兆し
視点:早川雪乃
学年末考査まで1週間を切った。
この時期になると部活動や委員会の仕事は一斉休止となり、全校生徒が試験勉強に明け暮れる。
図書委員である私の仕事も休止されるが、図書館は司書や数人の先生、他スタッフによって運営されるおかげで学習スペースは連日満席だ。
日頃から様々な事務処理を抱える事務のスタッフ達は口を揃えてこの時期は地獄だと言っていた。
「今日も空いてないね。」
明里が所狭しと生徒が詰め込まれた学習コーナーを見て呟いた。
昨日訪れた際もこの調子だったため放課後に可能な限り早く図書館に足を運んだけれど、4人はおろか明里と2人近くに座ることも出来そうにない。
同じ光景を見て沙織が溜め息を吐いた。
「はあ寿司詰め状態だね。ファミレスはどうよ、駅前の。」
「私と雪乃はいいけど沙織は帰り反対方向じゃん。花菜もバスだし。」
花菜と沙織はお互い何かを確認するように顔を向け合った。
「あたしはいいよ。」「わたしも〜。」
学校から最寄り駅までは徒歩で12分程度の距離がある。
私と明里は駅から徒歩で通学し、花菜は地元からバスで、沙織は別の路線の電車で駅から自転車に乗って通学している。
帰路が違う私達4人が一緒に放課後に街を歩くのは珍しい。
いや、もし帰路が同じであったとしてもこの4人で帰ることは珍しいといえる。
私一人バスケ部ではないし部活動もしていないため下校のタイミングはなかなか合わない。
部活動の日はきっと他のバスケ部のメンバーを含めてより華やかな空間になっているのだろうと、初めてそんな想像が浮かんだ。
図書館のガラス張りの扉に薄らと私の姿が反射している。
華やかな女子3人とそこに混じる自身の姿がとても不釣り合いに見えた。
バスケ部3人の中では一番身長が低い花菜とは身長があまり変わらないはずなのに、今日はなぜか大きな差があるように感じる。
目にかかる長い前髪を軽く横に流してみた。
『眼、見えてた方が絶対良いって!』
ガラス越しの沙織と目が合ったような気がした。
「チャリ取ってくるわ」
パタパタと小走りで駆ける沙織のポニーテールが振り子のように左右に揺れていた。
ファミレスの6人掛けのソファ席のテーブル。
ほとんど空のバターディップと、中途半端に残ったケチャップディップの隣でポツンと一本だけ取り残されたフライドポテトが独特の哀愁を漂わせている。
ノートに数式を並べていた沙織が手を止め、僅かに残ったメロンソーダを飲み干すと、テーブルにはグラス底の円周をなぞったように水滴が溜まっていた。
日が落ちてから空いていたファミレスの店内にも徐々に人が増えてきていて、暖房も少し暑く感じてきた。
「花菜メロンソーダ!」
「わたしはメロンソーダじゃありませーん。」
「たかだかメロンソーダのために学年5位の邪魔は出来んでしょ。」
「わたし今思いっきし邪魔されてるんですけど。」
「いや普通にボーッとしてたじゃん。」
「何の公式使うか考えてたの!」
動線より奥側に座っている沙織とその対角線にいる花菜のやり取りを沙織の正面の席から眺めていた。
隣にいる花菜の肩には茶味がかった毛先がふわっと乗っかっている。
天井のライトを浴びた部分がさらに茶色く光り、柔らかい髪質をイメージさせる。
自身の胸の上に乗った髪を軽く握ると、少しひんやりとしていた。
沙織の隣で会話を聞いていた明里が立ち上がると「私も何か飲みたい」と自身の空になっているグラスを持ち上げて、ドリンクバーへ行こうと促した。
「花菜メロンソーダ。」
「いや明里立ったんだから自分で行けるでしょ。」
沙織は微笑みながら顔の前で両手を合わせて"おねがい"と声に出さずに言うと、ムッとしていた花菜はその表情を崩し、「はあ」と小さな溜め息を吐きながら明里とドリンクバーに向かって行った。
「なんか気になる?」
沙織が真っ直ぐこちらを見て続けた。
「?」
「珍しく髪型とか気にしてるような感じしたからさ。」
「そういうわけではないけど……」
沙織がうんうんとその先の言葉を促す。
「自分でも何が気になってるのかよく分からなくて。このままじゃ何かいけないような」
「変わりたいの?」
「……わからない。最近、沙織も花菜も学校の人達もみんな大人に見える。今のままじゃ明里の傍にいられない気がして」
「大人かー。難しいな。明里からもらったヘアピンはしないの?印象変わるよ?」
私はバッグから幅10cmほどの小さな箱を取り出した。
白いベルベット生地が高級感を漂わせている。
パカッと蓋を開け箱の高級感にはあまり似つかわない黄色いヘアピンを優しく手に取った。
「持ち歩いてるんだ。」
「うん。大切なものだから……」
「着けないの?」
「最近、明里に"近付き過ぎた"から」
図書館でのクラスメイトの冷たい視線が心にずっと引っかかっている。
「明里に迷惑かけて嫌われたら、傍にいられなくなったら、嫌だから。どうしたら前みたいに戻れるかわからなくて」
"明里の好きな人"になれるなんて思っていたわけじゃなかった。
現実を突き付けられるのは少し辛かったけれど、手が届かないことよりも、手を伸ばすことさえ叶わなくなる方がもっと辛い。
嫌われるかもしれないと感じた時、明里を繋ぎ止めるための言葉が分からなくて自分の気持ちを曝けだすしかなかった。
「知ってんだ。」
ボソッと口から零れるように沙織が言った。
不意に、唇に取り残されていたポテトフライを突き刺してきた。
沙織がニコッと微笑んでいる。
そのまま口に含んだポテトフライは冷めて固くなっていた。
「はい、メロンソーダ。」
沙織の前に置かれたメロンソーダは茶色く濁った炭酸が弾けていた。
「いやこれ絶対なんか混ぜてるよね?」
「は?」
「え?」
「あ!ちょっと! 最後のポテト食べたの誰!?」
悲愴な顔した花菜と目が合う。
「雪乃? 雪乃なのねえ!?」
うわああんとわざとらしく泣いたフリをしながら私の両頬を手のひらで包み込んで上下左右に弄び始めた。
「食べたかったなら早く食べればよかったじゃん。」
「最後の一本を最後まで遠慮し合って最後の最後で誰が食べるかの駆け引きは譲り合い文化の日本伝統行事でしょう!? しびれを切らしてポテトに手を伸ばす様を見たかったのにー!」
「なんだそれ」と3人が笑い合っている光景を前に、私も自然と一緒になって笑っていた。