音楽は宇宙を救う? 2
ともあれ、バッハ隊長代理が大切にしているオルガンの危機は去った。
「イシカワ隊長、オルガンを守ってくれてありがとうございます」
(イシカワ隊長には助けて貰ってばかりだから今度何かお礼をしなくっちゃな)
「何も気になさることはないよ、たまたまその場に居合わせてその時の状況に応じた適切な行動をしているだけだと我は思っているぞ」
(バッハ君って可愛いよなだから何時も何気に目が追ってしまう、そしたらだいたいトラブルの渦中に巻き込まれていくんだよな、オルガンを必死になって一人で運んでいるのも見ていたし、彼女が何かしていてトラブってない時ってあるのだろうか)
「隊長これ捨てちゃっていいですよね、2番隊の連中ここが広いものだから選別せずにガラクタ置き場にしたとしか考えられないですよ」
「ちょっと待ちたまえミシマ君、それは可愛いバッハ君のコンピューターだから置いとかれると良かろう」
「了解です… が隊長、可愛いと言うのはこのコンピューターのことですよね、まさかバッハ隊長代理のことではないですよね」
「失礼なことを言うではないぞ可愛いバッハ君のことに決まってあろう、それにバッハ君は今朝正式に隊長に昇進されたと食堂の掲示板に辞令が貼ってあるぞ」
「そ、それは失礼致しました」
(イシカワ隊長は言葉遣いが凄く変と思っていたけど女性の好みも普通の人とは違うのかも知れない。私には筋肉隆々のアマゾネスタイプの女性を可愛いとはとても思えないな)
ミシマは心の中だけで思うことにする。
(確かに顔写真だけ見れば可愛いと思うよ、だけどさそれに続く筋肉質の太い首と広い肩幅、豊満な胸と言うには語弊がある厚い胸板、とても守ってあげたい女性として見ることは私には出来ないな、う~んでも…オルガンは上手いな)
「やはり2番隊の荷物ならば本人たちに分別して頂かぬと後で泣き言を聞かされても叶わぬからな誰ぞ暇そうにしてる者はおらぬかのう」
「だったらバッハ隊長にそのまま残ってもらえば良かったじゃないですか」
「いいや副隊長に任命されたダン君が確か暇そうにしておったな、連れて来てもらえぬか」
「了解です。探して来ます」
実直なミシマ君が離れると直ぐ別の部下から声が掛かる。
「たいちょー、これ捨てちゃって良いですか?」
声を掛けるタイミングを見ていたとしか思えない。
「ちょっと待つのだ。2番隊の人間に来てもらうのでそれまで休憩しようではないか」
2番隊員の常識ある分別と粉砕のおかげで4番艦からのお荷物は全て受け入れられバッハ隊長のオルガンは難を逃れることができた。
その強運のオルガンをバッハ隊長は冥王星イノマン地下研究所であてがわれた自分の部屋にイシカワ隊長の協力を得て持ち込みセッティングもお願いした。
イシカワ隊長から『完璧に終わりましたのでいつ弾かれても大丈夫でありますぞ』と言われたまま忙しい日が続き一週間が経過した今になって初めて弾き始めている。
今まで以上に音が反響して聞こえているのは地下室のせいなんだろうと思い込む。
その本当の理由はイシカワ隊長がセッティングしている時にオルガンの出力コードを研究所内一斉放送入力端子に繋ぎ間違えてたからに違いない。
そんな事とは露知らず、最近の鬱憤を晴らす様に自己陶酔に溺れて無心で鍵盤と戯れているバッハ隊長に罪があっただろうか。
ふと顔を上げると出入口の扉が開いていて小さな子供が立っているのに気が付く。
この小さい子供が最近頻繁に噂されているアイリーンだろうと思ったけど、目を閉じてうっとりした表情で聞き入ってくれているので構わず弾き続けた。
G線上のアリアを弾き終わって、アベマリアを弾き、ハンガリアラプソディー2番を弾き始めた所でアイリーンが覚醒してバッハが弾き終えた所で声を掛けてくる。
「さっきのタン、タタンって曲知ってたよ。トムが3小節だけ練習して完璧に弾けるようになったんだよね、うちも最初の3小節は練習したんだけど全然弾けなかったよ」
「これはかなり難しいからねお嬢ちゃんにはまだ無理だよ、何か聞きたい曲があれば弾いてあげるよ」
「うちはアイリーンだよ。お嬢ちゃんじゃないんだからね、それと猫踏んじゃったなら弾けるよ弾かせてくれないかなぁ」
(かなぁ、なんて可愛くお願いされたんじゃ仕方ないかな)
「こっちに入っておいでよ、扉はキチンと閉めてね」
「わかったーありがとう」
「それじゃぁ弾くね、イチ、にぃのさんはい」
(両手弾きじゃないですか…それも上手これは凄い)
「アイリーンちゃん連弾しようよ」
アイリーンが頷き高音域に上がる。
空かさずバッハが低音域で連弾を始める。
それこそ二匹のネコとネズミが回るように跳ねるように、表情豊かに走り回って二匹が疲れ果てて静かに終わって行く。
「ブラボー」
「素晴らしい」
「ピーピー」
これは口笛らしい。
閉めた筈の扉が開いていて、数人の男性が(女性も居たかも知れない)拍手喝采している。
バッハがどうして皆が聞いてるのよと恥じらっている横でアイリーンが凄いでしょうと言わんばかりに手を降っている。
「アイリーンちゃん恥ずかしいから、やめて頂戴よ」
「何で?こんなにいい気持ちになるのって滅多にないから凄く元気になったよ皆もそうだと思う。うちは今なら何でも出来るみたいスーパーウーマンになった気分だよ、そうだちょっと地球に行って来る」
アイリーンはそう言い残して出ていってしまった。
後に残されたバッハは薄笑いを浮かべるしか思い付かなくてただ見送ることしかできない。
地下研究所の娯楽室まで迷わずにたどり着いたアイリーンはイノマンに目配せする。
「お、パ、イノマン、ちょっと地球まで行って来るから心配しないでね。それでお願いがあるんだけど宇宙船を貸してもらえないかしら」
「ア、アイリーン、まず落ち着いて、それから…皆さんに挨拶しなさい」
イノマンにも落ち着きが必要だった。
「初めまして…って、アンバ隊長さんじゃん! 今日はどうしたの、来てたのなら教えてくれれば良かったのに」
「だから教えたくなかったんだよ、でも良かった最後の曲は君も弾いていたんだよねアイリーンの音だったよ、アハハ楽しかった本当に久しぶりだった。ありがとう」
アンバ隊長が褒めてきたけど何か違和感があるのに気付けない。
「ああ凄くありがたかった、お陰でぎこちなかった空気が一瞬で和らいで話がスムーズに通った。感謝状でも出したい気分だ」
サロメがアイリーンに感謝している。
「また聞かせて欲しい、今度は何人も集めてから皆の前で弾くのも良いんじゃないか」
(イノマンの本心から微笑んでいる顔なんて初めて見たわ)
「その言葉をそのままバッハ姉ちゃんに聞かせたいな、涙を流して喜ぶと思うよ」
アイリーンが地球に行きたがっている話は程なくトップ3の調整事項になった。
それぞれの思惑が重なり合ってからアイリーンは精鋭100名で結成されたマザーシップM78の乗組員となって地球へ向けて旅立つ。
(今度は6年の道程だって、うちが学校に行ってない事が問題視されてこの6年間で12年分の教育を詰め込むって言ってたわ、うちは途中で絶対パンクすると思うよ、それに天王星には近寄らないんだって、だから機動兵士のホルスさんには会えないのよね)
遥か彼方に小さく輝く太陽を見つめながら『キッド忘れてた訳ではないのよ今から行くからね』と少しだけ罪悪感を感じるアイリーンだった。
(天王星の公転軌道面は過ぎたかしら。あの干し草固めた様な氷パン、癖になっちゃったみたい…また食べたいな。警備隊機動兵のホルスさんに会いたかったなケンタロス族のホルスさん達って羽があったら良かったのにそしたら飛べるのにね。うちが背中に乗せてもらって、聖戦士アイリーンなんちゃってかっこいいのにな…ムニャムニャ)
「おきて、起きて起きなさいアイリーンさん」
「ハイ、フォックス先生。寝てません、しっかり起きています」
「顔を洗って来ますか」
「大丈夫ですわ」
「だったらせめて涎の跡を拭いて下さい」
「あわわ、何故かしら」
「アイリーンさんは私の話を子守唄代わりに聞いていらっしゃるのですね。流石はイノマン博士の娘さんですわ」
「その呼び方はやめて欲しいです」
「本当の事なので構わないでしょう。さっきの続きです三平方の定理とピタゴラスの定理の違いを答えられますか」
「ハイ、三平方の定理とは、直角三角形における斜辺の長さは隣辺の2乗と対辺の2乗を和したものの平方根に等しいと言う事です。ピタゴラスの定理は一定時間内に於いて自然落下運動により得られるエネルギーを利用し、終着点に置かれた旗をいかに格好良く目立たせるかを競い合うゲームの事です」
「良く出来ました。けど答えはバツよ三平方の定理とピタゴラスの定理は同じものよ、だから正解は『違いません』の一言で良いのです。それとあなたの言っているピタゴラスの定理は別の人が冗談で言っている事だと思いますので混同しないようにして下さいね」
「そうですか分かりました」
「では次の質問です…」
〔緊急緊急、全乗組員へ緊急連絡。所属不明艦が当船へ接近中です。方位355°00'高度-30°05′距離300,000km、接触まで23分一定速度で接近中、緊急対応シフトBへ至急変更の事。繰り返す……〕




