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メダカのリタ  作者: 秋乃ゆき
3/14

得体の知れない

視点:三枝明里




 放課後、学校の図書館。

 今日は部活動はなく、2階のミーティングテーブル席で数人のクラスメイトと暇を持て余していた。


 建てられてまだ歴史の浅いこの親棟の1.2階には図書館がある。

1階はホームルーム教室10室分の広さに約7万冊の蔵書があり、参考書や絵本、画集、過去2年分の新聞やベストセラー本なども読むことができる。

学習スペースは1クラス分の生徒が集まれる程度のスペースが設けられているが、2階の学習スペースでは3クラス分の人数が利用できるだけの閲覧自習席と、PCコーナー、視聴覚コーナーが設けられている。

 比較的新しく広いこの図書館には行事や考査期間などにより利用者数に変動はあるものの放課後や休み時間には生徒で賑わっている。


 3年生はセンター試験もありほとんど登校しておらず、学年末考査まで期間があるこの時期は暖をとるか軽く談笑する少数の生徒がいる程度で図書館を利用する人数は減っていた。

 そんな中で、今私の周囲ではクラスメイト達が恋愛トークに花を咲かせている。


「一ノ瀬先輩めっちゃイケメンだよね。」


「あの顔で高身長でバスケ超上手いんでしょ?完璧か?」


「勉強は普通らしいけどね。」


「えーでもそのちょっと隙がある感じがよくない?」


「「わかるー」」


 クラスメイト達の黄色い声が遠慮がちに響いた。


「明里、一ノ瀬先輩紹介してよー、バスケ部じゃん。」


「私絡みないし。ていうか一応ここ図書館ね。」


 シーっと、立てた人差し指を唇に押し当てた。


「他に誰もいないじゃん。」


 そう言ったクラスメイトが辺りを見回すと少し離れた閲覧席に数人の人影を確認し「やばっ」と慌てて声を潜めた。


 確か今日は1階のカウンターで図書委員の早川雪乃が事務を行っているはずだった。


「私ちょっと下見てくるね。」


 了解の意味が込められたクラスメイトの敬礼が私に向けられ席を立つ。

 私を除く4人のクラスメイトは少し身を寄せて先程より少し声を潜め話を続けるようだった。


「でも一ノ瀬先輩最近好きな人いるらしいよ。」


「えーなになに? どこ情報?」


「こないだうちの先輩が告った時に好きな人いるからって言われたんだって。」


「まじ? 誰?」


「さあ。あーでもなんか最近よく話してる子いるらしくて。なんだっけな〜、確かB組――――」


 雪乃の仕事ぶりをひと目見てみようかと一人輪を抜け出した。

 踊り場のある折り返し階段を降りた少し先では、一際身長の高い生徒がカウンター前で佇んでいるのが見えた。

そのスタイルが良く見慣れた横顔はすぐにバスケ部2年生の先輩、一ノ瀬湊だと気付いた。


 先輩に声を掛けようとカウンターに歩み寄る。

すると彼がフッと笑顔を見せた。

その笑顔の先にはカウンター越しに着席している雪乃がいた。


 見てはいけないものを見ているようでとても居た堪れない。

引き返そうとも強ばった足は床に張り付いたまま動かない。


 すると、先輩の目が私を捉えた。

「よっ」と口元が動き右の手のひらを胸の辺りでかざしている。

それに会釈して応えると、先輩は一瞬雪乃の方に向き直りそのまま出入口に消えていってしまった。


「あ……明里?」


 カウンター越しに上目遣いで私を見つめる雪乃は一瞬驚いた表情を見せるも、うっとりとした瞳がきらきらと輝いているようだった。

 それはまるで恋する乙女のよう。


「雪乃、一ノ瀬先輩と仲良かったの?」


 私の問いに雪乃は軽く首を傾げた。

 不思議と少し苛立ちを覚える。


「あ、さっきの……?」


「名前知らなかったの?」


「前に聞いた……けど忘れてた」


 こういったことは雪乃にはよくあることだ。

もともと彼女は物覚えがいい方ではなく、それは人の名前や顔も例外ではなかった。

 雪乃に長期記憶として残るのは例えば小説の内容など彼女自身が興味を持ったものに大してくらいで、特に興味のない事柄については壊滅的とさえ思えるほど記憶力が機能していない。

 彼女にとって興味のない事柄とは、世の中の99%に当たるのではないだろうかとさえ思っていた。


「明里……怒ってる?」


 "先輩のこと好きなの?"

そう訊ねればきっと雪乃は答えてくれる。

彼女は嘘を付かない。

今まで見栄を張ったり隠したり誤魔化すようなこともしなかった。

 普通誰にでもある秘密や答えたくない問いが彼女には存在しないのか、それとも誰も心の内まで踏み込む人がいないからか。

 花菜や沙織との関係のように、ある程度親密な間柄になると色々な面を知り、ある時ある場所でどういう表情と声色で何を話すかで何となく"察し"が付くものだ。これはあくまで"かもしれない"という予測の域を越えないが。

 他人の気持ちを完全に理解しようなんて傲慢というもの。それでも親しいと思える人間のことは理解していたいと思っていた。

 雪乃はずっと自分の話をしようとしないから、こんな時も彼女が何を考えているか察しも付かないし、まして男子と接する雪乃の気持ちなんて想像も付かなかった。


「別に怒ってないよ?」


 以前、私は一ノ瀬先輩に雪乃についてこう話した。


『雪乃は部活は入ってなくて、後期から図書委員やってるくらいですね』


 あれから一ヶ月以上経っている。


「先輩と何話してたの?」


「小説の話……」


「へえ。よく話すの?」


「最近、たまに……」


「ふうん。」


「……」


 雪乃はいつもと何も変わらない様子で応えた。

でもその応えは私の胸の内に蔓延った得体の知れない"何か"を解決してはくれなかった。


「明里なんか変……」


 雪乃の潤った瞳が天井の光を取り込んで輝きながらゆらゆらと揺れている。

 グツグツと沸き上がるように喉元まで押し寄せていた苛立ちがスっと引いていく。

 少し冷えた頭に"嫉妬"という2文字が浮かんだ。

嫉妬している醜悪な自身の姿が親友の瞳に写っているのだと思うと、今すぐこの場から逃げ出したくなるほど酷い気分だった。


「ごめん戻らなきゃ。」


 踵を返し早足で2階を目指した。

 一ノ瀬先輩との関係性をいくら問うてもモヤモヤしたこの気持ちが晴れることはない気がしていた。


 踊り場まで上ると背後から迫る足音が左手首を強く掴んだ。


「明里まって!」


 雪乃は震える声で今にも溢れそうな涙を下瞼に溜めていた。


「私なにかした……?」


「何もないよ〜。ちょっと考え事してて……何か勘違いさせちゃったかな。あはは。」


 ごめんごめんと繰り返しながら、空いた右手で私より少し低い雪乃の頭を優しく撫でた。


「何の考え事?」


「え?」


 そっかと言って雪乃は退くものだと思っていたために何の考えもなく適当に吐いた台詞の逃げ先が見つからなかった。


「あー、えーっと・・・。」


「一ノ瀬さんのこと?」


 瞬間、ハッと息を呑んだ。

 普段から人に興味が無い彼女が他人の気持ちや考えを察するなんて思いもしていなかった。


「明里は一ノ瀬さんが好きなの?」


「いや別にそんなんじゃ――――」


「応援する!」


 私の言葉を遮るように初めて雪乃がか細い声を荒らげた。


「私に出来ることなら何でもするから。だから……」


いつの間にか両手で握られた私の左手が力強く圧迫される。


「嫌いにならないで!!」


 その独特な緊張感を醸し出す声色に思わずゴクッと生唾を飲んだ。

まるで私の心に直接迫ってくるようで、力強く切実で、どこか儚さを孕んでいた。

こんなにも人は言葉に感情を乗せることが出来るのかと、そしてそれが早川雪乃から発せられたものであることに目を見開いた。

 彼女が発した、ただその一言が私の中の得体の知れない"何か"の正体に迫るような感覚がした。


「ちょ……ちょっと大袈裟過ぎだよー。私別に一ノ瀬先輩のこと好きじゃないし。」


「……」


「応援するのは私の方だよ。先輩は雪乃のこと気になってるんじゃないかな?最近仲良さそうだし。」


「私は……」


 少しの沈黙の後、雪乃は振り絞るように声を発した。


「私は明里がいなくなったら何も無いよ」


「……ん?」


「暗くて愛想良くなくて中学生になっても一人ぼっちで。本ばっかり読んでた私に、声掛けてくれて、優しくしてくれたのは明里だけだった。帰りに寄り道したり一緒に遊んでくれて嬉しかった。嫌だった塾も学校も明里と一緒なら楽しかった。明里が友達になってくれて本当に嬉しかった」


「なんの話……?」


「明里が傍に居てくれるなら何もいらない」


「……あはは。ありがと?」


「明里が私の全てなの」


「……」


「お願い」


 その瞬間、私の身体がギュッと彼女の温かい体温に包まれた。

 背中に回った彼女の手が小さく震えているのが伝わる。


「どこにもいかないで。嫌いにならないで」


 雪乃が何の話をしていたのか分からなかった。

そもそも何について私達は話をしていたのかさえ一瞬忘れるほどに会話が噛み合っていなかった。

 私は、男子と接する雪乃の気持ちなんて解るはずもなかった。私はそれを考えたことも無いのだから。

 雪乃は私から離れることは無いと、自分以外の人間に興味を持つことは無いと心のどこかで思っていた。

まるで自分の所有物とでもいうかのように。

 彼女のことを理解できないといいながら、その実私は早川雪乃という人間を理解している気になっていたのかもしれない。

 それなら私が本当に気になっていた事は。

 私が嫉妬していたものとは。


 ふと視界の端で蠢く人影に気が付いた。

一緒に図書館に来ていたクラスメイト達が階段先で手すりの陰に隠れるようにしてこちらを窺っていた。

 彼女達と目が合うとばつが悪そうな面持ちで階段を下ってくる。


「明里遅いから……。」


 その声を聞いた雪乃が私に回していた腕を解いた。

 手渡される私のスクールバッグに手を伸ばすと、クラスメイトの視線が雪乃を捕らえているのが分かった。


「あーごめんありがとう。ちょっと世間話に花が咲いちゃった的な?話し込んじゃった。」


「A組の子?」


「B組の早川さん。」


「ああ。」


「知ってるの?」


「んー。」


 彼女のその反応に違和感を覚えた。


「仲良いんだ?」


「うん。中学から一緒で。」


 雪乃に視線を送ったまま話すクラスメイトとの間にどこか気まずい雰囲気が漂う。


「あーていうかもう5時か〜。カラオケ行くかって言ってたのにごめんね。」


「ねえ、もしかして明里って早川さんと付き合ってんの?」


「え? 何言ってんのそんなわけないじゃん!」


「ふーん。」


 私達を見るその瞳から訝しげな光が消えてくれない。

 私は咄嗟に口を開いた。


「女同士とか絶対あり得ないでしょ。無理無理。ないわー。」


 あははと笑いながら立てた手のひらを横に振った。

 彼女達に雪乃からの抱擁を見られていたのは疑う余地もなかったが、こんなことは特段何でもないただの友達同士のハグであると伝えるようにおどけてみせた。


「まあ、だよね〜。」


 そう言ってクラスメイトが私に向けた表情はいつも通りの優しいもので、それにホッと胸をなで下ろしたのも束の間。彼女は一瞬雪乃に視線を送ると、


「びびるわー。」


と、嘲笑うようにも聞こえる口調で言葉を添えた。

 クラスメイトのその言葉は刃のように鋭く感じられ、俯いたままの雪乃を突き刺そうと向けられているようで恐怖に似た焦燥感を覚えた。


「明里カラオケ行こうよ!」


「今からだと途中から18時料金かかりそうじゃない?また今度でも――――」


「大丈夫! 一人3曲は歌えるって。もう歌う気分なの〜。」


 背中を押され半ば強引に階段を下りていく。

 振り返って一瞬見えた雪乃は一人佇み、動かなかった。





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