71.じゃあ行くよ
「じゃあ行くよ」
かぶと山から下りて来たタヌキはトナカイが天空を駆けていれば良く見えたであろうクリスマスイブの晴れた夜空に浮かぶ月に向かって吠えた。
月から見える火星の方向56万7千kmの彼方から巨大なドライアイスの塊が地球に投下されようとしているのをまだ誰も知らない。
「すばるくん、昴くん、起きて」
アイリーンが優しく揺り起こしている。
「宣子さんだめだよ兄ちゃんに怒られるよ~」
「なに寝ぼけているのよ宣子さんじゃないわ、うちは……愛鈴よ残念だったわね」
「ああ、愛ちゃん今日も可愛いね」
アイリーンは昴くんの両肩に掛けていた手をつかまれ引き寄せられるのを必死に抵抗したけど無駄に終わり昴くんの胸の中に収まってしまう。
スターキッドAIがウエディングマーチを流しだす。
「昴くん離して正気に戻ってよ」
向きを変えた操縦席に座っている昴くんに抱かれた状態で腕を伸ばして突っ張ってみたけどあまり効果がない。
「あれ、愛鈴さん何で僕に抱き付いているの?」
正気に戻った昴くんの第一声である。
「叩くよ!」
「本体に戻ったかな、無事にお兄さんとコミニュケーション出来たみたいで良かったな」
九論が聞く。
「あれをコミニュケーションと言うのは少し語弊があると思いますよ、まだ頭の中がグルグルしてます」
アイリーンはごそごそと昴くんの膝の上から下りる。
昴くんと新月先生の目が合った。
「先生僕は何も悪くないんだからね」
昴くんが弁明みたいに言う。
「ごめんなさい気にしないで、何処にでもどんな時にでも青春はあるものだなと思っただけですから」
「先生にも青春はあったんでしょう」
「こら、過去形にしないで現在進行形です、でも甘酸っぱい思い出は過去にも未来にもないですね」
「先生、過去はともかく未来のことを否定形で言ってはいけないと思います」
正気を取り戻した昴くんが指摘する。
「そうね未来に希望を持って生きていかないと人間は進歩できなかったわね、思い出させてくれてありがとう」
「さて、そう言うことでうち達も未来に希望を持って行動したいと思います」
アイリーンが声高々に宣言するように言う。
「またよからぬことを考えているのではないだろうな」
「うちは争い事はしないと言ったわ、でも地球が攻撃されるのを黙って見ていると言った覚えもないよ」
「攻撃するの?」
昴くんは『それを詭弁って言うんだよ』と心の中で言った。
「ドライアイスメテオをね、九論何か効果的な方法はないかしら」
アイリーンは悪びれる様子もなく平然としている。
「どういう形であれ抵抗するのであれば危険が伴うが分かっているのか、このメンバーでリスクを負うのは無謀に近いと思うぞ」
九論は『君子危うきに近寄らず』を説く必要があるのだろうかと考えた。
「費用対効果よ」
アイリーンが的外れのことを得意気に言う。
「安全第一だと思うよ」
昴くんも何か言わなくてはいけないと焦って的外れなことを言ってしまった。
「リスクアセスメントですよ」
新月さんが先生らしく言うけどアイリーンと昴くんは首をかしげる。
「意味不明です!」
2人が声をそろえて言う。
「簡単に説明すると、これからやろうとしている事の危険を予知して対策を事前に決めておくのよ」
「やっぱり意味不明です、出たとこ勝負で臨機応変に対応するのがいいと思います」
(さすがアイリーン考えないで行動あるのみ))
昴くんはそう思った。
「あなたがキャプテンですから従いますけど、4人の命を預かっていることを忘れないで下さいね」
〈5人ですよー、僕も人数に入れて下さいね〉
スターキッドAIが訴えている。
「うちはAちゃんが誰よりも死を恐れていることを知っているわ、だからちゃんと人として認めてるから安心して」
〈アイリーンが僕との付き合いが一番長いですものね〉
「光一兄ちゃんが一番長いでしょう」
〈ドロンパ号で飾られていた時はあまり搭乗してもらえなかった……からですね〉
「ねえ愛鈴さん、僕の耳元でスライムさんが『ピコピコ』言ってるんだけど」
「わあごめんなさいスーちゃん忘れていた訳じゃないんだからね、ちゃんとスーちゃんの命も大切に預かっているから」
((忘れていたのか))
九論、新月さん昴くんの3人は思った。
〈キャプテンアイリーンへ連絡、ピエロさんが買い物から帰ってきましたので回収しますよ、良いですか〉
「OKよ、ピエロにはカプセルベッドのセッティングまでお願いしてね、あとキャプテンって呼ぶのはやめようね何か責任感ってのがのしかかってくるのよね」
「アイリーンこれから先は指示命令系統をハッキリさせないと駄目だ、辛くても当面キャプテンをお願いしたい皆も異存はないな」
「〈ハイ!〉」
九論の呼び掛けに皆が声を合わせて返事した。
チームワークは抜群のようだ。
「Aちゃん出発出来る?」
「ちょっと待て今日はもう十分働いた、あと2日あるのだから出発は明日でもいいのではないのか、ドライアイスメテオを破壊する計画も何も考えていないだろう」
「それもそうね言われてみればお腹は減ったし、おニューのカプセルベッドは届いたし今日はもう休んで明日のために鋭気を養いましょうか」
「明日の計画も立てないといけないぞ」
「それは明日にしましょう、夜に書いたラブレターは朝に読み返してから出せって言うじゃない、それじゃあ最初から朝書けば良いんじゃない」
アイリーンの意味不明な言葉には触れず食事を摂るため6人全員でコクピットから出ていく。
翌日昼食後にドライアイスメテオ作戦が行われている宙域へ向け出発する。
アイリーンが操縦席に座りその右横の通信席へ昴くんを座らせて通信傍受とソナー監視をしてもらう。
九論が副操縦席に座りその左横の環境管理席は新月さんに座ってもらって艇内外の環境モニタリングをお願いした。
ピエロは自分のことをジャーナリストと言ってたので職務を割り当てていない、本人の希望で座席は無く後の出入り口扉横に立っている。
「目的地は火飛びトンネル、座標は……」
アイリーンは出しかけた号令を中断して通信席で不思議そうに機器を触っている昴くんの方を向く。
「昴くん、やっぱりうちの膝に座ってくれないかなあ……やり方を色々教えてあげるから」
「・・・」
「いちいち説明を聞いて覚えるより実践して体で覚えた方が良いと思うのよね」
さすがに『手間が省けて』とは言わなかった。
しかし昴くんは顔を赤らめ動こうとしない。
「早く来て!」
アイリーンが催促する。
「みんなが見てるよ~」
昴くんは冗談を言ってみた。
((勝手にやってろ!))
外野にとっては面白くないやり取りだったみたい。
〈もうとっくに宇宙港は飛び立ってます。とりあえずトンネルに向けて飛びますから後で微調整して下さい、昴くんも操縦席に着きましたねじゃあ加速します〉
スターキッドAIから蔑むように言われた気がしたのは昴くんだけだろう。
「うっ! ぐぅ~」
スターキッドの加速に耐えかねた昴くんが声を漏らす。
「Aちゃんもう少し加速を緩めてくれてもいいんじゃないかなぁ」
〈そうですか1秒でも早く着きたいのではないかと思いまして〉
「早く着きたいのは確かよねー、でも到着した時に口から内臓出てたら洒落にならないわよね」
「うげっ、愛鈴さんグロ過ぎるよ僕はあっちに戻るからね」
でも昴くんは声を出すのが精一杯で動けない。
次の瞬間マイナスGの減速が始まりアイリーンにしがみつく。
「Aちゃん加速を弱めてって言ったけど、この減速のやり方は意地悪なんじゃないGが半端ないんですけど」
アイリーンはスターキッドAIがわざとやっているんじゃないかと思う。
「スターキッドの加速、減速っていつもこんななの僕には耐えられそうにないよ、重力安定化装置が故障中なんじゃないかなぁ」
昴くんは声を絞り出している。
「君たち少年少女は体が十分成長しきっていないからな、筋トレ時間を増やさないと駄目だな」
九論がこの厳しい状況下で更に追い討ちを掛けてきた。
「この状況を何回か経験すればある程度は慣れますよ」
新月さんはこの状況に慣れろなんて無茶振りを平気で言う。
「アイリーンさんはテレポート出来たでしょう。この様に応用したらどうですか」
ピエロはコクピット後方扉の横で平然と立っている。
「テレポートって……今は無理、落ち着いた時にでも教えてね」
アイリーンが膝の上に昴くんを乗せているのは操縦士の仕事を覚えてもらうためだと言うことを忘れてはいない。
「ふう、やっとGを感じなくなったわ良かった。昴くん今のスピード教えてくれる」
昴くんが戸惑っているので後から手を伸ばしディスプレイをタッチしながら教えていく。
「ごめんね、今は時間がないからうちのやり方を見ていて今度ゆっくりしたとき教えるね、今のスピードは大体秒速670kmよ」
「それってどのくらい早いの?」
昴くんが初歩の質問をした。
「国際宇宙ステーションISSが秒速7.7kmで飛んでいて地球を1周するのに90分かかるの、今のスターキッドなら1周するのに1分ね……」
「凄く速いん……」
昴くんの驚きの言葉はアイリーンによって掻き消される。
「Aちゃん何でこんなに遅く飛んでるのよ」
〈アイリーンの目にドライアイスメテオの核となる重粒子の姿を焼き付けるためですよ、あと3分でクロスします。その時はもっとスピードダウンしますのでしっかりと光景を脳裏に焼き付けて下さい。連盟の艦船が多いですからチャンスは突き抜ける時の1回限りになりますよ〉
「了解よ思ってたより早く着いたのね。昴くん今は凄くゆっくり飛んでるのよ普通のスピードなら地球を1周するのに1秒なの、これからステルスモードにするわね連盟の索敵に感知されないから少し安全になるわ」
「アイリーン防御磁場発生も完了した。いつでも行けるぞ」
九論が最終確認を終えた。
「ハイスペック録画正常、外部信号無し艇内環境オールグリーン」
新月さんが確認しながら復唱していく。
ピエロを見ると隔離空間の中で悠々と立っている。
(綺麗ね……まるでシャボン玉の中に居るみたいだわ)
緊迫した雰囲気が漂うコクピットの中でアイリーンの意識はいつもと変わらず暖かい。
スターキッドを包む防御磁場の密度が最高値になった時。
「じゃあ行くよ~」
アイリーンの緩い声が辺りに響き渡る。




