやら命拾いしたらしい。といっても、それは一時的なことに過ぎない。
仲間が吹き飛ばされたのを見てか、狼達は警戒するように囲いの輪を縮めてくる。
「アイシクル・ランス!」
エンティが覚悟を決めた時、どこからともなく氷の槍が降り注いだ。それは狼の群れを的確に貫いていく。
「よくわからないけど……助かった、のかな」
助かった、と思った瞬間エンティは力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「危ないところだったな、大丈夫か」
落ち着いた声で安否を問われたが、エンティには答える余裕がなかった。
「怖い目に遭ったのだから、無理もないか。立てるか」
声の主はエンティの前まで歩いてくると、そう聞いた。
「あ、いえ。力が抜けて……」
エンティは立ち上がろうとしたが、体の力が抜けてしまいそれができなかった。
「見たところ、外傷はなさそうだな。どうして、こんな所にいた」
「孤児院の人に頼まれて、野草を取りに来たんです。でも、夢中になっていたらこんな所に来てしまったようで」
「そうか、運よく助かった命だ。今度からは気を付けることだな」
男はすっと手を差し出した。
エンティがその手を掴むと、男は強くエンティを引っ張り上げた。
「ありがとう、ございます」
エンティが礼を言ったが、男は妙な顔をしていた。
「俺の使った魔術以外にも、微量だが魔術の形跡があるな……ちょっといいか」
どういうわけか、男はエンティの手を握ったまま離そうとしなかった。
「どうやら、君には魔術の資質があるようだな。さっき狼に囲まれていた時に、何かしなかったか」
「そういえば、何故か狼が吹き飛んだような……」
男の質問に、エンティは狼が吹き飛んだことを思い出してそれを伝えた。
「吹き飛んだ、か。考えられるのは、無意識のうちに魔力そのものを放出した、ということか。だが、全くの素人が狼を吹き飛ばすほどの魔力を放出できるとは思えないが」
男はエンティの手を離すと、何かを考え込んでいた。
「君はどこの出身かな」
「えっと、ルノヘ孤児院です」
「そうか、そこまで案内してもらえないかな」
「あなたが、僕の孤児院に来るんですか」
エンティは男の意図が掴めずに困惑していた。
「さっきも言ったが、君には魔術の資質がある。それを眠らせたままにしておくのは勿体ないからな」
「僕に魔術の資質が?」
信じられない、というようにエンティは呟く。
「まあ、孤児院では魔術の資質の有無などわからないだろうからな。今まで気付かなかったのも無理はないか。それはともかく、案内を頼めるか」
そんなエンティに、男は促すように言った。
「は、はい」
「そういえば、まだ名乗っていなかったな。俺はクラース、しがない魔術師だ。君は?」
「エンティです」
互いに自己紹介を終えたところで、二人は孤児院へと歩き出した。
「クラースさんは、どうして僕の孤児院へ」
「君のことについて、少し話をしておこうと思ってな」
「僕のことを、ですか」
「魔術の資質がある君を、このままにしておくのは勿体ない。それに、君は孤児のようだから、身を立てる術があった方がいいと思うが」
「それは、僕に魔術師を目指せ、と」
「あくまで、君次第だがな」
クラースに言われて、エンティは考え込んでいた。
このままの生活を続けるよりはずっとましに思えたが、そもそも魔術師は何をする職業なのかもわからない。
「魔術を使えるようになれば、仕官するもよし、冒険者になるもよし。金を稼ぐには困らなくはなるな。俺は冒険者だが、日々の食い扶持に困らない程度には稼げている」
そんなエンティにクラースが助言する。
「そうですか」
エンティは俯き加減で答えた。
孤児院で肩身の狭い思いをしながら生きるよりはずっとましに思えたが、冒険者は冒険者で命の危険と隣り合わせだし、誰でもなれるものでもない。どこかに仕官するにしても、並大抵のことではないだろう。
「まあ、今から将来のことを考えてるのは難しいか。だが、魔術を覚えておけば将来の幅が広がることは間違いないな」
そうこうしているうちに、孤児院へとたどり着いた。
「ただいま」
「遅かったわね。その人は?」
戻ってきたエンティの隣のクラースに気付いてか、職員が疑問の声を上げた。
「この孤児院の責任者と話をしたい。通してもらるか」
「失礼ですが、あなたは」
「こういう者だが」
クラースは何やら小さなカードのような物を差し出した。
「冒険者の方ですか。一応、院長に話はしてきますが」
職員はあからさまに怪訝な表情になっていた。冒険者といえば聞こえがいいが、その日暮らしの荒くれという印象も強い。そんな人間が突然訪ねてきて、しかも院長を出せというのだから当然の反応といえた。
「私が院長ですが、どういったご用件でしょうか」
「単刀直入に言おう。この子には魔術の資質がある。然るべき場所に通わせて、魔術を学ばせてほしい」
院長が姿を現すと、クラースは本題を切り出した。
「え、どういうことですか」
「魔術を学ばせろ、と言っている」
「はぁ、この子に魔術の資質があるのはわかりましたが、我々にそのような余裕はありませんよ。この子だけ、特別扱いするわけにはいきませんし」
院長は明らかに困惑していた。突如として現れた男が好き勝手なことを言っているのだから、無理もない話だが。
「この子は無意識のうちに魔力を放出した。しかも、それは狼一匹を吹き飛ばすほどのものだ。それを制御する術を学ばなければ、また魔力が暴発してもおかしくない。下手をしたら、誰かに被害が出るかもしれないな」
若干脅すような口調で、クラースは院長に詰め寄った。
「被害、って。脅しているんですか」
「純然たる事実だ。俺は周りの人間のことも考えて、然るべき場所に通わせろと言っている」
「ですが、ここは孤児院です。魔術を学ばせるお金なんて……」
「なら仕方ないな。通わせるための金はこいつ自身に稼がせろ。それなら文句はないだろう」
煮え切らない院長に、クラースは妥協案を提案する。
「でも、この子にも孤児院のために仕事をしてもらわないと」
「何も知らなければ、それで良かったかもしれないが。今、あんたはこの子が魔術の資質を持っていることを知った。それを放置して怪我人が出たとなれば、相応の責任問題になりかねんが」
院長が中々首を縦に振らないので、クラースは完全に脅していた。
「わ、わかりました」
そこまでされては、さすがに院長も折れるしかなかった。
自分のあずかり知らぬところで話が進んでいき、エンティは呆然としていた。
「エンティ、簡単な魔術は俺が教えてやる。魔力を暴走させないようにする方法もな。後は自分で道を切り開け」
クラースはエンティの頭に手を置いた。その手は思いの外大きくなく、成人男性のものとは思えなかった。
「どうして、僕のためにそこまでしてくれるんです」
今日出会ったばかりのクラースがここまでしてくれたことに、エンティは感謝しつつも疑問も抱いていた。
「君の魔力が暴発して問題が起こるのは、俺としても望ましいことではないからな。それに、乗りかかった船だ。途中で放置するのも後味が悪い」
「あ、ありがとうございます。このお礼は、絶対にしますから」
自分に新しい道を示してくれたクラースに、エンティは大きく頭を下げる。
「礼? それなら、立派な魔術師になることで返してくれればいい。それ以上は望まんよ」
クラースは照れているのか、ぶっきらぼうに言うと横を向いた。
「はい、努力します」
クラースの恩に報いるためにも、魔術師として大成とまではいかないにしろ、一人前にはなろう。そう決意していた。