5,稀代の聖女
教会に集う人々がひしめき合う。出入り口には会場に入りきらなかった人々が、中を覗いている。警備の人が、「押さないでください」と声を張り上げるのはいつものことだ。
祭壇が置かれた舞台脇で出番を待つ役者の心境を味わう私の心臓は耳の奥で鳴り響く。いつまでも慣れない緊張感に生唾を飲み込んだ。
「大丈夫、あなたならできるわ」
そうささやくのは秘書ミザリー・バーキン。魔法省が遣わした敏腕才女。身なりも男性かと思うようなスマートないで立ちで、さっと後ろに流した長髪を首の後ろで一本に縛っている。
「さあ、行って、あなたは人々が待ち望んだ稀代の聖女よ」
彼女はそう言って、私の背を押した。
壇上に、白いローブを纏う聖女が現れた瞬間、集う人々が息をのんだ。
「聖女様だ」「聖女様よ」「ああ、お久しいお姿」「神々しい方だわ」など、ささやき声が届く。
ここで、恥ずかしがってはいけないと私は念を押されている。口元をキュッと結び、姿勢はけっして崩さない。
私はゆっくりと歩みを進める。会場中の視線がひりひりと身に痛い。嘆息とも、嗚咽とも取れない声がそこここからわきあがり、その勢いは会場の熱気へとうつり変わっていく。
高い天井に視線を移す。顔をあげた様につられ、私の見る景色にすがり寄るかように、大衆の視線も共に動く。
壇上の中央にいる司祭様が私を招く。動き出した私を凝視する大衆の視線が痛い。導かれるままにその横に立つ。私が歩むだけで、空間が一気に静まった。
会場に向き直ると、ポカンと口を開けた感嘆の表情を浮かべる無数の顔が並ぶ。向けられる視線を一身に受ける。どの目も見開かれ、瞬きひとつしないかに見えた。
「みなさま」
私が声を発すれば、ため息が会場に泡のように発生する。
「今日は、お集まりいただきありがとうございます」
一礼し、一歩下がる。用意されていた椅子が背後にそっと置かれた。
私はボロをださないことだけを気をつけて、背筋を伸ばし浅く椅子に腰をかけた。
舞台のそでで秘書が、ぐっと拳を握った。今日の私はうまくできたみたい。ほっとするわ。
私は凛と顎をあげて、会場全体に包み込むように見つめる。直接私の顔を見せないため、花嫁のような白いベールをかぶる。視界はすこしぼやけているものの、私が見回す分にはあまり困らない。
床に額をこすり合わせる者、手を眼前で合わせる者などさまざまだ。小さな子どもは、私を凝視し、まばたきもしない。
司祭様が挨拶をし、今日の日のために選ばれた癒しを与える人々が祭壇の下へと並ぶ。最大十人と伝えてある教会では、毎回十人きっちりと並ぶ。
病がちな子ども。大けがをして足が動かなくなった男。火傷を負った女。
生きていることと腕や足がもげていないことを条件に、病気や怪我、その後遺症で苦しむ人々が集められる。さすがに失われたものを蘇らせることは不可能だ。
教会で教えられた癒しの魔法を施せば、ほぼすべての者が良くなる。
順々にまわり、彼らの患部に手を添えて「回復」と簡単な詠唱を呟けば、さあっと光に包まれて、彼らの傷や病は癒される。重傷者も完全には回復はしなくとも、体が楽になったり、動かなかった部位が少し動くようになるので、それだけで喜ばれた。
私は、十人分の回復を行い、壇上へと戻る。
椅子に座ると、後の進行は司祭に任せる。司祭様は三人ほど持ち回りで、癒しを与える会場をまわられている。片や私は毎日どこへそこへと連れ回され、へとへとだ。
稀代の聖女などともてはやされているが、所詮中身は付け焼刃の聖女。張りぼても甚だしい。
時間があれば、魔法の訓練、礼儀作法の勉強、とにかく、教養教養教養とばかりに、朝から晩まで勉強尽くし。しんどい。本当に、しんどい。
本当は、壇上でもこっくりこっくり来てしまいそうになる。そんな緩んだ私の顔を見せないためにも、ベールをつけさせられているのだ。
こんなひどい生活、村にいる方がずっとマシだったわ。
太陽の元で洗濯、料理作りに掃除、畑仕事。楽ではないけど、自分のペースで無理なくできた。今の生活に比べたら、井戸と水瓶を百往復する方がましかもしれない。休む暇というものがない。
いや、もう、休むためのひと時でさえ、管理されているようなのよ。
司祭が私の方を向き、手を叩いた。観衆に彼らが何を話しているのか、耳の片隅にも残らないけど、この仕草を見たら、私が立ち上がる。
さらなる大喝采を受けならが、舞台を降りる。
舞台袖に隠れると、ミザリーが水差しとコップを持ってきた。こういう気づかいも彼女は一流。未だなれず緊張し喉が渇ききっている私のことをよく分かっている。
隅に置かれた椅子に座り、ベールを剥ぐ。コップを受け取り、注がれた水を喉へ流し込んだ。
「お休みは、馬車でお願いします。聖女様」
きりっとした笑顔で笑いかけるミザリーに抵抗はできない。
「……はい……」
飲み終えたコップを渡すと、奥へ片づけに行く。戻ってくるまでに、私はベールをかぶりなおした。民衆の目につく外出時は、かぶることが癖になった。
顔を隠していても、向けられる大衆目線が私は怖い。私はただの村娘だ。ちょっと人手が足りなくて、駆り出されている即席の張りぼて聖女だ。
顔がばれて外へ出て、あの大衆に囲まれる。想像するだけで、身震いする。
「行きますよ。おやすみは馬車内でお願いします」
「……はい……」
乗り込んだ馬車の中では、スケジュールの確認をする。私がすぐに忘れてしまうので、ミザリーも逐次、申し伝えてくるようになった。
「これから、協会に戻ります。戻りましたら、基礎魔法と礼儀作法を学んでいただきます。明日も午前は勉強、昼過ぎは街の教会へ奉仕活動、戻りましたら座学になります。数日はそのような日常を過ごし、後に身分の高い貴族屋敷には聖女としてうかがっていただきます。フォローはさせていただきますが、それまでに最低限の所作は身につけていただきます」
「……ええ……」
私は額に手を寄せて、軽い返事を返すのが精一杯だった。
ダレン様に連れられ、王都にきて、私は何をしているのだろう。一週間の座学を終えたら、日々実践と勉強の繰り返し。都中の教会をまわり、回復魔法を市民に施し、また協会に戻り勉学に励む。その繰り返しだ。安息日なんて、一日中教会をまわり歩く。
聖女なんて、みんなが表で見ているきれいな存在じゃない。白鳥の湖面下で水を搔いている足のように醜いわ。
深く息を吐くと、肩にあたたかいものが触れる。ミザリーが毛布を掛けてくれた。
「到着するまで時間はあります。お休みください」
私は寄せられた毛布を引き寄せて、体を小さく丸め、目を閉じた。