8,騎士様との談話
初めて会った時も炎の前だった。ほりの深い横顔がオレンジの光に照らされている。暖炉からぬくもりを受けているためか、この前一緒にいたひと時とはどことなく空気が違う。
数週間前のことなのに、互いに別人のようね。状況が変わりすぎたせいかもしれないわ。
視線に気づいたダレン様が、手にしていたグラスを軽く傾ける。
「ナンナも飲むか?」
私は頭を振った。久しぶりに名を呼ばれると、どことなく気恥ずかしい。
「明日も早いので、申し訳ありません」
「そうか」と引く。グラスに唇をつけたかと思うと、飲まずに離した。
「なら、なにか欲しいものはないか?」
「欲しい物ですか……、あるには、ありますが……」
「なんだ」
「一日だけでいいので、お休みが欲しいです」
「休みかあ」
「はい、忙しさも連日のことなので……」
さすがに疲れてきている。ほうっと息を吐いた。
「ミザリーには言いにくいか?」
「……ちょっと」
「そうか。分かった。欲しいものは休みだな。覚えておく」
すっと目を閉じ、グラスを傾け始めたダレン様の静かな横顔を見つめ、役目を終えた私は「おやすみなさいませ」と挨拶し、自室へ戻り、一人眠りについた。
翌朝、ミザリーが迎えにきたという侍女のしらせを受け、玄関先に行くと、ダレン様とミザリーが話し込んでいた。
「おはようございます」
声をかけると、二人ともふりむき、「おはよう」「おはようございます」と挨拶を返してくれた。
何を話していたのだろうときょとんとしていると、ダレン様が苦笑し、「いってらっしゃい」と肩を叩き、背後の廊下へと消えて行った。
「さあ、行きましょう」
なにもなかったかのようなミザリーに促され共に馬車に乗り込んだ。
いつもと同じ日常を終え、帰宅すると殊勝な表情をたたえたダレン様がむかえてくれた。「おかえり」と告げるなり、ミザリーに向き合う。
「ミザリー、昨日はすまなかった。私も疲れていた」
突然、謝罪したダレン様に私の目が点になる。ミザリーも、肩眉を歪め、不審そうな表情を見せる。ダレン様は気にせずに話し続けた。
「食事の件だ。聖女殿も色々身につけねばならぬことも多い。疲れていたとはいえ、配慮に欠けていた」
丁寧な謝罪に、ミザリーは咳ばらいをする。
「いえ、こちらこそ。魔獣討伐という激務をこなされていることを失念した態度をとってしまい、申し訳ございませんでした」
「そこでだ、ミザリー。食事の作法は今後、私が面倒見よう。今朝方、聖女殿が疲れており、休日を所望している旨は伝えた。聖女殿と付き添っているあなたも相応に疲れていよう。
私も、二週間ほどしかいないので、力になれる期間も少ない。この機会に、あなたも少し休まれた方が良いだろう。彼女を支えているあなたが倒れても、みな困る。なにより聖女殿がお困りになる」
「しかし……」
ミザリーは困惑する。
「ほんの二週間しか滞在できないので、協力できる期間がわずかしかないのは申し訳ない。突然の申し出だ。今日のところは、三人で夕食を取り、明日から私が気をつける点を教えてもらえないだろうか」
ミザリーは返答にぐっとつまる。
「……わかりました。明日より二週間ほど、よろしくお願いいたします……」
ミザリーは頭が痛いという仕草をした。ダレン様は今まで見たこともない愛想のよい笑みを浮かべている。私は二人のやりとりをぼんやりと眺めるしかなかった。
夕食は、ミザリーとダレン様の会話が中心にまわる。私への指導ポイントをかいつまんで伝えていた。
最後に、「ダレン様」とミザリーが厳しい声を発した。
「聖女様は、今後とても大切な役目を背負われていく方です。ゆめゆめその点はお忘れなきようお願いいたします」
「承知している」
ダレン様は涼しい表情で受け流す。私は、これ以上まだ役目が降りてくるのねとこころもちうんざり。教育のたまもので顔には出さなかったけど……。
ミザリーが帰り、ダレン様と二人きりとなる。
あらためて、彼と二人きりというのはどうなのだろう。昨日は包帯しか見えていなかったけど、改めて考えると、二人でどう過ごせばいいのでしょう。傷を癒すと約束したので、癒して差し上げたら、休ませてもらえばいいのかしら。
「ダレン様……」
「ナンナ!」
「はい」
最近、聖女様聖女様と呼ばれているので、名前を呼ばれると驚いてしまう。そういえば、今私を名前で呼ぶのはダレン様しかいないのよね。
「昨日のように、寝る用意を終えておいで、私は先に暖炉でくつろいでいるよ」
「えっ、あっ……はい」
柔らかい笑顔を向けられ、私は答えに窮してしまった。
控えていた侍女に、「さあ、こちらへ」と導かれる。今、癒して、すぐ休むつもりでいたのに、彼の笑顔に流されてしまった。久しぶりのお休みだから、緊張を解かれて、くつろいでいらっしゃるのね。今まで、あのような笑顔もできないほど大変だったのでしょう。
寝衣を纏い、今日はガウンを上に羽織った。侍女と共に暖炉までいくと、今日は事前に私の席も用意されてあった。
「お待たせしました」
お声がけすると、視線がこちらを向き、目が笑んだ。
「どうぞ」
うながされるまま、座る。腰を掛けると、ダレン様は肘掛けに肘をのせ、手の甲に顎を置き、身をすっと私の方へ傾けた。
包帯が巻かれた額が近い。自然と手が伸びる。包帯の上から患部に触れると、じくりと指先が痛む。普通の病気やケガと違うと触れた瞬間に分かる。
「無理はするな。休めばおちつく。癒すばかりで、瘴気にやられ、命を落とした聖女もいる」
ミザリーが言っていた聖女のなり手がいなくなってしまった原因ね。
「昔は、現場では全身瘴気にやられた騎士がごろごろしていたんだ」
「当時は聖女が、その方々を治癒してまわっていたのですか」
「そうだな。癒しとはいえ、触れすぎていれば、相応の瘴気を身にうけることになる。そういう蓄積がたたり、負けてしまうんだ」
「こんなじくじくとした感触を全身に感じているなんて、なんて苦しいことでしょう」
「回復」と呟けば、ダレン様は、眉間を寄せた苦悶の表情を一瞬浮かべた。次いで、弛緩し、深く息を吐いた。
「魔獣と瘴気は災害だ。俺はまだ最悪を見ていない。騎士になったのが十年前だからな。その前はもっとひどかった。聖女が亡くなったのも、そんな最悪の時期だ」
「そんな大変なことが二十年も続いていたなんて、私は知りませんでした」
「気にするな。村に住む人間が知らないことだ。国を犯す脅威を払えば、人々の日常の営みへの影響はない。人の営みが守られるからこそ、回り巡って俺達を害悪に対し派遣できているんだ」
「守られていることも気づかないうちに、守られているのですね」
胸が痛む。こんな傷を負い、知らぬ間に落としている命があるなんて……。
「悲しむな」
彼の額に添えた手を引き、私は膝の上に両手を寄せた。ダレン様はゆったりとした表情で私に語り掛ける。
「現場にお前は行くことはもうない。俺たちの騎士団長は、頭二つ三つ抜き出るほど強い」
「……出会った時に、恐れられていた方ですね」
くっとダレン様は笑う。
「そうだ。俺はあの方が怖い。魔獣を薙ぎ払う力には私情が籠っている」
「私情ですか?」
「あの方は、家族を魔獣によって奪われているらしい」