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メダカのリタ  作者: 秋乃ゆき
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原典

視点:早川雪乃




 今年は平年よりも寒かったらしい。

 修了式の今日が3月最後の登校となる私は、校門前の桜の芽が咲き誇る姿は見れそうにない。

 しかし飄々と吹き抜ける風からは以前のように肌を刺すような冷たさは感じられず、春の訪れを知らせるような心地良い温もりを帯び始めていた。


 高校1年生として最後の下校を前に、私は図書館でひと仕事行わなければならない事があった。


「ほんとごめんね。この借りはいつか必ず……。」


 花菜が両手を胸の前で合わせて謝罪の言葉を口にしたのは返却期限を2週間切らした図書館の蔵書を返却するための事務処理を私に頼んだからだ。

 カウンターでの応対は生徒が行っているが、今日は修了式で委員会の生徒は活動せずそのまま下校することになっている。

 もしこのまま彼女が単独で返却していれば事務職員のお説教を食らうことになっていただろう。


「こないだ試験勉強しに来た時に見つけてさ。試験終わってすぐ読んではいたんだけど普段借りないから忘れちゃってて。結構面白かったよ。おすすめはしないけど。」


 彼女の下で2週間埋もれていた哀れな図書は淡泊な表紙に"グリム童話集"と記された文庫本だった。

 グリム童話とはドイツのグリム兄弟が編纂した昔話。

グリム兄弟といえば兄のヤーコプと弟のヴィルヘルムが有名だが実は9人兄弟だったらしい。

 この童話集はシンデレラや白雪姫など、誰もが一度は目にしたことがあるだろう御伽話の原典を完訳したもの。

 グリム童話は世間的にイメージされるキラキラしたファンタジーな世界観ではなく、ガラスの靴やカボチャの馬車は存在しない。

シンデレラにそれらを授けたフェアリーゴットマザーも出てこない。

ガラスの靴は金の上靴で、美しいドレスと一緒にシンデレラに授けたのは"小鳥"であり"はしばみの若木"。

 はしばみの木の下にはシンデレラの実の母親の墓があり、それを踏まえて考察すると何の代償もなく金の上靴やドレスをシンデレラに授けたのは亡き"母親"の無償の愛だったのかもしれない。

 斯くしてシンデレラと王子様は絵本やアニメ映画と同じように最後には結ばれるわけだが、ラストは結婚式に訪れた意地悪な異母姉妹の両目を小鳥が抉り取っている。

花菜が「おすすめはしない」と言ったのはこういった一部の過激な展開が影響しているのだろう。

これも亡き母の仕業と考えるかどうかは読者の想像次第だ。

 これが"シンデレラ"の原典。

これもファンタジーといえばファンタジーである。

 しかし原典といえどこれがシンデレラの物語の"真実"であるとは限らない。

グリム兄弟が収集したメルフェンの数々は創作ではない。

各地の伝説や言い伝えを取材して回り収録したものであり、執筆したグリム兄弟が創作していない童話の原典として現世に残っている以上、現代で何が真実かを探るなら一般的にグリム童話こそ真実であると"認識するしかない"。

けれど、さらに大昔まで元を辿れば実は全く異なる物語として伝えられていたかもしれない。

 伝説や言い伝えなんかは割といい加減なものだ。

時を経て伝える相手を経由していく毎に尾ひれが付き、客観的事実は失われ主観と感想が織り交ぜられて少しずつ脚色されていく。

 だから「早川雪乃と三枝明里は付き合ってる」だとか「キスしてたらしい」なんて変わりゆく噂話も、彼らにとっては"事実であると認識するしかない"原典のようなものなのだ。


「私も読んだことある」


「まじ!?」


 花菜が前のめりになって目を輝かせた。


「たぶん。小6の頃……だったかな」


「御伽話の真実を知れるみたいな感じが良いのよね〜。明里と沙織は絶対読まないよ〜。」


 たぶんと前置きしたのは読んだ記憶が曖昧なのではなく、彼女が借りたこの本と過去に私が読んだグリム童話の出版社が異なるからだ。

私が読んだのは父のHAYAKAWAグループから出版された早川文庫の物で、その他にも身内の特権としてほとんど製品と大差ないサンプル本なんかをよく読ませてもらっていた。

花菜が読んだのは競合他社にあたる会社から出版されたものだ。

 当然、出版社によって物語の内容や設定が大きく変わることはないけれど、出版時期、つまり翻訳者や編集の担当者によって多少ニュアンスが変化するものだ。

全く同じものを読んだわけではないから、自信を持ってそれを知っているとは言い難い。


「てか小6で読むんだ。さすが出版社の娘。図書委員だし将来が楽しみだわ。」


「……私は継がないよ」


「あーお姉さんか。お姉さんもここのOGだったりするの?」


「ううん。お姉ちゃんはずっと女子校」


「ずっと?……まさか文京区?」


「うん」


「うわあ。期待を裏切らない学歴ね……。」


 花菜は苦い表情をしてそう言った。

 この高校もそこそこ偏差値は高い方だけれど、別格感は否めない。

 姉が花菜の期待を裏切れるとしたら、小説よりも漫画が好きで、漫画よりもドラマや映画が好きな趣味嗜好だけだろう。


「雪乃はどうしてこの高校受けたの?」


 私が返却の手続きを終えると、2人だけのカウンターの上に軽く腰掛けた花菜が何気ない口調で訊ねた。


「明里が受けたから……」


「ああ」と花菜が声を漏らした。


「あ、終わった?ありがとね。」


「返却期限は守ってください」


「あーあー聞こえないー。」


 花菜の聞き分けのない子供のような仕草にクスッと笑みが零れた。


「雪乃は本好きだよねー。なんで?やっぱ血は争えない的な?」


「明里が褒めてくれたから」


「へえ……」


「……」


「雪乃自身が好きなものってないの?」


「……明里」


「明里が死ねって言ったら死ぬ?」


「死んだら会えないから……それは嫌」


「じゃあ死んだら明里に会えるなら?」


「傍にいられるならそれでいい」


「好き過ぎでしょ。明里のこと。」


 花菜が「ハァ」と大きく溜め息を吐いた。


「雪乃っていっつも正直だよねー。えーなにそれ〜とか、もーやめてよ〜とか言って適当に流せばいいのに。」


 ポンっと軽く背中を叩かれた。


「ま、そういう所わたしは結構好きなんだけどね!」


 花菜が「またね」と手を振って部活動に向け駆けて行く。


 徐々に離れていく彼女との距離をじっと見つめていた。





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