じゃあ行くよ
「じゃあ行くよ」
かぶと山から下りて来たタヌキはトナカイが天空を駆けていれば良く見えたであろうクリスマスの夜空に向かって声を掛けた。
雲ひとつない夜空には黄金色の月が冷ややかに輝く。
月から見える火星の方向56万7千kmの彼方から巨大なドライアイスの塊が地球に投下されようとしているのをまだ誰も知らない。
「昴くん、すばるくん起きて」
アイリーンが優しく揺り起こしている。
「宣子さんだめだよ兄ちゃんに怒られるよ~」
「なに寝ぼけているのよ宣子さんじゃないわ、うちはアイリーンよ残念だったわね」
「ああ、愛ちゃん今日も可愛いね」
アイリーンは昴くんの両肩に掛けていた手をつかまれ引き寄せられるのを必死に抵抗したけど無駄に終わり昴くんの胸の中に収まってしまう。
スターキッドAIがウエディングマーチを流しだす。
「昴くん離して正気に戻ってよ」
向きを変えた操縦席に座っている昴くんに抱かれた状態で腕を伸ばして突っ張ってみたけどあまり効果がない。
「あれ、愛鈴さん何で僕に抱き付いているの?」
正気に戻った昴くんの第一声である。
「叩くよ!」
「正気に戻ったかな、無事にお兄さんとコミニュケーション出来たみたいで良かったな」
九論が言う。
「あれをコミニュケーションと言うのは少し語弊があると思いますよ、まだ頭の中がグルグルしてます」
愛鈴はごそごそと昴くんの膝の上から下りる。
昴くんと新月先生の目が合った。
「先生僕は何も悪くないんだからね」
昴くんが弁明みたいに言い繕う。
「ごめんなさい気にしないで、何処にでもどんな時にでも青春はあるものだなと思っただけですから」
「先生にも青春はあったんでしょう」
「こら、過去形にしないで現在進行形です。でも甘酸っぱい思い出は過去にも未来にもないですね」
「先生、過去はともかく未来のことを否定形で言ってはいけないと思います」
完全に正気を取り戻した昴くんが優等生らしく指摘した。
「そうね未来に希望を持って生きていかないと人間は進歩できなかったわね、思い出させてくれてありがとう」
「さて、そう言うことでうち達も未来に希望を持って行動したいと思います」
アイリーンが声高々に宣言するように言う。
「またよからぬことを考えているのではないだろうな」
九論は『嫌だ嫌だ』と言いたげに首を振ってる。
「うちは争い事はしないと言ったわ、でも地球が攻撃されるのを黙って見ていると言った覚えはないわよ」
「攻撃するの?」
昴くんが『それを詭弁って言うんだよ』と心の中で言った。
「そうよ地球に落下する隕石をね、九論何か効果的な方法はないかしら」
アイリーンは悪びれる様子もなく平然としてる。
「どういう形であれ抵抗するのであれば危険が伴うが分かっているのか、このメンバーでリスクを負うのは無謀に近いと思うぞ」
九論は『君子危うきに近寄らず』を説く必要があるのだろうかと思う。
「費用対効果よ」
アイリーンが的外れのことを得意気に言う。
((ちょっと違うんじゃないか))
昴くんと九論が心の中で指摘した。
「安全第一だと思うよ」
昴くんも何か言わなくてはいけないと焦って少し的外れなことを言ってしまう。
「リスクアセスメントをするのですよ」
新月さんがいかにも先生らしく教えてくれたが、アイリーンと昴くんは首をかしげる。
「新月先生、意味不明です!」
アイリーンがお手上げですとジェスチャーを交えて返事した。
「簡単に説明すると、これからやろうとしている事の危険を予知して回避行動を事前に決めておくのよ」
「???」
「先生やっぱり意味不明です。出たとこ勝負で臨機応変に対応するのがいいと思います」
((さすがアイリーン考えないで行動あるのみ))
昴くんと九論はそう思う。
「そうですか、あなたがスターキッドのキャプテンですから従いますけど、4人の命を預かっていることを忘れないで下さいね」
〈5人ですよー僕も人数に入れて下さいね〉
スターキッドAIが新月さんに訴えている。
「うちはAちゃんが誰よりも死を恐れていることを知っているわ、だからちゃんと人として認めてるから安心して」
〈アイリーンが僕との付き合い一番長いですものね〉
「光一兄さんが一番長いでしょう」
〈ドロンパ号で飾られていた時は搭乗してもらえなかったです〉
(宇宙で一番速いスターキッドが何でドロンパ号の中で飾られていたのかしら不思議ね)
「あれから暦歴で20年経つのよねー、長いようで短かったわ、うちはまだ16だけど」
「アイリーンさん年齢の話は止めましょうね」
新月さんがこれ以上は聞きたくないと言いたげに遮ってきた。
「ねえ愛鈴…さん、僕の耳元でスライムちゃんが『ピコピコ』言ってるんだけど」
「わあごめんなさいスーちゃん忘れていた訳じゃないんだからね、ちゃんとスーちゃんの命も大切に預かっているから」
((忘れていたのか…))
九論、新月さん昴くんの3人は思った。
でもまあスーちゃんのおかげでアイリーンも命の重みに気付けたと思いたい。
〈キャプテン、ピエロさんが戻って来たけど倉庫のハッチ開けるよ〉
「OKよ、ピエロにはそのままカプセルベッドのセッティングをお願いして直ぐに離陸ってのも教えてね、あとキャプテンって呼ぶのはやめようね何か責任感ってのがのしかかってくるのよね」
「アイリーンこれから先は指示命令系統をハッキリさせないと駄目だ。辛くても当面キャプテンをお願いしたい。皆も異存はないな」
「〈ハイ!〉」
九論の呼び掛けに皆が声を合わせて返事した。
チームワークは抜群のようだ。
「Aちゃん出発出来る?」
アイリーンは操縦席に座りその右横に昴くんを座らせて通信傍受とソナー監視をしてもらう。
九論は副操縦席に座りその左横に新月さんが座って艇内外の環境モニタリングをしてもらっている。
ピエロは自分のことをジャーナリストと言ってたので職務を割り当てていない座席は後の出入り口横にゲスト用で用意した。
今はまだ倉庫でいろいろとセッティングしてる最中だと思う。
〈いつでもOKですよ~。目的地さえ教えてくれたらねー〉
アイリーンはそのふざけた口調でバイオキッドの幻を見たような気がした。
「アイリーンしっかりしろ、今から新たなストーリーが始まろうとしているのに気落ちしていてどうする」
さすが九論そう易々とセンチメンタルな気持ちにさせてくれない。
「ごめんなさい九論、元気を出すわ最初の目的地は火飛びトンネルだったわね座標は…昴くん、やっぱりうちの膝に座ってやり方を色々教えるから」
アイリーンはいちいち説明して教えるより実践させた方が手間が省けていいと考えた。
しかし昴くんは顔を赤らめ動こうとしない。
「早く来て」とアイリーンが催促する。
「皆が見てるよ」
昴くんは冗談を言ってみた。
((勝手にやってろ))
〈もうとっくに宇宙港は飛び立ってます。とりあえずトンネルに向けて飛びますから後で微調整して下さい。じゃあ加速します〉
スターキッドAIから蔑むように言われた気がしたのは昴くんだけかも知れない。
「うっ!ぐぅ~」
スターキッドの加速に耐えかねた昴くんが声を漏らす。
「Aちゃんもう少し加速を抑えてくれてもいいんじゃないかなぁ」
〈そうですか1秒でも早く着きたいのではないかと思いまして〉
「早く着きたいのは確かよねー、でも到着した時に口から内臓出てたら洒落にならないわよね」
「うげっ愛鈴さんグロ過ぎるよ、僕は戻るからね」
でも昴くんは何とか声を出すのが精一杯で動けない。
次の瞬間マイナスGの減速が始まりアイリーンにしがみつく。
「Aちゃん加速を弱めてって言ったけど、この減速のやり方は意地悪なんじゃないGが半端ないんですけど」
アイリーンはスターキッドAIがわざとやっているんじゃないかと思う。
「スターキッドの加速、減速っていつもこんななの僕には耐えられそうにないよ、重力安定化装置が故障中なんじゃないかなぁ」
昴くんは声を絞り出している。
「君たち少年少女は体が十分成長しきっていないからな筋トレ時間を増やさないと駄目だな」
九論がこの厳しい状況下で更に追い討ちを掛けてきた。
「この状況を何回か経験すればある程度は慣れますよ」
新月さんはこの状況に慣れろなんて無茶振りを平気で言う。
「アイリーンさんはテレポート出来たでしょう。この様に応用したらどうですか」
倉庫で片付けをしていたピエロがいつの間にかコクピットの後で平然と立っている。
「テ…テレポートって…ピエロさん、うちは今…無理、落ち着いた時にでも教えて下さい」
「ふう、やっとGを感じなくなったわ良かった。昴くん今のスピード教えてくれる」
アイリーンが膝の上に昴くんを乗せているのは操縦士の仕事を覚えてもらうためだと言うことを忘れてはいない。
戸惑っている昴くんの後から手を伸ばしディスプレイをタッチしながら教えていく。
「ごめんね、今は時間がないからうちのやり方を見ていて今度ゆっくりしたとき教えるね、今のスピードは大体秒速670kmよ」
「それってどのくらい早いの?」
昴くんが初歩の質問をしてきた。
「国際宇宙ステーションISSが秒速7.7kmで飛んでいて地球を1周するのに90分かかるの、今のスターキッドなら1周するのに1分ね…」
「凄く速いん…」
昴くんの驚きの言葉はアイリーンによって掻き消される。
「Aちゃん何でこんなに遅く飛んでるのよ」
〈アイリーンの目にドライアイスメテオの核となる重粒子の姿を焼き付けるためですよ、あと3分でクロスします。その時はもっとスピードダウンしますのでしっかりと光景を脳裏に焼き付けて下さい。連盟の艦船が多いですからチャンスは突き抜ける時の1回限りになりますよ〉
「了解よ思ってたより早く着いたのね。昴くん今は凄くゆっくり飛んでるのよ、普通のスピードなら地球を1周するのに1秒なの、これからステルスモードにするわね、連盟の索敵に感知されないから少し安全になるわ」
「アイリーン防御磁場発生も完了した。いつでも行けるぞ」
九論が最終確認を終えた。
「ハイスペック録画正常、外部信号無し艇内環境オールグリーン」
新月さんが確認しながら復唱していく。
ピエロはテレポートを応用した隔離空間の中に居るみたいで悠然と立ったままでいる。
(ピエロったらなんだかシャボン玉の中に居るみたいで綺麗だわ、今度やり方を教えてもらおうっと)
緊迫した雰囲気が漂うコクピットの中でアイリーンの意識はいつもと変わらず暖かい。
スターキッドを包む防御磁場の密度が最高値になった時。
「じゃあ行くよ~」
アイリーンの緩い声が辺りに響き渡る。




