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1,身代わり

 窓を叩きつける雨粒が大きい。私は窓ガラスに手を添えて、真っ黒い空を覗き込むように眺めた。

「嫌な雨ね」

 窓枠に叩きつける雫は、スイレンの花弁を思わせる形にはじけ飛ぶ。カッと遠くで稲光が走り、続いて雷鳴に大気が痺れた。


「ナンナ、ナンナ」

 焦る聞きなれた声に振り向く。使用人用の個室にやってくることのない少女が扉を押しのけるように飛び込んできた。

「お願い、ナンナ。私をかくまって!」

 はらはらと泣く少女に私も駆け寄る。「どうしたのですか」と肩を抱いた。

 私の顔を見て、ほっとしたのか、唇を噛んで、まつ毛の長い丸い瞳からどっと涙をあふれさせた。

 

「お父さんが、無茶を言うの」

「お嬢様……」

 私は、お嬢様をベッドに座らせた。そうして、横に私も腰掛け、彼女の震える手を握った。


 はらはらと泣く少女がぽつりぽつりと状況を語り始めた。




 今日の午後、畑仕事中の村人たちに、魔獣が飛び込んできた。手負いの魔獣に人々は悲鳴をあげながら散り散りに逃げ、畑も一部荒らされた。そこに颯爽と現れた騎士が、あっという間に魔獣を討伐したのだ。


 さすが騎士様と村人は歓喜した。騎士は畑を荒らしてしまったことを謝罪するなり、村長にこの被害報告をあげてほしいと申し出た。村人に案内され、村長の元を訪れた騎士が手続きについて説明するうちに、雨が降り始めた。昼頃からくぐもった天気が続いており、いつ雨が降ってもおかしくない空模様ではあったものの、すぐに止むかと思われた雨は夜になるに従い嵐へと変わっていった。


 仕方なく騎士は、暗くなった外を見て、村長に一晩の宿を乞うた。魔獣を退しりぞけ、畑の被害報告まで気を回してくれた騎士を、村長は快く受け入れた。


 ここまでは良い話だ。これから先は……、よくあることだが、年若いお嬢様には受け入れがたいことだった。


「お父様が、騎士様の元へ夜伽に行けと言うのよ」

 奥様が生きていらっしゃったら、そんなことはさせなかったでしょうに……。私はこめかみを抑え、嘆息した。頭痛がする。


 さめざめと泣くお嬢様には想い人がいる。村長もよく知る村の好青年だ。仕事ぶりもいいし、心根も優しい。


 お嬢様の気持ちを知ってなお、村長が娘を騎士の妾にしたがるにも訳はある。


 貴族の妾がいる村には恩恵がある。貴族の別荘が建ち、農産物を仲買人を介さず貴族の家に直接売れたり、建物の維持や管理、使用人として村の仕事が広がる。そこで教育を受けた子女が街への就職を見るけることも容易となる。


 この村にはまだそんな貴族とのつながりがない。この好機を逃すまいと村長は考えたのだろう。村に、年若く、小奇麗にしていられる立場にあるのは、村長の娘ぐらいだ。あとは畑仕事に子守にと忙しい。日に焼け、手はカサカサ。自身の娘を差し出した方が何かと恩恵も深いと打算したぐらいは想像に難くない。


 まったく、いつからこんな風習が根付いたのだろう。ここ一帯が国領地なので、国に申請すれば別荘を建てる許可を得やすいからかもしれない。貴族の家が建ち、村が潤えば、そこから上がる税収も増える。うまく回っているようにも見える。


 私とお嬢様は、年は八つほど違うものの、背格好は同じだ。

 このお嬢様には十年程前に助けられている。その頃は奥様も生きていて、森で死にかけた私を看病し、使用人として受け入れてくれた。さめざめと泣くお嬢様の姿を見れば、亡くなった奥様の胸だって痛むはず。


 村長は娘の恋心なんて一過性のものだと捨てているのかもしれない。それよりも、村に恩恵を与えるつながりの方が娘を幸せにすると信じて疑わない気がする。こういう人は、何を言っても通じないはず……。

 

 私は天井を仰ぎ見た。十五歳の彼女よりは、一応世間というものを見知っているつもりだ。

「お嬢様。一夜だけ、私と入れ替わりませんか」

 この村が出自でない私なら、誰の迷惑も掛からないし、泣く人もいない。むしろ、助けてもらった奥様とお嬢様への恩返しにもなる気がする。


 私が笑顔を向けると、お嬢様は泣きはらした目を大きく開いて、瞬きを繰り返した。このお嬢様のことだから、一晩かくまってもらえればいいと思っていたのでしょう。でもきっと、お嬢様が騎士の元に行っていないと分かれば、村長は探して、追い立てるかもしれない。


 大きなお金を手にすると、まるでそれだけで偉くなったような気になる人は多い。その恩恵を与えている者が貴族に捨てられ、顧みられなくなった時には、その者を罪人のように罰することさえある。この年若いお嬢様には、まだそんな人間の醜さを受け止める歳ではないように私は思う。

 若い方がいいという男も多いが、この際、その辺はご容赦してもらおう。

 

「お嬢様は、私と衣装を取り換えて、一晩この部屋でじっとしていてください。明日の朝まで、絶対にベッドから出てきてはいけませんよ」


 私とお嬢様は、いそいそと衣装を取り換える。お嬢様をベッドに寝かし、彼女が落ち着くまで一緒にいた。最後は「ごめんなさい」と連呼して、夢の中へ意識を流していった。


 私は、自室をそっと後にした。鍵をかける。中からは開錠できるので、これでお嬢様は一晩無事だろう。鍵束を持つ村長がお嬢様を探そうとしない限り、あの扉はあけられない。


 私は、お嬢様が指示された部屋へと向かった。

 

 私を見つけてくれた時は、五歳だったのよね。村長のお嬢様で、私は雇ってもらった立場だけど、妹のような子だった。奥様が病に伏されて、看病していた時も、残していく娘のことばかり心配していた。

 

 どうせ一夜のことだ。なにがあっても、おそらくそれだけだ。

 村長が望むようなことはきっとない。あったとしても、良いことはない。村の青年に事情を話し、お嬢様のことを任せて、私は村を出てもいいし……。


 行く当てもないのにね。こんな心根の優しい奥様やお嬢様が迎えてくれるような地は、そうそうない。それでもここで十年働き、十三歳の私よりは、職も探しやすくなっている。


 騎士様が休む予定の部屋の扉前まで私はやってきた。きいっと扉を開ける。まだ誰もいない。

 お嬢様の話では、今は村長とお酒を酌み交わしており、しばらくしたら寝室に戻ってくるという。


 私は、後ろ手で扉を閉めた。さて、この部屋のどこで待てばいいものかしら。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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