17,祭典の始まり
私は王宮の一室に居を移した。
王宮では終始聖女のローブを身につけ、村娘であった過去を感じさせないように塗り替えられていく。日常の世話をする侍女も数人、常に侍る。ダレン様と暮らした日々とも遠く、終始誰かに監視されているようであった。褒賞となるゆえに、一つの宝飾品のような扱いなのかもしれない。
身ぎれいにされ、素肌にしみいるように、香油を塗られる。村で暮らしていた頃の手荒れはすっかりなくなり、爪の先から髪の先まで、私の体であって、違う人のようだ。
侍女たちの誉め言葉に、面映ゆく笑えば、なんと奥ゆかしい方でしょうと褒められる。
褒められても空虚だ。誰のために飾っているのか、何のために聖女になったのか。私は私の意志がどこにあるのか分からない。
王宮ではそんな侍女たちに囲まれ、外に出ればミザリーの監視のもと貴族宅を訪問する。流れるまま暮らせば、祭典まであと一か月となった。
王宮に来てからの暮らしはゆったりである。午前と午後に、貴族の屋敷を一軒めぐるだけに仕事も落ち着いていた。
馬車にのり、ミザリーに今日の予定を確認する日課だけは変わらなかった。
「聖女様、今日の午後は、男爵家のダレン・スウィフト様のお宅への訪問になります」
「えっ」
ミザリーの言葉に私は硬直した。
「聖女様として赴かれるのです」
それだけで察しろということだった。
彼の前に出ても、決して私情を出してはならないと、彼女は言いたいのだろう。そんなことは分かっている。それでも、ダレン様の様子を見れるのはほっとする。
懐かしいダレン様の屋敷で馬車をおりる。私を毎朝ミザリーが迎えにきて、毎夜送っていた日常が遠い。
迎え入れてくれた侍女もまた、よそよそしかった。私が聖女の姿で現れたのが初めてだったからだろう。
暖炉の前で語り合う居室に通された。ダレン様は椅子に座られていた。お元気そうで、顔色も悪くない。瘴気の影響が薄れてきている。
うれしいのと悲しいのが押し寄せてきた。もし彼の傍におらず、癒しを与えていなかったら、今頃どうなっていたのだろう。生きていただろうか。自力でここまで治るとも思えない状態だった。
なんと言葉を交わせばいいか分からなかった。
ただ見つめて、唇を結んだ。
「ダレン様。傷を見せていただけますか」
代わりにミザリーが話す。
ダレン様は、ふっと口元をほころばせる。
「おかげさまで、加減は大分いいんです」
襟元を緩める。
「体に、少し瘴気の痕が残る程度ですから」
そう言われて、私はほっとする。なにもかける言葉を思いつかないまま、久しぶりに彼の身に触れて、癒しを与えた。
ダレン様の元へ伺ったのは、その一回だけだった。ミザリーが言うには、回復したので大丈夫だと、先方から断られているとのことだった。彼が私の訪問を断っていると言われ、胸が痛んだ。日々は忙殺され、そんな些末な感情も忘れかけたころ、祝賀の祭典も数日後に迫った。
私の聖女としての仕事はなくなり、祝賀用の衣装合わせや身につける装身具の最終確認。祭典の進行確認などに忙殺される。身ぎれいにすることを求められ、素肌に傷一つつけないように注意された。
腫れ物に触るように扱われる。私は人であるのか、宝飾品なのか、よく分からなくなる。
祝賀の祭典の当日。私は日が昇る前に起こされた。
早朝一番に、湯あみをさせられる。いつもより念入りに洗われる。この日のために用意された聖女の衣装をまとう。そのまま、会場準備に忙しい、玉座の間に近い一室に私は押し込められる。聖女が褒賞であることは内密であり、知っているのは一部の人間だけだ。侍女三名、ミザリー、魔法省の管理数人に、王と共に私を見定めた人たち。それと私がぽつりと明かしてしまったダレン様。
私は、呼ばれるまで、この部屋でひっそりと待て。そういうことなのでしょう。
王座の間に呼ばれるのは、今回の討伐における代表者たる騎士団長と三人の副団長と聞いている。三人のうちには、ダレン様もいる。
私が褒賞として表に出る時に、彼に見られる。
こんな場面を、一番見てほしくない人だ。彼を前にして、私は平静を保っていられるのだろうか。
ため息が漏れた。
陰鬱とした気分に落とされる。
その時、扉が開かれた。来賓もまだであり、呼ばれるような時間ではないはずだ。
扉を開き、立っていたのはダレン様だった。
「……なぜ……」
私は、呆然としながらも座っていた椅子を転がす勢いで立ち上がってしまった。
ダレン様は私には名状しがた立派な騎士の姿で、悠然と近づいてくる。幻かと思った。なぜ、ここに彼が来てくれているのか分からない。
私の眼に前にダレン様が立つ。
幻ではないと知りたくて、触れたくて、そっと彼の胸に指先を寄せた。
「……うそ……」
ダレン様が、腰の長剣の柄を掴んでいる。片方の腕はゆったりとさげ、長いマントを垂らす。明らかに今日の出席者としてのいで立ちだ。
「あなたが連日癒していただいたおかげで間に合いました。ありがとうございます」
私はふるふると頭をふった。
「お加減は?」
声はかすれ、震える。
「ええ、すこぶる良いです」
素直な笑顔に、涙があふれる。
「泣かないでください。あなたの癒しを受ける権利を放棄してでも、急ぎたいことがあったのです。おかげさまで、魔法省への復帰を早めることができました」
「魔法省へ?」
「私は、十年前、文官の試験にも同時合格しておりました。騎士になるか魔法省の官吏になるかと迷い、団長に憧れ騎士となりましても、当時文官として最高得点で合格しておりまして、一時騎士団への出向という形を成していたのです。
本来なら、今回の褒賞を賜ってから、魔法省へ復帰しようと思っておりましたところ……」
「ダレン様!」
ミザリーの声が飛んだ。
言葉を切ったダレン様はくっと笑う。軽い笑いが懐かしい。暖炉の前で語り合ったひと時を思い出す。
「聖女様、ご安心ください。また、祭典で会いましょう」
そう流し目を残し、ダレン様は踵を返す。
つかつかと歩み寄ってくるミザリーとすれ違いざま、にらみ合った。
「久しぶり、ミザリー」
ミザリーが苦々しい顔をする。
「魔法省の同期として、よろしくな」
「ダレン……。あなた何をこの一か月暗躍されていたの」
「なんでだろうな」
「私の知らないところで、何をすすめているの」
「悪いな。守秘義務ってやつだ」
そう言うと、ダレン様は、悠々と部屋を出て行った。
今回の祭典で、一体何が起こると言うの?




